第 六 話
軽い挨拶とともに彼は今日行う活動の説明をし始めました。
「簡単に科学サークルと言われても、実感は湧かないかも知れませんが、今日は楽しんでって下さいね」
人前で喋るのは得意ではないのですが今回の彼は調子よく喋ることができました。
「今回は濾過機を作っていただきたいと考えています」
濾過機というワードに場は少しどよめいて見えました。反応は様々ですが、科学を名乗るサークルの見学に来てみたら小学校の教科書で見たような濾過機を作ろうと言われて「大学のサークルで?濾過機?」と感じている人が多いでしょう。
「まあまあそんな顔しないでください。見たことはあるとは思いますが案外、実際に作って濾過を試してみた人は少ないんじゃないですかね?」
彼は机の下から一本のペットボトルを取り出しました。中には濁った水が入っています。
「今回濾過してもらう水です。そこらの川から適当に汲んできたものです」
笑みを含ませ、言いました。
「これを最終的に飲んでもらいます。なに、完璧な濾過機を作ることができれば、お腹を壊すことはありませんよ」
あとは皆、説明通りに作り上げて行きました。時折、意味がありそうでなさそうなウンチクをばら撒きながら、まるでものすごく有意義な時間を過ごしているかのように演出しました。砂利や炭、布などが小さな断層のように積み重なり、あとは上から泥水を流すだけになりました。
「さあ、お待ちかねの瞬間です」
上から注いだ泥水はゆっくりと流れていき、無色透明な水になって下のキャップ部から出てきました。あまり関心を示していなかった新入生たちもこの瞬間だけは「おおっ」と歓声をあげていました。
「ほらほら、飲んでもらいますよ皆さん。じゃあそこの君から」
みんなそれに少しずつですが口を付けました。
「この世に水はたくさんありますが、そのほとんどが飲めないものばかりです。その水が全て濾過されて飲めるものになったら……。なんてことを考えたりするんですよ」
すると途端に彼の携帯電話が鳴り始めました。「少し、すみません」と軽く会釈し、電話に出るふりをしながら準備室の奥へと消えていきました。
それから十五分ほど経った頃でしょうか。彼が科学室に戻ると、席に座っている全員が机に突っ伏して寝ている異様な光景が広がっていました。
「濾過機の口に睡眠薬。ま、普通気がつかないよね」
生徒の顔を一人一人、歩きながら見て回りました。選別の時間です。
「この人にしよう、背格好も彼女に似ている気がする」
彼は一人の女子生徒を肩を組むような形で担ぎました。この人を選んだことに特に理由はありません。別に誰でもよかったのです。準備室の方へと運び込むと、そこには前もって運んであったタイムマシンが屹立していました。
強力な睡眠薬を使ったおかげで、まだしばらくは目覚めることはないでしょう。彼もあれから研究を進め、あとは材料になる人間さえ用意できれば野望完遂のところまで漕ぎ着けました。ゴールは目前です。あとは彼の城の中に用意された巨大な丸底フラスコの中にこの人を突っ込めばいい。それで全てが終わる。そのはずなのに……。
「結局、人の子だな、俺も」
この日のために散々準備をしてきたのにもかかわらず、彼は考え込んでしまいました。そして悩んでいるようで、すでに彼の中で答えは出ています。
自分の恋人を助けるために、赤の他人を犠牲にしていい事なんてないのです。
みんなが目を覚まし始めたのはそれから一時間ほど経った頃でした。
「皆さん、慣れない大学生活で疲れているのはわかりますが、少々寝すぎでは?」
「サークル長がなかなか電話から帰ってこないからでしょう」
中の一人から反論されてしまいました。「すみません」と軽く謝った後、今日はもう遅いので帰るように言って、新入生を見送りました。
彼は出遅れて一番最後にこの部屋から出ようとした生徒に声をかけました。
「あ、あの」
「はい、なんですか?」
「今日はその、楽しかったですか?」
その子は微笑み、
「楽しかったですよ、私、これ作った事なかったんです。科学サークル、一気に気になり始めました!」
元気な返答に驚き、「それはよかった」とだけ言って、彼女も何処かへ行ってしまいました。
「見た目よりも、性格の方が似ていたな」
一人で呟いて、あの人がいなくならなくててよかった、と彼はどこか安心した様子なのでした……。
「何をやっているんだ?俺は」
彼は自分のしていることが分からなくなっていました。目標に向かって、横道に逸れることもなく、着実に歩みを進めいていた彼がゴールテープの前で急に立ち止まってしまったのです。頭では理解しているのですが彼の心がその行為を許しませんでした。
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