第 九 話

 感謝と同時に、用心するよう僕らに言い聞かせました。それを聞いて斗森がなぜか浮かない顔をしているのに気がつきました。

「それでいいんですか?」

 三佳村さんはこれで全てを話しきり、この話にピリオドを打つ気だったのでしょう。僕もすごいボリュームの話を聞かされて、もうお腹いっぱいでした。故に、斗森の意外な発言に驚かされたのです。

「それでいいんですかってどういうことかな?」

 斗森は構わず話し続けました。

「僕らはもちろん構いません。その話を聞いてすごいなとは思いましたが、だからって何か行動を起こす義務はないし、この話を周りに内緒にしておくのもお安い御用です」

「何が言いたいのかしら」

 少し場の空気が悪くなるのを感じました。

「でも、三佳村さん。あなたはどうなんですか。このままでいいんですか?坂下さんのために悔いのないように生きる?それは自分が何もしない事を正当化しているようにしか聞こえませんよ」

「だからって、私たちに何ができるのよ!」

 振り絞られた大音声に少し驚きました。平常時では信じられないほどの剣幕でした。「そんな事ずっと考えてた。私のために人一人が犠牲になっているのに、こんなにのほほんと暮らしていい筈がないって!」

「落ち着いてくださいっ三佳村さん!」

 僕は息を切らしながら叫ぶ三佳村さんと斗森の間に割って入るぐらいのことしかできませんでした。

「できることなら、ありますよ。環境だってここなら最高だ」

「おい、お前もあんまり適当なこと言うなって」

 斗森は意味ありげに間をとって、言って見せました。

「すべてはあなた次第です。三佳村さん。まだ確証はありませんが、新たな命を作り出す実験が成功するかもしれません」

「彼の二の舞になれって言うの?」

「そうはさせませんよ、俺が絶対に」

 こんなかっこいい事を言える男だったのか、と僕は意表を突かれました。僕の知っている斗森ではないような、まるで人が変わってしまったように錯覚しました。坂下裕人の熱意に感化されたのか、それとも……。

「本当なの?それは、つまり」

「生き返らせましょう。坂下裕人を。もちろん人間を犠牲にはしません。これで男は恋人のためにフラスコに飛び込んだりしていないし、女は事故で死んでもいません。すべてはゼロに戻ります」

 斗森は今まで強張っていた顔を破顔させました。

「一度、帰りましょうか。俺たちのサークル実験室に」 

 

 元の時代に帰ってきて、一番最初に斗森に見せられたのは一つのペトリ皿でした。

「まあ、見てみてください」

 帰ってから間も無く、何やら彼が忙しなく動いているなと思っていましたが、これを見せるために顕微鏡の準備をしていたのです。

「見せて見せて」

 三佳村さんがいの一番に顕微鏡を覗き込みました。すっかり元気を取り戻していて、さっきまで泣いていたのが嘘のようです。

「これは……何?」

「な、なんだったんですか!三佳村さん!」

 三佳村さんは僕の問いの返答に戸惑っていました。

「微生物なんだけど、こんなの見た事ない。だからなんとも言えない。ほら、見てみてよ」

 顕微鏡を覗いてみると、確かに僕の記憶にない生き物が震えるように動いて見えました。ミジンコのような顔がついていますが、あの特徴的な手の部分がありません。楕円形の長い体に顔が付いているような、異様な姿でした。何より、色が鮮やかな緑なのです。

「俺が見つけ出した生物です。まだ誰も知らないし、名前もありません」

「え、それってすごい事なんじゃ無いの?」

 人類史上初の人造人間が目の前にいると霞んでしまいますが、確かにとんでもない事です。

「いや、見つけ出したという言い方は語弊があるか……」

 そう言うと斗森は机の下の収納スペースでゴソゴソしながら何かを取り出しました。

「自作したんです。この世にない新たな生き物を」

 それを見て、唖然としました。彼が取り出したのは丸底フラスコでした。先ほどの坂下裕人の実験室で見た巨大なものと比べるとものすごく小さく見えます。ですが、よくわからない液体で中が満たされていることは共通していたのです。

「坂下裕人が一から一ダッシュに作り変えたんだとすれば、俺は一と一を足して二で割ることに成功したんです」

 彼は大学教授のように歩き回りながら説法し始めました。

「俺も坂下裕人と似たような事を考えていました」

「ミジンコとミドリムシの合成……。生き物を生成するには丸底フラスコが必須ってことか?」

 僕は冗談めかして言いました。この科学サークルに入って以来、斗森は僕とは比べ物にならないほど精力的に活動を続けていました。これが目的を持って行動しているのか、成り行きでなんとなく日々を過ごしているのかの差なのでしょう。そして彼は執念で恋人を生き返らせようとした男と、同じくらいレベルにまで達していたのです。

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