第107話 帰宅

 フランシスと共に馬を駆けて、クォーツ国の王都に着いたのは、その日の夜だった。銃士隊詰所には誰もいなかった。きっと、どこか飲みに出かけているのだろう。

「あー、今日は収穫月何日?」

 なにも書かれていないカレンダーを何度も見、フランシスは何度も同じ問いを繰り返している。

「酒場で聞けば良いじゃないか」

 慌てる彼に向かい、冷静に俺は言った。

「そ、そうだね」

 と、フランシスは答えた。安心しろ、俺もドキドキしてる所もあるんだ。

 二人して詰所を出、皆がいるだろう馴染みの店を目指す。互いの家の近くを通るので、道すがら馬を馬屋に入れて、歩いて酒場へと向かった。そう言えば日付の事は雇っているだろう従者に聞けば良かったのでは? と、ふと思った。

 まぁ良い。家は通り過ぎてしまった。

「いらっしゃいませー!」店主の声に迎えられ、酒場の中へと入る。奥に見慣れたもふもふの固まりがあった。「お、シャルルさん、フランシスさん、久しぶり」

「え!?」

 店主の言葉に思わず声を張り上げる。

「なに言ってんだ。四日か、五日ぶりだろう」

 グラスを磨きながら、店主は言った。良かった、一週間は経っていなかった。

「ただいまー」

 銃士隊員へと駆け寄り、フランシスは言った。俺もあとに続く。

「おかえり」真ん中付近で飲んでいたオリヴィエが顔を上げた。「二、三日泊まって来たのか?」

「え、ええまぁ、ちょっと」

 俺が言い淀むと、

「狸に化かされたんだ。それで二日も損をしたよ」

 と、フランシスは席に腰かけた。

「狸?」

 同じく椅子に座った俺とフランシスに向かい、皆は聞き耳を立てた。

「ボクはシャルルの家を訪ねて、そのまま休まずに二人で村をあとにしたんだ。それで、ジストの町を通り過ぎて、リータの宿場町まで行く途中で日が暮れてしまった」

「それで?」

 幾人かの声が揃う。フランシスの話を前のめりになって聞くディディエさん、物好きですね。

「それで、たまたまあった宿場町に泊まる事にした。そこで宿をとって、夕飯が用意できないと言われたから、夜市へと出かけたんだ。中々活気づいた夜市でね、食べ物も美味しくて……ボクは酔っぱらっちゃってそれ以降は覚えてないんだけど、目が覚めたら草の海で寝ていたってことさ」

「ほう」そう相づちを打ったのはオリヴィエだった。「それで、二日ほどの距離が五日ほどかかったのか」

 あ、やっぱり二日ほどの距離なんだ。

「面白いな」

 と、ダミアンが言った。

「もしかしたら変なものでも食べさせられたかもな」

 そんなに恐ろしい事を言わないでください、ディディエさん。

「で、なにも盗られなかったのか?」

 マウロが言った。

「あぁ。馬も金も、全て傍に置かれていた」

「やっぱり狸かぁ……」

 むむむ、と、オリヴィエが唸る。現実主義者の彼には、とても信じられない事だろう。

「まぁ、二人とも無事だったんだ。それで良かったじゃねぇか、隊長」と、マウロは諭した。「ほら、乾杯もまだ済んでいないんだ。皆集まった所で、早く飲もう」

「おぉ!」

 俺たちのグラスに葡萄酒を注がれる。

「シャルルとフランシスの無事の帰還に、クォーツ国の繁栄に乾杯!」

「乾杯!」

 と、オリヴィエの音頭で、杯を交わした。

 酒が回って来た頃、ふと大家に留守の礼を言っていなかった事に気がついた。今でも遅いが、帰国した時と比べると、夜は更けていない。

 挨拶に行くか。

 と、俺は立ち上がった。

「どうした? シャルル」

 すでに鼻の赤いオリヴィエが俺を見る。

「大家さん夫婦に挨拶をしていなくて」

「あぁ、そうか。わかった、行ってこい」

「ありがとう」

 己の飲んだ分の酒代を机に置き、俺は店から外に出た。収穫月の冷ややかな風が毛を撫でる。故郷に帰り、狸に化かされ、五日経ってしまった。あと四日、どう過ごそう。

 あ、アイリスの剣術指南役もあったな。しかし、今さらレイピアを突け合わせるなんて、不思議な感覚だ。

 あ、あと従者になる為になんやかんやあるかもしれない。兎も角早く家に帰ろう。

 家の前まで来ると、大家夫妻の住む一階に灯りがついていた。

「フィンチさん」

 夫の名を呼び、扉を叩く。しばらくして、フレンチブルドッグが寝巻きを着たままあらわれた。

「シャルルさん。お久しぶり」

 あくびまじりに彼は言った。しまった、寝かけた頃だったか?

「留守をありがとうございます」

「こちらこそ、良いグラスをありがとう。フェリと二人で使っているよ」

「それはなによりです。すみません、起こしてしまったようで……」

 と、俺が言葉を濁すと、

「いや、今寝ようとしていた所だったんだ。気にしないでくれ、お休み」

「お休みなさい」

 と、扉は閉められた。

 脇の階段から二階に上がり、己の部屋の扉を開ける。葡萄酒の瓶を抱えたまま、エタンは眠っていた。

「おい、エタン」

 俺が声をかけると、

「──ご、ご主人!?」

 彼は飛び起きた。

「葡萄酒の味はどうだ?」

「最高でございます」

 エタンは見た事のないほどの笑顔を向ける。喜んでくれて良かった。しかし、それで用事を忘れていたら雷が落ちるが。

「ところで、城からなにか来たか?」

 俺は聞いた。

「はい、今日の昼頃、お城からの伝令がありまして、明日城に来るようにとの事でした。ご主人が帰られたので、あっしも一安心でございます」

「そうか。ありがとう」俺はそう言って、「俺はもう寝るぞ。お前もベッドに入れ」

「はい。今日は安心して眠る事ができます」

 と、言って、エタンは己の部屋へと入って行った。

「さて、寝るか」

 と、俺は寝室の戸を開き、しばらく帰っていなかった寝台に腰かける。城からの呼び出しとはなんだろう。やはり従者になる件だろうか。

 そんな事を思いながら、俺は眠りについた。

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