第 十 話
「今は微生物同士を掛け合わせるのがやっとですが、研究を進めていけばもっと実験の幅が広がるでしょう」
斗森はゆっくりと、そばにあった椅子に腰掛けました。
「可能であれば用意した材料から、何が完成するのかを予測できるところまでくればベストですね」
「それで坂下裕人に必要な材料が分かれば……」
今度は全員でゴールテープを切ることができるかもしれない。しかもそれほど遠くない未来に。僕たちは確信していました。なぜならそこに間違いなく、期待の合成獣が眼下で蠢いていたからです。
「でもね、斗森君」
三佳村さんが沸き立つ僕らに鋭いメスを入れました。
「確かに、希望はあるかもしれない。人を使わずに、別の材料を発見できるかもしれない。でもそれはかもしれないだけ」
どうやら研究の結果、結局人間を使わざるを得ませんでした、ということになるのを恐れているようでした。
「そんなこと、やってみないとわからないでしょう。どんな天才学者だって、最初は仮説から始まった」
三佳村さんは続けました。
「わかった。実験が上手くいったとする。でも使う材料がすべて無機物で済むとは思えないの」
僕は彼女の考えをなんとなく察することができました。
「人間ではない生物の命は好き勝手に使ってもいいの?人間の命が一番大事で、それ以外はどうでもいいのかしら」
ああ、せっかく復旧の兆しを見せた僕らの絆が……。また崩れていくような気がしてなりません。
「人間は新しい薬が出来た時、モルモットで効果を試すでしょう。同じことですよ」
「いいや、同じじゃない。世や人の役に立つ実験の為に、そういった動物を使うこともある。それでももちろん可哀想だし、人間って勝手だなと思うけど」
言葉とは裏腹に、先ほどの憤慨と比べればかなり落ち着いて話しているように見えました。
「ましてや私たちの、自分たちだけの為に命を粗末にするようなこと」
「粗末、という感覚は微妙に理解しかねますね。実験で使われる生き物は死ぬわけではないですよ。少し見た目と名前が変わるだけです」
このままではまずい。僕は止めに入ろうと考えました。センチメンタルになっていて気が立っている三佳村さんの味方をする形で、斗森をなだめるのが最適です。
「なあ、斗森。それは極論が過ぎるんじゃないか?」
「ほら、黒原君だってこう言ってるじゃない」
僕が加わることで二対一で斗森を責めることになるのは気が進みませんでしたが、場を収める為には仕方がありません。
「二人とも頭が硬いなあ。いいですよ、二人が止めても、俺は一人で実験を進めますから。次はもう少しスケールを大きくして……」
僕らに向かって話しながら、最後は独り言をぶつぶつ言って準備室の方へと消えていきました。彼がああも一度決めたことは曲げないタイプの人間だったとは。昔からの仲でしたが知らない一面を見せつけられてしまいました。
「彼にあんなマッドサイエンティストの素質があったなんて」
彼女は大きな溜息をついて斗森に呆れているようでした。僕はというと正直、この時斗森について行きたいと考えていたのです。三佳村さん側に一度ついたのは場を収める為で、本心とは言えません。
「三佳村さん、でも僕は」
「分かってる、本当は斗森君に賛成なんでしょ」
さらに呆れた様子でした。
「バレていましたか」
「仲が良いのね、あなた達。いくら止めても無駄みたい」
日は落ち始め、薄暗い構内での他聞を憚る会話が終わりを迎えました。
「悪友って、あなた達みたいな事を言うと思うの」
翌日から斗森と僕は実験に取り掛かりました。僕が「手伝うよ」と言ったら、斗森はとても驚いていましたが
「協力者は多い方がいいからな」
と研究参加を認めてくれました。昨日のうちに準備は進めていたそうで、生物合成の瞬間に立ち会うことができました。
「見ていろ、感動もんだから」
机上にはたくさんの配線が繋がった、四角い土台の様な機械が置かれていました。まるで近未来型のガスコンロのように見えます。その上にお馴染みの液体でいっぱいの丸いフラスコが設置されていて、その中を熱帯魚が優雅に泳いでいました。長い背びれに、縞模様が特徴的です。
「片方はこの熱帯魚か」
「もう片方はこいつね」
斗森は自分の背後を指差すと、そこには別の小さな水槽が置かれていて、小さな生き物が底を這うようにして動いていました。
「アンコウの稚魚だ。可愛いだろう」
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