第11話 海を眺めて

 明くる日、カモメの声で目が覚めると、太陽が真っ直ぐに丸窓から入り込み、眩しい程だった。眩しさを堪え外を見ると、澄み渡った青空と、果てしない水平線がある。

航海二日目の朝だ。

 自室の扉を開けると、マウロ以外のメンバーは揃っていて、談笑に花を咲かせていた。

「おはよう」俺が言うと、皆振り返りそれぞれ挨拶をする。「あれ、マウロは?」

「まだ寝ているんだろう」その問いに、オリヴィエが答えた。「昨日は遅くまで、俺とカルタ賭博をしていたからな」

 そう言いながら、昨夜にせしめたと言う煙草を机に並べている。アイリスが興味深げに見ていますよ、隊長。

「そんな長い時間やっていたのか?」

「まぁ良いじゃないか」

 と、会話をしていると、噂のマウロが眠たそうにリビングへあらわれた。

「おはよう……」

 既に瞼が落ちかけている。これは大分眠そうだ。

「あぁ、おはよう」オリヴィエが顔を上げた。「大分眠たそうだな」

「昨日ほとんど寝かせてくれなかったのは誰だ?」

 意味深に聞こえるが、これはカルタ賭博の話だ。丁度朝食が運ばれて来たので、マウロはそのまま昨日の位置──一番端へ腰をかけた。

 朝食は、オムレツとバケットパンだ。この時代に火を貯えて走る事のできる船は存在するのか? 俺がそんな顔をしていたのを目にしたのか、船員はにこりと笑って、

「この船は、大きな窯を積んでいるんです」

 と、答えた。

 やはり異世界。獣人のいるただの十七世紀ではないらしい。

「美味しそうね」

 食事を見て、アイリスが感嘆のため息をつく。確かにオムレツはふわふわ、パンはカリッとしている。オムレツはナイフで一筋線を描けば、花が開くようにスクランブルエッグになる。それをパンに乗せて口に運ぶと、オムレツのバターの匂いが鼻に運ばれて、やがて口内にたどり着く。美味いの一言だ。

この世界に来てから、美味しい物ばかり食べているような気がする。野宿になった時に不安になるのは、アイリスも俺も同じだろう。

 いや、皆同じかもしれない。

「旨い、旨い」

 マウロが本当に美味しそうにオムレツを頬張っている。フランシスも無言だが、美味しさを実感しているかのように身を奮わせている。ふと見たオリヴィエは、既に料理を平らげていた。ソファから見える尻尾の先を、満足げに揺らしている。マントを羽織っていないので、尻に開いた専用の切れ込みの隙間から、皆尻尾が見えているのだ。

 オリヴィエは長毛種のふさふさとしたそれに、フランシスは長くゆらりとした尻尾、マウロは短く、まるでこん棒のような曲がりくねった尻尾だ。

 まぁ、尻尾の話は置いておいて。“王宮を護る銃士隊”と言っても、給料はさほど高くはない。家で飯を作らない者が多く、大抵は外食や酒代、気休めの賭博代で消えてしまうのだ。

 朝食を終えると、待っているのが退屈と言う名の悪魔だ。トランプでポーカーをやろうと言う誘いを断り、俺は独りデッキへ出た。この星は丸いのだと知らしめられる弧を描いた水平線に、数羽のカモメが雲一つない空を行く。少し離れた所を飛ぶ大きな翼を持つモノは、ドラゴンだろうか。

 その時船室の扉が開く音がした。どうせフランシスか誰かだろうと俺は振り向く事をせず、ただ前方に広がる海を臨んでいた。魚の群れの上に、鳥たちが群がっている。

鰯だろうか? 鯵だろうか?

「見て、鳥が魚に群がっているわ」

 ──え。

「ひ、姫様?!」

 やって来た影のその正体に、俺は驚いて思わず毛を逆立てていた。声の主──アイリスは、そんな俺の態度に、不思議そうな顔をしている。

「何? 王族が客室から出てはいけないと言う、法律でもあって?」

「そのような事は……」

「じゃあ良いわ。一緒に海を見ましょう」

 と、俺の横でデッキの手すりに寄りかかった。少し緊張するな。

「あの、」と、俺はずっと気になっていた事を語りかけた。「お父様、お母様の前では申し訳ありませんでした!」

「あぁ、あの試合の事かしら」短く切り揃えた髪を弄りながら、アイリスは言う。「気にしてないわ。私こそ酷い態度をとってしまってごめんなさい」

「そんな、謝らないで下さい」

俺は顔の前で手を振った。するとアイリスは微笑すると、再び前へ目を遣った。

「ドラゴンも飛んでいるのね」

 と、空を仰ぐ。

 ドラゴンは遥かな空を、その翼で抱いているように羽ばたく。それは遠く、やがて視線から離れていった。

「何かしら……なんだか寂しいわ」

アイリスは言葉を紡ぐ。

「ご心配なく。姫様には我々銃士隊がおります」

「違うの。私には、私だけの護衛が欲しい……悲しい時とか、共に悲しんでくれる者が」

「それは……」

 それは友と言うものですよ、そう言いかけた唇を閉ざし、アイリスを見る。町に住む子供すら知っているその言葉を知らずに育った彼女が、少し切なく思えた。

 俺が言葉を閉ざしたまま時は過ぎる。潮風は心地よく吹き、海に反射した太陽光が眩しい程だった。

アイリスは気が付いてないと思いたいが、実は心臓の鼓動が止まらない。前世の恋人だった絵美にそっくりな姫が傍らにいるのだ。それも愁いを帯びた横顔で。男としてドキドキしない訳がない。

