第 五 話
元の時代に帰るには、またここに帰ってくるしかないようです。周りを見渡し、深く深呼吸をしました。
坂下裕人の第一の印象は「空気が美味しい気がする」でした。彼の知っている日本は森林の伐採が進み、週末にかなり気合の入った遠出しないと山の緑など見られない国だからです。それに比べて二千二十年は周りは緑に囲まれて、ここで生まれ育ったら性格がねじ曲がったりしないんだろうなと考えました。単純にここが田舎なだけかも知れませんが……。
人気はありませんが、念のため自分の出てきた箱を脇に隠し、気ままに学校探索を開始しました。この学校がもしまだ使われている学校だったとしたら、と考えるとゾッとしました。いきなり現れた謎の箱から人間が出てくるところなんて見られたら、たまった物ではありません。子供が見たらとんでもないトラウマになることでしょう。
彼は学校を見て回りながら幼い頃に親の実家で見た学園ドラマを思い出しました。木と鉄パイプでできた机と椅子、傷んだ廊下の先にある宿直室はそういう歴史を感じさせました。その宿直室の扉を開けると、中からは植物の腐ったような、むせ返る匂いがしました。彼はこの時点で「ここは実験場として最適かも知れない」と考えていました。人に見られさえしなければそれ以外に条件は無いし、この場所は彼の懐古の心をくすぐりました。
この学校が彼のラボおよび城になるまでに、そこまでの時間はかかりませんでした。彼にとっても居心地が良く、この場所に入り浸るようになりました。もちろん、遊んでいたわけではありません。目的達成のために現代から逃げてくるくらいですから、決意は相当のものです。そこらの大学生とは訳が違います。
研究は着々と進んでいました。人を、それも特定の個人を人工的に作り出す実験です。人間は人間から生まれ、作られるのですから「人工的」という言い方には違和感がありますが、とにかく産むのではなく科学的にゼロから作り出すことが彼の目的です。大学そっちのけで研究を続けました。彼が大学から行方をくらませたのはずっとここにいたからです。
研究をしている上で、一つの結論に彼はたどり着きました。それは「人を構成している物質をかき集めて混ぜたからといって、人は作ることはできない」という事実です。科学的に分析して材料が解っても、それだけでは何かが足りない。何か大事なものが。彼は大真面目に実験してきました。フラスコからポンっと人間を産むことを。でもそれは不可能だった。途中までは順風満帆だったのに、あるところから全く進歩が見られなくなてしまったのです。彼女の遺伝子情報の詰まった「何か」かがあれば話は早いのですが、そんなものを持っているわけがありません。
彼はゼロから人間を作ることを諦めました。無念の決断でしたが、仕方がありません。ゼロから生み出すことはできませんでしたが、「人間を別の人間に作り変える」ことはできるかも知れない、彼は考えました。ゼロから一を作るのではなく、一から一ならハードルはぐっと下がります。要するに誰かをさらってくる必要があります。そしてここに連れてきて、彼の悪魔的科学力で別人にしてしまう作戦です。
もちろん、即実行するほどの意思力は彼にありませんでした。自分の望みのために他人を犠牲にするのは大層気が引けます。でもそれは致し方ない犠牲なのです。彼は人一人準備する計画を立て始めました。
彼が大学に顔を出したのは実に半年ぶりのことでした。教授も彼の姿を見て最初は驚いていましたが、講義をサボる生徒もあまり珍しいものではないので
「単位取得には、気を使えよ」
と注意するぐらいで、特に気にも留めませんでした。たわいない会話の中で坂下裕人は
「そういえば近々、サークルの体験会がありましたよね」
と切り出しました。体験会とは説明文だけでは到底把握できないサークルの内面を、新入生に実際に見学および活動してもらうというものでした。
「ああ、もう再来週ぐらいだ。何か考えているのか?」
彼には案がありました。三週間ほどの時間をかけ、周到に用意された案が。
「ええ、もちろんです。仲間を集めるまたとないチャンスですからね」
当日は意外にも多くの生徒にきてもらうことができました。元々理系に強い学校なので興味を持たれるだろうとは思っていましたが、予想以上の賑やかさに彼は面を喰らいました。
「いやあ、皆さんよくきてくれましたね。僕はこのサークル代表の坂下と言います」
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