第103話 帰省

 翌朝、日も昇らない時間、俺はエタンに高級な葡萄酒を買っても十分余る程の金と、一人で選んで買うようにとの書き置きを残し、馬屋から馬を連れ、王都を離れた。目指すのは故郷、マーシ村だ。馬で休まず駆ければ、四日ほどで辿り着くので、馬には酷だが十日もあれば、行って帰って来られるだろう。

 途中、リータの町を通り過ぎる。太陽は眩しいほどに照っている。四日分の食事は、母の手料理を楽しみに待つ事にしよう。

やがて日は沈み、恐ろしい宵闇が訪れる。ここからは、月明かりと夜目を頼りに進むしかない。

 リータの町からジストの町へは、結構な距離がある。その間にも、立ち寄る事のなかった町や村がある。それらを横目に行き過ぎ、ただ草の海の中を、ひたすらに馬を駆ける。まもなく日が上ると、遠くにジストの町が見えてきた。

 あれ? マーシ村から皆で出発した時点で不思議に思っていたが、まさか王都とマーシ村はそんなに遠くではないのでは……!?

「なんで初めはあんなにかかったんだ?」

 と、俺はひとりごちる。俺は二日間何をしていたんだ? 狸にでも化かされたのだろうか。不思議過ぎる。

 やがてジストの町を過ぎる。マーシ村はすぐそこだ。

「よし、着いた」

 村の前で馬を止め、中に入る。ちょうど昼食時で、外に出ている者は疎らだ。

「シャルル?」

 そんな中で、幼馴染みのサビトラのアンヌが声をかけてきた。

「よう、アンヌ」

 俺は片手を上げる。

「一週間くらいぶり?」

 と、アンヌは首を傾げる。

「そのくらいだ。父さんや母さんは元気か?」

「あんたが旅立ったあと、少し寂しげだったけど、今は元気よ」

 良かった。父も母もいい年だ。何が起きても不思議ではないのだ。

「それなら良かった」

「早く帰ってあげなさい。きっと喜ぶわよ」

「あぁ、そうするよ」

 アンヌと別れを告げ、実家へ足を向ける。改めて見ると、本当になんにもない村だな。若者が刺激を求めて王都に出てくるのがわかるようだ。

 まぁ、俺もその一人なので、なにも言えないのだが。

 早速馬を馬屋に止め、一人扉を叩く。

「母さん、ただいま」

「シャルル!?」扉の向こうから母の声がして、待つ間もなく扉が開かれた。母はおどろいたような表情で立っていた。「お帰りなさい」

 どうしたの、突然、と、母が言う。

「ちょっとね」

「ちょっと? まぁ、入って」

 母は道を開けた。

「ありがとう」

「あなたー! シャルルが帰ってきたわよ!」

 母が二階に向けて声を張り上げる。

「本当か!?」と、ばたばたと父が階段を下りてきた。「これはまた突然だな」

「少し時間ができたんだ。だから、逢いに来た」

 俺ははにかみ顔をしてみせる。

「そうか、そうか」

 心優しい父は何度も頷いた。

「そう言えば父さん」

 と、俺はあの質問を問う事にした。

「なんだ?」

「18歳の時、馬でクォーツ国の王都まで四日かかったんだ。でも、今回は二日くらいで着くことができた。それがどうもわからなくて……」

 すると父は、

「うーむ、狸に化かされたんじゃないか?」

 考えの末に、そう言った。やはり親子。悲しいほどに考える事は同じだ。

「兎に角、座りましょう? 美味しいお茶を出すわ」

 と、母が言った。

「俺は上で少しやることがあるから、いらないぞ」

 父は答える。

「また日曜大工?」

 母は腰に手をあてた。

「もう引退した身だ。毎日大工さ」

 階段を上りながら、父はそう言い残して二階に消えていった。

「また本棚が増えるわ」

 と、母がため息を吐いた。

「ははは」

 俺は思わず笑ってしまった。こうやって文句を言いつつ笑い合える仲が、俺の理想の結婚の相手だ。

「で、どうしたの?」

 ティーポットからカップへ紅茶を注ぎ、母は言った。

「うん、あのね、母さん」熱い紅茶を一口飲み、俺は言葉を濁した。「母さんは、猫と人が一緒になるのはおかしいと思う?」

 すると母は、

「全然おかしいとは思わないわよ。なに? 好きな人間ができたの?」

「まぁ、ね……」

「どんな人?」

 告白をするのに、俺は一瞬戸惑った。叶わない恋……かつてフランシスが言った言葉がよみがえる。しかし、母に話すくらいの事は罪にならないだろう。

「姫様なんだ。母さんも逢っただろう? 俺、彼女が好きなんだ」

「まぁ……」ティーポットを置き、母は答えを迷うように尻尾を振った。そうして、「子供の言う事を否定しないのは親の役目よ。母さん、応援するわ」

 母の言葉は嬉しかった。だが……

「でも無理なんだ」

「なぜ?」

「もう彼女は婚約者に惹かれてしまっていて、俺の事は秘密を共有するような心の友だと言われたんだ」

 俺は少し泣きそうだったのだろう。心配する母の姿が滲んでいる。

 すると、母は慰めるように、

「素晴らしい関係じゃないの。夫婦間は秘密を持つものよ? それを共有できるなんて、素晴らしい関係だと思うわよ」

「そうかな」

 俺は頭を掻いた。

「兎に角、今夜は泊まっていくのでしょう? 夕飯はなにが良い?」

 と、母が溢れる俺の涙を拭った。

「揚げ鶏が食べたいなぁ」

「良いわよ。まだ夕ご飯には時間があるから、あなたも自分の部屋に行っていなさい」

「ありがとう、母さん」

 俺はそう言って、紅茶を飲み干した。

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