第 二 十 六 話
一旦その場は納得しましたが、僕は不安で仕方がありませんでした。帰宅後に胎児の画像を検索にかけてみると、確かにあのフラスコの中にいた生物と酷似していました。でも神経質になるのも無理もないでしょう。ここで失敗したら全てが水の泡なのですから。
「杞憂で終わればいいんだが……」
その不安は日を重ねるにつれてより一層強くなっていきました。体のパーツが少しづつ形作られていくのと同時に当然、体のサイズも段々と大きくなっていきます。でも坂下は我々の想像とは少し違う成長の仕方をしました。
大人になっていく気配がないのです。僕達は赤ん坊の状態の坂下裕人を作り出したいわけではありません。これまでの知識や思い出を有し、成人した坂下裕人が目標です。ですがフラスコの中の奴は胎児の形を保ったまま大きくなっていきました。
「これは……」
「いや、まだ何とも言えない」
斗森は僕達の不安感に蓋をするように言いました。
「俺達がやっているのはまだ誰も手をつけていない、前人未到の実験だ。誰もこの先のことは分からない。結果を見るまで、分からないんだ。それに俺達は手を尽くした。どの道、今の段階で何か手を加えたりする事はできない」
「でも、だからって目を背け続けても仕方がないわ」
三佳村さんは問いかけるように言いました。
「仮に、仮にだけど坂下裕人がうまく完成しなかった時、リトライすることってできると思う?」
斗森と僕は頭を抱え、考えを巡らせいていました。あとはフラスコを見守っていれば坂下が完成し、この研究も幕引きだと思っていた僕達にとって、この思考は脳に多大なストレスを与えました。
「坂下の記憶の元になる素材がもうありません」
斗森がボソッと言いました。
「失敗した後、再び合成が行えるかというと現実的ではないでしょう」
「なあ、タイムマシンでまた坂下からそういうのをもらってくればいいじゃないか、一回目にもらった時よりも前の時代に遡ればいい」
我ながら名案、と思いましたが斗森の表情はあまり芳しくありません。
「タイムマシンで自分が生まれるよりも前の時代に行き、自分の両親を殺害するとどうなるのか考えたことがあるか?」
「はあ?」
「タイム・パラドックス、ね」
三佳村さんもそのことについて知っているようでした。
「仮に殺害できたとすると、自分自身は生まれなかったことになる。親がいなくなったのだから当たり前だ。でもそうなると自分が親を殺せるはずがない」
「結局、何が言いたいんだ?」
「矛盾が生じてまう、ということだ。俺達が今からうんと昔に行き、二回目の坂下の記憶素材奪取に向かう。そしてなんとか成功したとする」
「ああ、それで再度実験を行えば……あ」
僕はようやくそのことに気がつきました。
「やっと分かったか、察しの悪い。」
斗森はため息をついて呆れた様子でした。
「その後、一回目の奪取やって来る僕達は素材を入手することができない……」
「そう、過去を変えることによって未来もねじ曲がってしまう」
斗森は続けました。
「一回目の奪取が失敗するということは、一回目の坂下合成実験もできない。つまり今のこの状況自体、無かったことになる」
「もしくは未来が変わってしまわないように、私達になんらかの力が働いて素材を奪わせないようにするのかもしれないわね」
僕は思わず聞き返しました。
「なんらかの力って?」
「そりゃあ、神様か何かじゃない?」
「まあ、結局は同じことです。失敗は許されない。まだまだこれからですよ、観察を続けましょう」
ですが、事態はなかなか好転の兆しを見せませんでした。フラスコの中の「坂下裕人らしき者」はあれから手足だけが細長く発達していきました。言い知れぬ不安を抱えながらも、僕は見ている頃しかできません。斗森はツカツカとフラスコに歩み寄り、思い切りそれに拳を叩きつけました。中の液体が反響し、大きな鐘のような音が鳴りました。
「お、おいやめろ」
僕は急いで止めに入りました。彼の腕を掴むと甲殻のように硬く、あの絵の具のような黄緑色が袖から見えていたので肝が冷えました。
「落ち着け、それとその腕」
斗森は僕に指摘されて初めてそのことに気がついたようでした。慌てて彼は手を隠し、こちらに向き直りました。
「予測機の精度を見誤った」
「え?」
「予測機の成長をもう少し待つべきだったんだ、結果を急ぐあまりにこんなことに……」
「何を言っているんだ?」
本当は斗森が何が言いたいのか分かっていました。三佳村さんも同じだと思います。
「お前は、これが人間に見えるのか。だとしたらとんだおめでたい奴だな」
僕はぐうの音も出ませんでした。
「もちろん、こいつの合成が終わるまでは観察を続ける。でも過度な期待はしないことだ。責任は俺が取る」
「責任?」
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