第 十 五 話
研究者とは物を考えすぎてしまう生き物だよな、と彼は言い、特に変わった様子はなさそうです。店内にかけてある時計を確認し、今日はもう解散するように僕は言いました。
「そうだな、また明日だ」
「また明日ね、みんな」
僕らはきっちりと割り勘で会計を済ませてその店を後にしました。その際、斗森の席に置かれていたくしゃくしゃになっているおしぼりにふと、目がつきました。切られたタグも同様に置かれています。僕はそれを持ち上げて、観察しました。彼はきちんとおしぼりを畳んで帰る几帳面さを持ち合わせた男でした。ここ最近食事を共にした時も、しっかり畳んでいたので「真面目な奴だ」と感心したことを覚えています。なのでその光景が不自然に感じたのです。
手で掴んだ瞬間、それはバラバラと崩れていきました。おしぼりはなぜか、到底手など拭けそうにも無いくらいに細切れになっていたのです。
「今回は順当に、物と生き物の掛け合わせを試していきたいんです」
生き物と生き物、物と物、そうきたら次は生き物と物。僕はこの実験が一番、結果が想像ができませんでした。そう思っていると、斗森の近くにある机の引き出しあたりがなんだか騒がしいです。そこから彼は一つの籠を取り出しました。それも、鳥籠です。
「可愛い!」
三佳村さんはそれを見て言いました。確かに玉のような体をしていて愛くるしい風貌です。
「一羽の雀を用意しました」
「どうしたの?これ」
「公園にいるやつをちょっと、ね」
確かに彼は今日、約束の時間よりもかなり遅れてここにやって来ました。いい大人が公園で一人小鳥を追いかけ回すところを想像すると、なんだか虚しい気持ちになりました。
「その、なんていうか、声かけてくれよ。今度から。僕も手伝うからさ」
「ん?いいって、一人でやるから」
相変わらず、あまり世間体は気にしていなさそうでした。
「問題なのはこやつと何を混ぜるかなんですが……」
斗森は僕ら二人と目を見合わせました。と同時に僕らは目を背けました。先日の実験で家にある面白そうな物は大抵使ってしまい、前以上に興味深いものを持ってくる自信はありませんでした。
「もう、正直あんまり無いんだよ。家にいらない物って」
「お前は研究と家の断捨離を混同しているな」
やる気はあるとはいえ、斗森ほどの熱意は僕にありませんでした。
「無かったらなんか使えそうなもの買ってくるとか、ないのかそういう気持ちは!」
「うるさいな……じゃあお前は何か持って来てるのか」
当たり前だ、と彼は言い張り、懐から一本のペンを取り出しました。黒と金色で構成されていて、なんだか価値がありそうな代物です。キャップを外し、ペン先を見せてくれました。
「万年筆だ。凄いだろう」
「確かに凄い。でもこれ、高かったんじゃないか」
この時代ではもう万年筆は実用というよりも趣味として持つ意味合いが高く、所持しているだけで立派な大人になれたような気分になれるアイテムです。
「いや、普通にタンスから出てきたんだ。きっといつかの卒業祝いか何かで貰った物だろう」
「何だよ、僕と何も変わらないじゃないか」
彼はお構いなしに実験を進めようとしました。まあ、僕が手ぶらで来たことは事実ですし、別に構わないのですけれど。いつものセットに丸底フラスコを置き、斗森しか配合を知らない化学の液を中に注ぎ入れました。彼が老衰で亡くなる時は、僕にそのレシピは継承されるのでしょうか?そんな風なことを言うと、三佳村さんが
「その時は黒原君もなかなかの高齢になってるんじゃない?若い弟子でも取らないとね」
こんな風な代々続いてきたラーメン屋みたいな会話を済ませ、斗森は躊躇することなく、万年筆をポイっと投げ入れました。
「あ、しまった」
斗森が急に言いました。
「ど、どうしたんだ?」
この未知数な研究において、第一人者の彼が不安そうなのは肝が冷えます。
「いや、昨日これを見つけた時にさ、試し書きして遊んだんだ。落書きとかして。だから中にインク入りっぱなしなんだよな」
漏れ出したインクによって、液の配合に何らかの影響が無いとも言い切れません。
モタモタしていると、ペンの軸とキャップの隙間から青黒い波紋がブワッと広がり始めました。
「早く!急いで雀を!」
「全く、なんでいつもこう、わちゃわちゃ忙しなくなるんだよ!」
鳥籠は三佳村さんが大事そうに抱えていました。
「さあ、早く」
僕はそれを掴み取り、籠から出した雀を液体に浮かべました。そうするとバタバタと羽ばたき、そこから逃げようとしました。
「ああ、チュンの助」
いつの間にか三佳村さんは名前を付けて可愛がっていたようです。
「愛着を持つのは、この後のこいつの姿を見てからにしてください!」
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