第8話 道化師


翌朝、宿と隣り合った家の木になった、果実目当てに集まって来た小鳥たちの声で目覚めると、オリヴィエが先に目覚めていたようで、既に支度を整え寝台に座っていた。

「おはよう」

 俺が言うと、

「あぁ、おはよう」と、彼は答えた。「早く起きすぎてな。横たわっているのも何だから、先に準備をさせて貰ったぞ」

「そうか。今何時──」

そこまで言いかけ、俺は口をつぐんだ。この世界に、時計は無いのだ。人々は日が昇ると目覚め、夜が来ると眠る。そんな古き良き時代だった事を思い出す。

「どうした?」

 オリヴィエが不思議な顔をしてみせる。

「いや、何でもないよ」と、俺は顔の前で手を振った。「そろそろ皆を起こそうか」

「そうだな──俺がフランシスとマウロを起こすから、姫様をよろしく」

「わかった」

 俺は立ち上がり、アイリスの眠る寝台へと近付いた。被った布団の上から、軽く揺り起こす。微かな声が聞こえ、アイリスは布団を退け、俺を見た。

 そうして、起き上がり寝惚けたように、座り辺りを見回すと、再び、俺を見た。なんだか絵美を起こしているような感覚だ。俺は少し戸惑った。共に夜を明かした恋人同士のような気がして来る──そんな思いがふと頭に浮かび、慌ててかき消した。

「ん……シャルル」

 今度はしっかり俺をその瞳に映し、アイリスは俺の名を口にした。

「姫、朝です」

 起きてください、と、俺は言った。

「おはよう。……あっ」

 アイリスは回りを見回し、慌てて髪の毛に触れる。そうして髪を切った事を思い出し、ほっと胸を撫で下ろしたようだった。そうして寝台の縁に腰かけた。ブーツを履く為だろう。

俺はマウロとフランシスを見た。二人とも起きたようで、フランシスは毛づくろいを、マウロはこん棒を背負う準備をしている。あとはアイリスがブーツを履き終え、マントを羽織るだけだ。己が一番遅れている事に、アイリスは申し訳なさそうな様子だったが、違うんです。銃士隊員は普段から、国のピンチに備え、いつでも戦いに行けるように準備が早い上、その中でも更に準備が早い連中が集まっているだけなんです。

「い、行きましょう」

 焦りを隠しきれず、アイリスは言う。寝癖がふわふわと立っている。

「髪、立ってるよ」

 誰も言い出せない中で、フランシスは一人アイリスの髪を撫でた。

「ありがとう」

 撫でられた場所を己でも何度も繰り返し撫で付けながら、アイリスは片手で荷物を持った。


 馬を連れ城下町の門を出た時、オリヴィエがアイリスへと振り向いた。

「今日はどちらを目指されますか?」

 その言葉に、アイリスは少し悩み、言葉を継いだ。

「余りお父様の縁を頼る訳にはいかないから……どうしましょう」

 いやいや姫様、頼っても良いんですよ? むしろそっちの方が安全ですよ? それを言い出そうか皆が困惑していた時、マウロがトランプを手に、アイリスへ近付いた。

「これは庶民のやり方だが、トランプに頼ると言うやり方もありますよ」

「トランプ?」

 肉球の上に乗ったカードの山に、アイリスは思わずおうむ返しに尋ねた。と、言うか旅先でカード賭博でもするつもりでしたかマウロさん。

「1、2、3が出たら北、4、5、6が出たら南、7、8、9が出たら東、10、11、12が出たら西を。皆でそれぞれカードを引いて、出た一番多い数の方角を目指すんです。誰も責任を負わないやり方だと思いませんか?」