「そ、そろそろ船内に戻られませんか?」

 まずい、どもってしまった。

「もう少し、このままでは駄目?」

 と、アイリスは無邪気に聞いてくる。駄目ではない。むしろ嬉しいです。しかし相手は一国の姫─そして婚約者もいる─なのだ。たかが銃士一人が相手になれる訳がない。

諦めるんだね、そう言ったフランシスの言葉がよみがえる。まさに、禁断の恋だ。

そう言えば、俺が死んだ後、絵美はどうしたのだろう。別の恋をして、結婚をして、平和に暮らしているのなら何の文句もないのだが。

まぁ、それは気にしても仕方がない。俺はもう、シャルルとして生きているのだから。

「風が気持ちいい」と、アイリスは目を細める。「船内だと楽しいけれど息がつまるわ」

 それは俺も同じだ。

 王族に庶民のいけない遊びを教える隊長さんがいる所に、まっさらな心を持ったアイリスを投げ込みたくはない。かといって胸の鼓動は止まることを知らず、いつばれてしまうか逆にドキドキものだ。

「ねぇシャルル、こっちを向いて」

 と、言う弾んだ声に従って横を向くと、指で口を無理矢理横に開かれた。その態度に俺が呆然としていると、指は外されたが、代わりに顔やら耳やらをもみくちゃに弄くられた。ジャスミーヌ妃と同じく、クォーツ王家出身の人間は獣人を触りまくるのが好きなのだろうか。

 と、言うか身近な動物を撫で回すのは人間の性だろう。そう考えてみると、絵美は犬や猫を見かけるとのべつまくなしで突進していっていたな。懐かしい思い出だ。

「ありがとう、夢だったのよ」

 散々撫で散らかした後、アイリスはそう言った。

「ははは……」

 俺は真顔で笑った。これは相当くしゃくしゃにやられている。あとで毛づくろいしなければならない。フランシスが喜んで手伝ってくれる事だろう。

「入りましょうか、船の中に」

 と、アイリスは言った。王族は気まぐれだ。

「は!」

 俺はアイリスの前に行き、扉を開く。船内でポーカーをしていた三人が、振り返った。訂正しよう。三人じゃない。フランシスは見ているだけだ。

「随分長く外にいたねぇ」フランシスが立ち上がり、こちらへと近付いて、いくぶかしげに上目遣いで俺を見る。しかしくしゃくしゃになった俺の毛に気が付くと、声を潜め「あとで毛づくろい手伝ってあげるよ」

 と、にやりと口角を引き上げた。何をされるんだろう。怖いな。

「ポーカーですが、やられますか? 姫様」

 オリヴィエが尋ねると、

「良いわ。部屋でゆっくりしたい」

 自分の部屋に入ってしまった。

「お疲れさん」

 アイリスの部屋の扉が閉められた後、俺に向かって、マウロが言った。

「毛づくろい、しよっか」

 と、フランシス。

「余りいちゃつくなよ」

 オリヴィエが釘を刺した。助けて下さい。

「じゃあ部屋でやろう!」

 いや、そうじゃない、と、ここにいる三人が同じ思いだろう。思わずオリヴィエに助けを求めたが、視線を反らされてしまった。冷たいです、隊長。

 こうして俺はフランシスに引きずられ、己の部屋に入った。彼が、始終笑顔なのが怖い。長い尻尾もゆらゆら揺れている。

「手だけじゃ整いそうもないね」

 頬を舐めながら、フランシスは言う。

「大丈夫だ」

 舌で手を濡らし、耳に当てて後ろへ撫で付け、俺は言った。猫が顔を耳まで洗うと雨が降ると言うが、これは違うだろう。これで本当に雨が降ったら謝罪ものだ。

 猫は好きなものを舐めるのがスキンシップとするらしいが、それは獣人でもあるのだろうか。少し、前世でテレビのニュースで見た、仲間の毛づくろいを手伝う猿を思い出して、似たようなものかと勝手に納得した。

 だんだんと乱れていた毛も整ってきて、俺はフランシスに大丈夫だと言う折りを伝えた。

「えー、まだ一緒にいたい。リビングは煙草臭いんだもん」

 と、駄々を捏ねる。子供ですかあなた。

「なんで俺なんだ?」

 そう尋ねると、

「運命?」と、なんだか残念な答えが返ってくる。「田舎臭いキミと銃士隊詰所で初めて目があった時から、ときめきが止まらなくなって、あぁ、ボクの相手はこの猫しかいないって思ったんだ」

 これは困った。と、俺は頭を抱えた。俺と絵美の出逢いも、そんな流れだったのだ。

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