第 三 十 話

 僕は考えを聞かれて戸惑いました。これは僕にとって初めての経験ではありません。「正直に、自分の意見を言え」とよく叱られて育ってきました。普段から正しいことだけを考え、一般常識的に物事を捉えることができる聖人であればきっと、迷うことなく自分の考えていることをそのまま話すことができるのでしょう。でも僕はそうではありません。この瞬間、僕が押さえ込んでいた「自分の意見」が溢れ出しました。

「つ、捕まりたくない……」

「二対一、か。やれやれ、交渉決裂だな」

「いや、二対零だ」

 その時、斗森は坂下に物凄い勢いで近寄り、自らの手で腹部を刺しました。坂下はたまらず吐血し、そこら一帯が赤く染まりました。

「貴様、なんて事を……」

 坂下はの顔にはこれまでの冷静さはもうありません。血を吐きながら喋る男というのは壮絶なものでした。

「悪あがきとはこのことだな……こんなことをして何になる?罪状が一つ増えただけだ」

「俺達はお前みたいな奴に思い入れなんて無いからな。いや、丹精込めて作った物を壊すという意味では残念な気分だが……」

 斗森は坂下から手を引き抜きました。内蔵達は気味の悪い音を立て、腹からその鋭利な腕が姿を見せました。カマキリの動きを真似た武術を「蟷螂拳」と言いますが、彼こそがいわゆる本当の蟷螂の拳の使い手なのでしょう。

「本当におかしな連中だよ、あんたら」

 そう言うと坂下は最後の力を振り絞り、懐から手のひらに収まるぐらいの機械を取り出しました。ボタンが付いていて何かのリモコンのように見えます。それを天に掲げて並んでいるボタンをガチャガチャと押しました。「こいつ……!」

「待て、迂闊に近づくな!」

 坂下からそれを取り上げようとした斗森を僕は呼び止めました。そのままの状態で動けずにいると、坂下は力尽きて倒れました。もう再び動き出すこともありません。彼が一体何をしたのか僕には分かりませんでした。

「お前があんなこと言うから自爆でもするのかと思ったが……どうやら違うらしい」

 斗森は恐る恐る彼の手に握られた機械を手に取りました。ボタンには零から九まで数字が振られています。斗森が先端にある出っ張りを引っ張ると伸縮するアンテナが伸び出し、小刻みに揺れました。

「斗森、これってだいぶんアナログなタイプではあるけれど……」

「嘘だろう、この男、作ったのか?一晩でこれを!」

 遠くの方からサイレンの音が聞こえてきました。幾度となく聞いたことのあるはずなのに、とてもそれは非現実的なものに聞こえました。

「まずい、通報された!逃げるぞ」

 彼はどの様にして電話なんて作ったのでしょう?伊達ではないな、と僕は思いました。

 

 それから僕は斗森と二人で過去へ逃げました。行き先はもう言うまでもないでしょうが、坂下の「城」です。彼が自ら用意した場所が逃げ場として使われるとはなんとも皮肉な話です。

「ここにくれば簡単には追って来れないだろう」

 僕は斗森と自分自身を慰める為に言いました。化学を突き詰めてきた我々が言霊にすがるほど、あの時は冷静ではなかったのです。

「それにしても、実験生物達をこちらに移してきておいてよかった。でなかれば今頃……」

 斗森の言葉に僕はぞっとしました。いや、殺人を目の当たりにした時からぞっとははしていましたが、更に、と言う意味です。万が一に備えて坂下作成時に器具や生物、その他諸々見られてはまずい物をこちらに隠しておいたのです。でも予測することができず、隠しきれなかった物もあります。

「血飛沫を引き取っている時間はなかったな」

「仕方ない。そんなことしていたら、もうお縄についてる。よいしょっとお」

 斗森は真っ赤な彼を床に置きました。僕はここで彼の言ったことを反芻する様に思い出していました。

「刑罰を受ける覚悟もないのに命を扱うからこんな結果になるんだよ」

 僕は覚悟しているつもりでいました。そうただの「つもり」でした。自分がいかに能天気に、気ままに暮らしていたのかを警察に追われる立場になることで初めて思い知ることになったのです。

「さて、これで晴れてお尋ね者だ。これからどうするか」

 先のことは誰にも、何もわかりません。でも、もう今まで通りの生活に戻ることはできないだろうということは簡単に察しが付きました。

「まずはここをどうにかしないと。道具類はともかくとして、こんなびっくりアニマル達を置いてはいけない」

「それなら問題は無い。俺に考えがある」

 斗森は言いました。

「全部突っ込むんだ。隠したい物を何もかもこのフラスコにな。話はそれから」

 斗森は体に付いたホコリを手で払い、彼を再び抱えました。

「繭が棺桶になるとはな」

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