第10話 戦いのあと
「こいつら、どうする?」
戦いが終わり、海賊船が去って行くのを見て、デッキに残った死体を顎で指し、フランシスが言う。
「海にでも棄てておけ」
死んだ海賊を担ぎ上げ、海へ投げ落とし、オリヴィエは答えた。
「えー、重い」
死体を足先でつつき、フランシスは頬を膨らませる。
「俺がやるから大丈夫だ」
マウロが二人の間に入り、死体を海へと投げ落とした。ばしゃんと言う音がして、死体は海の上でプカプカと浮いている。余り見たくはない光景だ。
「余り見るな。吐くぞ」
海に浮かぶ死体をしげしげと見ていると、オリヴィエが忠告した。それは困る。と、俺は顔を上げた。
「ありがとうございます……」
一人一人の手を握り、船長が礼を言う。
「この辺りには海賊が?」
俺が言うと、
「はい、しかし先程の船から、海賊たちが使うコミュニティでこの船にあなたがたが乗っている事が広まるでしょう。恐らくもう襲ってこないかと」
兎も角、ありがとうございますと船長は再び俺の手を握った。
船内に戻ると、不安げな面持ちをしたアイリスが、俺たちを出迎えた。
「怪我はない?」
と、彼女は言った。記憶が戻ってから初めて逢った時分より、優しくなったように見えた。人とは変わるものだ。
「大丈夫です。ご安心下さい」
オリヴィエに代わり、俺が答える。たまには、良い格好をさせてくれ。
「良かった、安心したわ。でも……血だらけね」
「あ、すみませんっ」
アイリスに言われるまで気が付かなかった。置かれた鏡を見てみると、べっとりと血飛沫が飛んでいる。他の皆も同じようで、荷物から着替えを取り出し着替え始めていた。裸──と、言っても猫なので毛むくじゃらで、いやらしくも何ともない。
「見ぃたなー?」
カーテンの影で着替えていたフランシスを思わず見付けてしまい、睨まれた。まだ顔に血が飛んだままだ。それは毎回欠かせない毛づくろいで取れるだろう。
オリヴィエの金の毛にも血が付き、彼の強さ──銃士隊隊長である所以を感じさせた。恐らく一番多くの海賊を倒している。長毛種は毛づくろいが大変だろう。
「オリヴィエ、血はどうするんだ?」気になって、思わず俺は尋ねた。「かなり飛んでるぞ」
すると彼は肩を竦め、
「船の上じゃなければ風呂にでも入れるが、ここじゃあフランシスのように毛づくろいしかないな」
と、笑った。
マウロを見ると、彼は顔には返り血をほとんど浴びていなかったが、こん棒についた赤い血と、脱いだ衣服や死体を海へ投げ込んだ時に染みた血液が黒くなり始めている。幸いこん棒には背負う用だった布を巻いてあるので、大元のこん棒は汚れていないのだが。巻いた布を外し、新しい布を荷物から取り出す。包帯のような、細長い布だ。仮縫いされた先端を牙で噛み切り、マウロは再びこん棒を布で巻き始めた。
って、言ってる間に俺も着替えなければならないぞ。急いで衣服を脱ぎ、まだ新しい白いシャツの上に、十字を描いた朱いヴェストを着込む。その下に白いズボンと、ブーツ……ズボンとブーツは汚れていないから大丈夫か。それから黒いマントを羽織った。よし、完璧だ。
その時扉が開かれ、
「本当にありがとうございます。お食事をお持ちしました」
余程感謝される事をしたのか、船長自ら、食事を運んで来る。
茹でたカニに、白身魚の刺身、海老のトマト煮……机の上にできあがって行く食卓に、俺たちは目を離す事ができなかった。フランシスも貴族と言えど、クォーツ国は山間に位置している。魚の刺身など見た事もないだろう。俺にとっては前世の記憶が戻ってからの初めての海の味なので、どこか懐かしさを感じた。
ここでは刺身は醤油ではなく塩で食べるらしい。ナイフとフォークで食べるなど、まして猫の手を使う事に慣れていない俺は、かなり気を使って食べる事になる。余り音を立てないように……うん、できる。
カニの足を取り、皮を軽く剥いてすすり上げる。味は変わらなく、美味しい。他の皆も満足した様子で、食事は無言で進んで行く。太陽が西に傾き始め、船内を茜色に染める。
「夜が近いのね……」
ふと、寂しげにアイリスは言った。
「夜はどのようなものにも訪れます。恐れられないように」
と、オリヴィエが言うと、
「ええ、そうね」
アイリスが静かに言葉を継いだ。なにかを言いたげだったが、それは彼女の喉の奥へしまわれてしまった。
食事が終わると、外は既に闇に包まれていた。船員がランプに火を点しにやってくる。丸窓から見た外は、月と星の明かりで輝いて見えた。
「もう寝るわ。お休みなさい」
そう言って、アイリスは寝室の扉を開いた。寝室は全員分ある。中々豪華な船だ。
オリヴィエとマウロを見ると、葡萄酒でご機嫌で酔っ払っている。ふと、フランシスがいない事に気が付き、俺は船内から夜の海へ出た。彼は船のデッキの手すりに身体を預け、見える事のない水平線を見つめていた。
「フランシス、」
と、俺が話かけると、
