第106話 見覚えのない町
「良いお母さんだよね、全く」馬に乗ってマーシ村を出、フランシスは言った。「キミがうらやましいよ」
「そうか?」
俺は彼を見遣る。そう言えば、彼は母に愛された記憶がないと言っていた。
むしろ、蔑まれ、遠ざけられたと。
フランシスの前では両親の話題は避けようと、俺は心に誓った。
ジストの町を過ぎ、リータの町に着く前に日が暮れてしまった。しょうがないので、丘を越えた先にある、宿場町に泊まる事にした。
「こんな所に町があったんだねぇ」
見逃していたよ、と、フランシスは言う。
レンガ造りの家々が並ぶ、立派な町だ。とりあえず宿を探し、宵闇の中を馬で移動する。広場を越えた辺りに、宿屋は存在していた。
「俺が交渉してくるよ」
と、俺は言って馬を下りた。
手綱をフランシスに託し、宿の扉を開ける。
「いらっしゃいませ」
受付のキツネが頭を下げる。声からして、オスのようだ。
「一晩泊まりたい。部屋は空いているか?」
「はい、大丈夫ですよ」
店主は言った。
「ありがたい。それと、馬を止める馬屋はあるか?」
「はい、宿の隣に」
どうぞお使いください、と、続けた。
「わかった。今連れを連れてくる」
俺は言って、外に出た。
「どうだった?」
「大丈夫だそうだ」
不安げな面持ちのフランシスに、俺は伝えた。
「馬は?」
「隣にある馬屋を使って良いらしい」
「良かったー。キミ、頼りになるね!」
どれほど頼りなく見られていたんだ。馬屋へ向かうフランシスの背中を見ながら、俺は思った。
フランシスと共に宿へと入り、部屋に案内される。今回は二階の、階段を上がってすぐの部屋だ。
「お食事は外にある夜市で済ませていただけると嬉しいのですが……」
と、店主は言葉を濁す。そうだよな、急な客への対応は難しいだろう。
「わかった。ありがとう」
俺は言った。そうして荷物を置くと、金を持ち、外へ出た。
店主に続き、階段を下りる。
「夜市はどこにあるの?」
フランシスが聞くと、
「広場から見えるかと。ランプが沢山灯されている筈です」店主は答えた。「門限などはうちはありませんので、ごゆっくりお食事をお楽しみください」
と、外へ出て行く俺たちに向かい、言った。
「夜市だって! 楽しみだね!」
フランシスは声を弾ませる。
「あぁ、そうだな」
歩きながら、俺は答える。
広場に出ると、北の方角に店主の言う通り、ランプの灯りが集まっている場所があった。
「あそこかな」
フランシスが指を指した。
「かもしれない」
と、俺は答える。
「早く行ってみようよ! ボクもう腹ペコだよ!」
相変わらずテンションがお高いようでなによりです。駆けて行くフランシスを追い、俺はため息を吐いた。
夜市には、色々な店が出ていた。絹の道を渡って来たガラス繊維や、これからの季節に出回る、角煮を挟んだ饅頭、米粉で作られた麺のラーメンなどなどだ。
「懐かしいね」
ガラス繊維を見、フランシスが言う。
「なんだい嬢ちゃん、彼氏と二人旅かい?」
「うん! そうなの」
俺の腕に己の腕を絡ませ、彼は言った。若干高い声を出している。酷い冗談だ、止めてくれ。
「ほら、行くぞ」
俺は言って、店をあとにした。恐らく俺の顔は、赤く染まっている事だろう。
屋台で数個の酒の肴を買い、一つの屋台に腰を据える。座るだけでは悪いので、セロリのピクルスと葡萄酒を注文した。
「美味しいね」
角煮饅頭を口にしながら、フランシスは言う。トロっとした豚バラ肉の脂身と、しっとりとした赤身が程よく調和されていて美味い。それに良く合う饅頭も素晴らしい。
「はいよ、当店自慢のピクルスだ」
と、店主がセロリのピクルスを持ってくる。手掴みで食べると、さっぱりとしたセロリの味と、酢のつんとした香りが口一杯に広がった。
「店主、葡萄酒は今年のものか?」
俺が聞くと、
「おう、解禁されたばかりの一年ものだよ!」
と、元気な答えが返された。これは飲み甲斐がある。
未だ若い葡萄酒は、するすると喉の奥へと運ばれて行く。気がつけば、フランシスが目の前で櫂を漕ぎ始めていた。これはまずい。
「おい、フランシス!」
彼へと駆け寄り、肩を掴み揺さぶる。
「ん、なにぃ?」
目を擦り、彼は目を覚ます。
「宿に帰るぞ」
「あ、うん。そうだねぇ……」
と、言ってまたうとうととし始めるので、俺は彼をおぶり、テーブルに金を置いて店を立った。
夜市を抜け、宿屋へと戻る。扉を開けると、店主が立っていた。
「おかえりなさいませ──お連れの方は大丈夫ですか?」
「あぁ、問題ない。酔って寝ているだけだ」
俺は言葉を継いだ。
「おやすみなさいませ」
階段を上がると、下から店主の声がする。それを背に、俺は部屋の扉を開けた。二人分の寝台が置かれた、シンプルな部屋だ。
俺はフランシスを寝台に寝かせると、己も向かい合う寝台へと身体を潜り込ませた。酔いが今ごろになって回るのが心地良い。それに任せ、瞼を閉じた。
「──シャル──、シャルルってば!」
フランシスの声に目を覚ます。太陽は東に昇っている。それと共に、草の匂いがした。
草の、匂い?
慌てて起き上がると、そこはただの草原だった。どういう事だ?
「え?」
思わず声が出る。とりあえず荷物を探すと、己の傍らに置かれていた。幸い、なにも盗られてはいないようだった。馬も、側に佇んでいる。
もしやこれが……
「狸に化かされた?」
見出だした答えを、フランシスが代弁した。
「兎に角急いで王都へ帰ろう」
俺は立ち上がり、馬に乗った。
これで一週間経っていたら冗談じゃない。
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