第 八 話

「あの話を聞いたときはびっくりしたなあ」

 黒原啓蔵は呑気に言って見せた。「ホラ話をどうも。連行される気になったか?」

 こうは言ったが、内心私はこの男の話を信じていた。フィクションの見過ぎと言われそうな気もする。でもこんな話をいつ来るかもわからない私のために用意する意味はない。もし、とっさに妄想を膨らませて絵空事を語っているのだとしたら?

 その時は罪を償った後に、ストーリーテラーになることを進めるだろう。

「新しいお茶、入れなおしますよ。ちょっと待っててください」

「おい、ちょっと待て」

「大丈夫。逃げたりしませんよ」

 それもきっと本心だろう。この男からはなんと言うか、諦念のようなものを感じる。ただ警察という立場上、こうでも言っておかないと緊張感が保てない。

 すると突然、自分の真下に強い振動を感じた。少し前に感じたものと同じものだろうと私は思った。奴も「説明する」と言っておきながら、なかなかこれについての説明がない。今、黒原は茶を入れに行った。この隙をついて私はこの下に何があるのか覗いてしまおうと考えた。

 宿直室から顔を出して廊下を見渡し、やつが帰ってきていない事を確認した後、宿直室の戸をしっかりと閉めて鍵をかけた。

 さて、畳の下は一体どうなっているのか。あの男の話を信じるなら、とんでもない生物実験の残骸が残されていても不思議ではない。状況次第では部屋の畳がパンドラの箱の蓋になり得るのか、とつまらない事を考えたりした。普段から開け閉めをしているのか畳同士の間にわずかな隙間があって、畳が外しやすくなっていた。

 私はその隙間に指の爪を差し込み、ゆっくりと畳を持ち上げた。するとそこには実験用のモルモットがいたわけでもなく、血で濁ったホルマリン液が並んでいるわけでもなかった。つぶらな目がこちらを覗いていた。

「ちょっと、フライングですよ」

 振り返ると黒原がコップの乗ったお盆を持って廊下の窓から見ていた。あまり焦っている様子はない。

「見られても別に構わないって感じだな」

「ええ、もういいんですよ。もう直に話の中にも出できますし」 

 それは突然、畳から勢いよく飛び出し、黒原のいる廊下の方へよちよちと駆けて行った。えらくずんぐりむっくりしている。

「あれは……カモノハシ?」

 哺乳類の体に大きなクチバシ、まごうことなきカモノハシだった。

「ここの戸、早く開けてくださいよ。別に鍵持ってるんで開けることもできますけれど」

 俺は言われるがままに戸の鍵を開けた。開けた途端にカモノハシは飛び出して黒原の足にすり寄っていった。

「早く中に入って、子供たちにばれるとまずい」

 ここがまだ児童のいる学校であることを思い出し、私たち二人と一匹は宿直室へと戻っていった。

「何なんだこいつは?なぜカモノハシなんかを畳の下に住まわせている?」

 何が出てきても驚かないつもりだったが、さすがに面をくらった。

「ビーク、ですよ」

「はあ?」

「ビークです。カモノハシじゃなくてビークってんです、こいつの名前は」

「ふん、じゃあ私の実家にいる犬の名前はポチだ」

 回りくどい話し方をするので私は少し頭にきていた。

「そんなに怒らないでください、この子も怖がっている」

 相変わらず足元のそいつは黒原から離れようとしない。

「それに名前っていうのはそういう意味じゃない。この生き物の名称がビークなんです」

 私は理解に苦しんだ。

「それは……つまり動物図鑑にこいつがカモノハシじゃなくてビークって名前で載ってなきゃおかしいって言いたいのか?」

「まあ、説得力はないでしょうけどね。名付け親は誰だったかな?とにかく、僕らが見つけた生き物だって事は間違いないです」

 奴はビークとやらを見つめていた。とても悲しい目だった。

「もういい。続きを聞かせてくれ」

「おっ。ノリノリじゃないですか」

「黙れ」

 

 三佳村さんは持っていた手記をパタンと閉じ、適当に置きました。

「どうだった?」

「どう、と言われても……」

 僕は戸惑いが隠せませんでした。

「じゃあ、この場所が?」 

「そう。ここで私は産まれた。産声はあげなかったけど」

 斗森の質問にも彼女は軽く返します。僕らは自分たちのいる場所をまじまじと見直しました。まるであの冷蔵庫の扉からフィクションの中に入り込んでしまった気分です。

「信じてくれると、助かる」

「信じますよ、少なくとも俺は。エイプリルフールでもないのに、こんな大掛かりなセット用意するとは思えませんから」

 たとえエイプリルフールでも、ここまではしません。僕も気持ちは同じでした。

「ありがとう。他言しないでね、わかってるとは思うけど。この話は墓まで持ってくこと」

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