第104話 父母の馴れ初め
収穫月と言う事もあってか、ほどよく室内は冷えている。窓を開けると、涼やかな風がふわりと入り込んだ。
一週間くらい前にあとにした己の部屋は、時が止まったようになにも変わる事もない。まるで、主の帰りを待っていたようだった。
本棚に並ぶ本の背表紙を指でなぞり、昔の己に想いを馳せる。フランシスの言う通り、魔法や古い伝承の本ばかりだ。
その内の一つを手に取って、開いてみる。孤独な王と、忘れられかけた神々の話だ。インクの匂いが懐かしさを醸し出している。確か、神々の力を得て魔法を使ったのだったか。
隼人としても、ファンタジー小説を読んでそこに出てくる魅力的な登場人物や技、魔法に憧れたのと同じだ。前世で成せなかった事を、今の己が体験しているのだ。
魔法が消えたのは、少し想定外だったが。
あれ? ハヤト、て誰だ?
「あぁ、前世だ、前世」
頭を振り、思い出させる。前世を忘れてなるものか。絵美を愛した事を忘れてしまう事になる。それだけは嫌だ。
「シャルルー! あなたー! ご飯、できたわよ!」
一階から、母の声が聞こえてくる。
「今いく!」
俺は部屋の外に出る。ちょうど、父とぶつかった。
「大丈夫か? シャルル」
「なにが? 父さん」
父が聞きたい事は、こんなにも時を開けることのなかった帰省の事情だろう。
「いや、銃士隊を辞めてうちに帰って来ても良いんだぞ?」
階段を下りながら、父はそんな事を言った。母はまだ、俺がアイリスの従者に昇格する事を知らないようだった。
今夜あたり、話してみようか。
食卓には、揚げ鶏と、じゃが芋のサラダ、ロールパン、そうして母特製のタルタルソースが乗せられていた。
「美味しそうだ」
いつもより豪華じゃないか? と、父は言う。
「シャルルが帰って来たからご馳走なのよ」
と、母は言った。
「ありがとう、母さん」
椅子に座り、俺は微笑する。
「それじゃあ、我らを見守りし主に、血肉を与えて下さった食物に祈りを……」母が祈りの言葉を唱える。「──いただきます」
「いただきます」
そう言い合ったあと、俺は揚げ鶏をフォークで刺し、口に運んだ。ニンニクと生姜、そうして隠し味程度に味付けされた揚げ鶏はやはり美味い。特にもも肉はジューシーで、肉汁が溢れてくる。
二口目はタルタルソースを付け、食べてみる。ゆで卵の特濃な風味と、母手作りのマヨネーズが良い味を出している。
「美味しいよ、母さん」
俺が言うと、
「まぁ、ありがとう」
と、母は言葉を紡いだ。
「それで、さっき言いかけたことだが……」
父が口火を切る。
「あぁ、また今度はいつ帰れるかわからない」俺は言う。「従者になるんだ、姫様の」
「従者!?」
と、父がすっとんきょうな声を上げた。
「本当の事よ。私も初めはおどろいたけど、あなた以上の出世なのよ」
「本当に──俺たちの息子が次期女王の従者だなんて」
「しかも、中々姫様の寵愛を受けているみたいで」
母は自慢気だ。
「そうだな、素晴らしいニュースだ」
「なんだか照れるな……」
と、俺は軽く尻尾を振った。
食卓が片付けられ、母が再び紅茶を淹れる。今回は、角砂糖を一つ入れてみようかな。
「シャルル、お前甘党だったか?」
父が聞いてくるので、
「気分だよ、父さん」
俺は苦笑した。
「そうか……」
父はそう言いながら、数個の角砂糖を紅茶の中に入れた。甘党の仲間が欲しかったのだろうか。
「あれ? 父さん、昔はストレートで飲んでいなかった?」
と、俺が聞くと、
「年を取ると変わるもんさ」
父は肩を竦めた。
「血糖値が上がりますよ」
飲み干した俺のカップへ紅茶を注ぎ、母は父を見る。
「もう余生なんだから、このくらい許せよ」
ティースプーンで砂糖を溶かしながら、父が言った。
「余生だなんて言わないで頂戴。あなたにはもっと長生きしてもらわなくちゃならないんだから」
「俺なんかいなくても、お前は生きていけるだろう?」
「そんな事言わないでよ」
「歳も少し離れているんだ、俺が先に逝くに決まってる」
「あなた、シャルルの前でそんな事──」
「あー、言い合いはなしなし!」
俺は母の言葉を遮り、言った。余り喧嘩は見たくないのだ。
確かに父と母は九歳ほど離れている。やはり、違うものなのだろうか。
「そう言えば、父さんと母さんの馴れ初めを聞いた事がなかったな」
この際だから教えてよ、と、俺は話題を変えた。
「馴れ初めか……」
父が腕を組む。
「幼馴染みよ」と、母は言った。「お父さんがこの村のガキ大将でね、私はそんな事もわからないでくっついて歩いていたの」
「そうだったか?」
父は首を傾げた。
「そうよ、忘れちゃったの?」
「この年になると昔の記憶は曖昧なんだ」
と、父が続ける。
「意識し始めたのは、私が12の時だったわ。お父さんが19で銃士になる為に旅立つ時に、私大泣きしちゃって……それから毎週のようにお手紙をくれたの。今のお父さんとは比べ物にならないくらい真面目だったのよ」
「今でも真面目だぞ」
父は言った。
「それから、三十代の半ば頃に退職金を貰ってここに帰ってきて、プロポーズされたの」
父の言葉を無視して、母は語りきった。
そうなのか。父と母の馴れ初めには、中々深いものがあった。
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