「シャルル」彼は俺の名を紡いだ。「どうかした?」
「いや、気が付いたらお前がいなかったから……」俺はフランシスを見る。「心配になったんだ、ただ」
「心配……? キミは本当に男殺しだね。いつも言って欲しい言葉を言ってくれる」
「そうか?」
俺が首を傾げると、
「まぁ、マウロのあの言葉には負けるけどね……」
彼は小さくため息をついた。
「マウロの言葉って?」
「まだボクが銃士隊に入って間もない、キミも入隊していない頃、貴族って事や、見かけで皆に倦厭されていた時があった。そんなとき奴が言ったんだ。”こんな良い奴なのに、何でみんな遠ざけてるんだ?”ってね」
成る程、マウロが言いそうな言葉だ。しかし何でその時マウロになびかなかったんだ? そんな疑問をぶつけてみようとした時、フランシスが俺の問いかけを悟ったように言った。
「脳筋はあんまり好きじゃないんだ。で、田舎から出てきたキミに恋をしたって事」俺の脳みそは筋肉じゃないと言うことか。「そしてボクとキミは同い年ー! 運命だね!」
照れ隠しのように、フランシスは俺に抱きついてくる。痛いって。こいつは自分の力の強さを知らないようだ。
苦しまぎれに天を仰ぐと、今まで見た事のないような星々が輝いていた。絵美が星座が好きだったので、良く語られた事を思い出す。この夜空はあの頃見上げたモノではないが、どこか、繋がっているような気もした。
「ほら、星が綺麗だ」
フランシスを引き剥がし、俺は言った。
「本当だ……」と、いまだ俺の腰へ手を添えたまま、フランシスは口ずさむ。そうして不意に、「ねぇ、キミはどこで産まれたの?」
と、言った。
えっと、どこだっけ。
隼人としては柏木病院の一号室と言えるが、シャルルとしては少ししか思い出せない。
推理してみよう。俺がシャルルとして産まれたとしたら、この時代から言って自宅だろう。それも母親の寝台の上。生まれ育った村はマーシ村だと思ったから、恐らくそこが俺の原点だ。
「マーシ村と言う田舎だよ」
俺は一杯一杯に答えを絞り出す。
「クォーツ国までどのくらい?」
フランシスが追い討ちをかけてくる。ドSですかあなた。
「馬で休まずに行けば四日程だと思う」
「へぇ、」俺の肩に頭を預け、フランシスは相槌をうつ。「ねぇ、シャルル。キミは親に愛された記憶ってある?」
「ま、まぁ、あるな」
母親の顔は思い出せない。思わず、隼人の記憶として話してしまった。
「ボクが産まれた日は前国王の命日でね。それにこんな不吉な姿だろ? すぐに親からも引き離されて、乳母にと家庭教師に育てられた。愛された記憶なんてないんだ」
「不吉だなんて言うもんじゃない。お前はお前だよ」
と、俺が言うと、
「そうかな……」
はにかんだフランシスの声は、少し泣き出しそうに震えていた。
「さあ船内に入って。凍えちまうよ」
「うん…」
彼の肩を抱き、俺は船内への扉を開けた。中に入ると、暖房がきいていて暖かい。その中でソファに座り、オリヴィエとマウロが、紙巻き煙草を賭けトランプでカルタ賭博をしていた。マウロは兎も角、オリヴィエは紳士的な雰囲気に似合わず、賭博好きの大酒呑みだ。賭博をアイリスに教えないだけ良いとしよう。
「お、来たか」
鼻を赤くしたオリヴィエが振り替える。
「お前たちも入るか?」
と、同じく鼻の赤いマウロが尋ねた。
「いや、俺は見てるだけで良い」
俺は言った。フランシスも、同意するように頷いている。
「つまんない奴ー」
と、先程の戦利品なのか、煙草を咥えたマウロが足をばたつかせる。
「あ、まだ賭けられるかもしれないだろ?!」
何食わぬ顔で煙草に火を点すマウロに、オリヴィエが、不機嫌そうに声を張り上げた。
「良いじゃねぇかよ、隊長」
山札からカードを取り、マウロは言う。良いペアが揃ったのか、彼は髭を上下させ、見るからに喜んでいる。トランプを使った、前世の世界で言う、花札に近いゲームだ。
「やっぱり呑気だねぇ」
と、フランシスがぼやいた。俺もそう思う。野宿もやむ終えないと言っていたのは誰でしょうね。
しばらく二人のゲームを見ていたが、眠たくなってきた。現に、傍らのフランシスはうとうとと櫂を漕いでいる。オリヴィエに助けを求めると、介抱してやれ、と言う眼差しで返された。
しょうがないな……。
「俺とフランシスは寝るから、二人も大概にしとけよ」
そう言って、再びフランシスの肩を抱いて彼の部屋へ入った。月明かりが寝台を統べる。布団を捲り上げ、彼を寝かせれば、微かな寝息が返ってきた。
「……お休み」
と、俺は彼の顔を一舐めして、まだ賭け事の続いているリビングを通り、己の部屋に入った。
部屋の中はフランシスの部屋と同じような作りで、寝台と簡単な机があるだけだ。俺は布団に潜り込むと、目を閉じた。……
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