第9話 船酔いと海賊と


「気持ち悪い……」

 と、俺は何度目かの海に向かってえずいていた。畜生、これが船酔いか。

「大丈夫?」

 フランシスが付き添い背中を擦る。オスじゃなかったら本当に嫁に欲しい。残念だ。

オリヴィエたちは、今頃船内でくつろいでいる事だろう。生まれつきと言っても、結構悔しい。

ふと空を見上げると、憎らしい程青く澄んでいる。と、そこまで思って、俺は再び下を向いた。

「薬、取ってくるよ」

 フランシスが言った。

「あ、あるのか?」

 すがる思いで俺は彼の服を掴む。

「一応持ってる」

「早く言ってくれ……」

「にがいよ?」

「この苦しみに変えられない」

「わかった」

 と、彼は船内に消えた。

フランシスがいなくなり、一人で海面と向かい合う。もう出すものも残っていないのか、唾液に混じった胃液が口の中で暴れている。

「はい、持ってきたよ」

しばらくして扉が開き、フランシスがスキットルに似た水筒を手渡す。

「ありがとう……」

 俺は答え、中身を飲み干した。確かににがい。漢方薬のようだ。しかしそれが喉元を通る頃には、苦しさは消え、爽やかさが込み上げて来た。

「元気になった?」

 さっぱりとした俺の顔を見て、フランシスは安心したように言った。

「あぁ、助かったよ」水筒を返し、俺は頷いた。もう気分は悪くない。何が入っていたのかは、聞くのが恐くて聞く事ができなかった。「船の中に行こうか」

「そうだね」

 俺は起き上がると、フランシスを伴い船内へ続く扉を開いた。

「お、船酔いは大丈夫になのか?」

 トランプを片手に、オリヴィエが俺を見た。隊員のピンチを他所にババ抜きしてやがりましたね、隊長。

広い船内はチェストの他に、長いソファや調度品が置かれている。チェストの上の壁には世界地図が貼られ、改めて己の存在がちっぽけなものなのかわかった。

「今どこら辺なんだ?」

 と、俺が聞くと、

「俺たちがいた大陸から少し進んだ所さ」オリヴィエが答えた。「この船で東の大陸まで連れていってもらえる」

「東の大陸まではどのくらいかかるんだ?」

「海流の具合でわからんが、一、二週間かかるな──って、立ってないで座れよ。ふかふかだぞ」

 アイリスの手札へと手を伸ばしながら、オリヴィエは片手でソファを叩いた。その言葉に従い、ソファへと腰を下ろす。うわ、本当にふかふか過ぎて沈んでしまいそうだ。

「ちょっと待ってろ。次のゲームからは参加させてやるから」

 二枚になった己の手札を確認しつつ、マウロが言った。確かに、半円を描いたソファの中央に置かれた机の上には、カードの山ができている。ここは隣に座り、腕を絡めてくるフランシスと共に、ゲームの終わりを待つとしよう。

「上がり!」

 嬉しげなアイリスの声がする。すっかり庶民に染まってます、姫様。

 あとはオリヴィエとマウロの一騎討ちだ。二人とも一歩も退かず、ジョーカーがひたすら回る様は逆に滑稽だった。やがてゲームはマウロの負けで終わり、彼は軽く舌打ちしてトランプを集め、切り始める。

「今度は五人だろ?」

 カードを配りながら、マウロは言う。ババ抜きは余り得意ではないが、既にカードが手元に貯まっている。強制参加ですか。

 回って来たカードを見ると、まずい。微かに己の髭が動くのがわかった。不幸の女神は俺に微笑んだようだ。

ペアを互いに出しあい、カードを減らす。勿論俺の手札も減って行く。人数が多い所為か、いつの間にか手札は四枚になっていた。順番は前回負けたマウロからで、彼がアイリスのカードを取る所から、ゲームは始まった。

俺は一番端のマウロへと腕を伸ばし、彼のカードを取る。スペードのジャック。ペアができた。手札は残り三枚になった。フランシスが俺の手札を見る。そうしてためらいなく──ハートのエースを取っていった。

ジョーカーを持っていないのに、思わせぶりをするフランシスに惑わされながら、オリヴィエが慎重にカードを選ぶ。ジョーカー保持者の俺としたら、とんだ茶番劇だ。

アイリス、マウロと続き、再び俺の番が来る。更にペアができる。残り二枚。これは単なるカードゲームだ。これでフランシスがジョーカーを引けば……少しジョーカーを上に持ち、俺はフランシスと向き合う。果たして彼は──クローバーの8を持っていった。手札はジョーカーのみとなる。やはり違うかぁ。しかし、

「お、シャルルはあと一枚か」

 と、オリヴィエが言う。フランシスに惑わされている彼は、どこか震えた声だった。彼の手札は二枚だ。どちらと言えばあなたの方がジョーカーを持っていない分余裕がありますよ。

 ジョーカーが回るのも大変だが、一人にだけ持っていると言うのも面倒だ。はい、俺はジョーカーに愛された猫です。

「上がり!」

 アイリスの声が聞こえる。姫様、強すぎます。

「強いねぇ」

 と、感心したように、しかしどこか皮肉めいてフランシスは言う。ジョーカーを彼が持っていると確信しているオリヴィエが、その背後でびくりと肩を上下させていた。

 オリヴィエからカードを取ったマウロが首をかしげている。ジョーカーはここにあります。クイーンよ出ろ。俺はそう思いながら、マウロのカードを取った。取ったカードは……クイーンだ! ペアができ、フランシスには悪いが、俺は残る所ジョーカーのみだ。上がれる。そう思った時──

「海賊だー!」

 デッキから声が聞こえ、船員が扉を開け、部屋へと入ってきた。

「海賊だって?」

 オリヴィエが立ち上がる。ドン、と音がして、船が揺れた。カードが机からばらばらと溢れる。大砲だろうか。

「はい、危ないので掴まっていてください」

 船員は早口に言葉を紡ぐ。

「おい、近付いて来てるぞ!」丸窓を覗き、マウロが叫ぶ。「やつら、乗り込む算段だ」

「よし、行くぞ!」

オリヴィエが勇ましく言った。

「私も行きます」

 アイリスが立ち上がり、はしたレイピアの柄を掴む。

「姫様は船内で待っていて下さい。あなたを護るのが私たちの仕事です」オリヴィエがアイリスへ跪き、「私たちは負けません。安全な場所で、どうかお待ちください」

「──わかりました。どうか、あなたたちも怪我のないように」

 皆を見回し、アイリスは言った。

「は!」

 皆で声を合わせ、デッキへと出る。既に海賊たちは渡板を掛け、乗り込んで来る所だった。

「持ってる金品全部よこしな、あといれば女もな」

 などと、ドーベルマンの海賊が言う。切り込み隊長だろうか。

「それは断る」

 と、オリヴィエがレイピアを取り出した。

「なんだお前、銃──」

 海賊が全ての言葉を発する前に、オリヴィエのレイピアがその心臓を突いた。しかし相手も海賊だ。倒れたドーベルマンを下敷きに、どんどん船へと乗り移って来る。

振り下ろされたシミターをかわし、オリヴィエと同じくフランシスはレイピアを海賊の心臓へと突き刺す。マウロは目の端でこん棒を振り回し、海賊たちを海に落として行くのが見えた。やはり強いな、みんな。

俺も負けてられないと、目前に迫ってきた海賊の一人の胸元を目掛けてレイピアを一突きした。

「こいつら強え……」

 海賊たちがにわかに怯え始める。そうして、

「ひ、引けー!」

 と、自らの船へと飛び帰っていった。

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