第12話 隼人と絵美


 新しい転校生は女子だと言う。職員室を覗き見たクラスメイトから持ち込まれたその情報に、俺たち男子は浮き足立った。

「どんな子だった?」

 男子の一人が聞いてくる。

「可愛いかった。肩くらいの黒髪で……まぁ、見てみろ」

「けちくさいなぁ」

 そう言ったのは俺だっただろうか。

 その時、教室のドアが開き、担任の後に続いて入ってくる影がある。彼女がまだ準備のできていない制服の代わりに、前の学校で着ていたセーラー服をまとって顔を上げた時──俺は息を飲んだ。

 運命論者ではないが、俺は彼女の為に生まれ、生きてきたのだとすら感じた。

 担任が黒板に彼女の名を綴って行く。早く名が知りたい。そう思った。

「橘絵美と言います。よろしくお願いします」

 絵美は緊張ぎみにそう言った。軽い西の鈍りに、鈴のような愛らしい声だ。この子しかいない──俺はそう思った。

「席は……葛城の隣が空いてるな。そこに座りなさい」

 何だって?!

俺は思わず席を立った。葛城とは俺の事だ。

「わかりました」机の間を、絵美が歩いて来る。そうして俺の隣に来ると、「よろしくね」

 と、笑顔を向けた。

「よ、よろしく」

 始まったホームルームに紛れて自己紹介をする。

「葛城何君?」

「隼人だ。葛城隼人」

「家は、どの辺り?」

「月ヶ丘の西町かな」

「嘘、私も月ヶ丘の西町に引っ越してきてん」

 絵美が手の平で口を覆った。

「本当か?!」

 俺も思わず声を張り上げていた。

「そこ、うるさいぞ」

 担任がチョークを構え、怪訝に言った。担任のチョーク投げは結構命中率が高く、当たると痛いので黙る事にした。

「……後は休み時間に」

 絵美がこっそりと、俺に耳打ちした。

 休み時間は、転校生の掟のように他の生徒が絵美の机に群がり、質問責めの嵐だ。話をする事など、ままならなかった。その中、生徒の隙間から、絵美が顔を覗かせ、

 “帰りね。”

 そう、彼女の唇が動いた。

 俺はとんでもない幸運な男だ。ただ隣の席、近所に住んでいると言うだけで、こんな美少女と帰路を共にできるのだ。

 それからの授業の記憶は曖昧で、早く下校時間にならないかと心の中で祈っていた。そうしてとうとう下校時間になり、鞄を手にした絵美が、近付いてきた。

「よろしくね」

 と、はにかんで笑う。

「あ、あぁ」

 俺は頭を掻き、共に下駄箱へと向かった。葛城と橘なので、それぞれ別の場所にある。

「橘さん、また明日ね!」

 絵美の肩を叩き、女子が去っていく。同性同士と言うものはなんとうらやましい事だろう。靴を履き替え、絵美がこちらへ駆けてくる。そうして、

「ほな、行こか──あ!」と、口を塞ぐ。「ごめんね、どうも訛りが……」

「謝る事じゃないよ」

 俺は言った。鈍り気味の美少女、とても素敵です。

 校門を出てすぐのバス停で、バスを待つ。坂の上にある学校からは、夕暮れが町へ広がって行くように見える。それはやがて、坂を上り空気のように下校する生徒たちの上に降り注ぐ。絵美の顔も、茜色に染まっていた。

「どこで降りるの?」

 絵美が俺を見上げる。

「ん? 西町三丁目かな」

「本当?! 私も同じバス停だ」

 俺の方こそ本当?! と驚きたい。そう言えば、この前の日曜日に引っ越し業者が近くに来ていたな。それが絵美の家だったのか。それこそ本当に運命だ。

「近所にクラスメイトがいるなんて心強い。良かった!」

 と、絵美は笑った。その時バスが来て、二人でバスに乗り込む。先払いのバスは初めてだったのか、絵美は戸惑った様子だった。ほどほど混んでいるバスの中で、つり革に掴まりながら、

「ドキドキしちゃった」

 と、言った。

「言えば良かったな」

「うんん、大丈夫」

 ありがと、と彼女は続けた。

 バスの窓越しに見る、移り変わる風景の中に俺と絵美がいる。他の乗客など目に入らない。二人だけの世界になったようだ。

「次は西町三丁目ー、西町三丁目ー。お降りの方はボタンを押して下さい」

 と、勝手な妄想を遮るようにアナウンスが入る。終わってしまう。いや、始まるのか? 明日からきっと、同じバスになるだろう。

 これが、前世の恋人、橘絵美との初めての交流だった。

その後共に通学をするようになり、さまざまな事を語り合った。絵美の父方の家は古い京都の家柄で、次男だった絵美の父親は、家を飛び出し、学芸員になったのだと言う。それから、西にあった研究の拠点が東に移り、引っ越して来たらしい。しがないサラリーマンの俺の家とは全く違う。

「絵美の将来の夢は?」

 と、俺はバスの中で尋ねた事がある。もう友達以上恋人未満の頃だった。

「んー、なんだろう」絵美はしばらく考えた後、「やっぱりお父さんに続いて学芸員かな」

「そうか」

 俺が言いかけた時、

「あー、でも違う! お父さんと同じやない。博物館の学芸員になりたい」と、訂正した。顔は紅葉が散ったように赤い。「隼人は何になりたいってある?」

 将来か。考えた事もなかった。そんな自分が急に恥ずかしくなってきて、考え込むように顔を俯かせてしまった。絵美はそれを察したようで、

「まだまだ時間は十分にある。ゆっくり考え給え」

 と、鼓舞するかのように俺の背中を叩いた。

 将来は銃士になってあなたに似たお姫様を護っています、そう、今では言える。これが将来なのかは知らないが。

 手を伸ばそうとももう届かない、遠い日の追憶だ。

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