「そうね、そうしましょう」

 アイリスが頷いた。そうして裏側に扇状に広げられたトランプを、一人ずつ引き抜いていった。

 俺のカードは6番──南だ。

「俺は7だ」

 引いたトランプを表にして、オリヴィエが言う。

「ボクは4だよ」

「俺は3だったぜ」

 フランシスとマウロがそれに続く。残るはアイリスだけだ。

「キャ!」

 彼女の悲鳴が聞こえたのはその時だった。見ると、震える手の中にあるカードは、不気味な道化師──ジョーカーだった。

「ジョーカー? 入れた覚えはないんだがな」

 マウロは首を傾げる。

「恐いわ……」

 アイリスは声を上ずらせた。

「姫には我々がいます。ご安心下さい」オリヴィエがアイリスに跪き、手を取りその甲へ口付けた。「じゃあ、一番大きな数は──俺の7か。東で決定で宜しいですか?」

「……はい」

 アイリスは静かに答える。未だ先程のショックが大きいのか、その声は、いつもの誇り高い一国の姫とは思えない程小さなものだった。

「さぁ、行こう」

 馬にまたがり、落ち込むアイリスを鼓舞するかのようにオリヴィエは言う。アイリスも馬へ乗り、同じく馬に乗った俺たちを見回した。

 こうして、城を出た時と同じ配列で、俺たちはオリヴィエの先導で東へ向かった。東へ向かう草原には、一つ二つ高いレベルのスライムやモンスターが生息している。マウロがこん棒を振り落としてスライムを潰し、胃の中の瓶入り回復薬や金をオリヴィエが拾い、皆に分ける。只の回復薬の他に、毒消し薬や麻痺治し……この辺りで生き絶えた奴、良いアイテムを持っているなぁ。

「手伝えよ」

 馬の上でぼんやりとしていると、オリヴィエが言った。

「ベトベトはやだ」

 と、フランシスはそっぽを向く。これは俺しかいないじゃないか。仕方なく馬を降り、オリヴィエと共にマウロが潰していったスライムの跡を探り、アイテムを探す。

「これとこれを姫様に」

 回復薬と麻痺治しを手渡され、そのベトベトぬるぬるに一瞬背中が凍る。以前オリヴィエから渡された時はそんなに気に止めていなかった。良く見れば、彼が己のマントで胃液のベトベトを軽く拭いていたのだ。しかし良くそんな事できるな。本当に感心する。

俺も回復薬と麻痺治しをマントで拭き、アイリスへと手渡した。

「ありがとう」

 と、彼女は笑みをこぼす。この笑顔の為なら何だってやりますよ。

 一通りアイテムを手に入れると、再び馬に乗り、東へと駆けた。

「東には港町があります。船に乗る事もできますが、いかがなさいますか?」

 道すがら、オリヴィエがアイリスに問うた。

「そうね……船に乗ってみたいわ」

 アイリスは声を弾ませる。

 クォーツ国は山の下に建てられた国なので、そこに住む人々の殆どが海を知らないで育ち、老いてゆく。王家と言えど、海は遠くに見た限りだろう。海かぁ、中学生から行ってないな……。

「港って、魚料理が大量にある所なんでしょ?」

 と、フランシスが言った。そう言えば彼はクォーツ国の貴族の三男坊だった。オスの三毛猫として生まれ落ちた彼は、厄災が起きると予言され、外にも出られず、ただ図書室で読む本と、レイピアの扱いに長けた使用人の元、育てられたのだ。

 彼が銃士隊に入りたいと懇願し、親が承諾した理由は定かではないが、厄介払いだろうと、皆は思っている。

 やがて、遠くに町らしきものと、風になびく大きな帆が見える。港町が近付いてきた。


 馬に乗ったまま、町へ足を踏み入れる。ふわりと汐の匂いがする。小高い丘に沿って扇形にレンガ造りの家が建ち並ぶ姿は、圧巻だった。町中は所々裏路地が走り、何よりも坂が多い。そして……

「海だわ! 船もある!」

 アイリスのはしゃいだ声が聞こえる。この声が聞きたかったんです、姫様。

早速船着き場へ行き、東へ行く船便がないか、オリヴィエが聞いている。その間も、アイリスは子供のような眼差しで船を見つめていた。

「王族とは言え、まだ18歳だからねぇ」

 そんなアイリスの姿を見て、フランシスがひとりごちる。ここで改めて、アイリスの年齢がわかった。

18か──絵美と同い年なんだな。この世界では俺は確か22歳だったな。ここでは獣人も人間と同じように歳をとる。4歳差か……しかし相手は王族だ。思い出せないが、きっと婚約者もいたりするのだろう。

ここは詳しげな奴に聞いてみるか。

「なぁ、フランシス」

「何?」

 詳しげだが、こんな質問をしたら、嫉妬でもされそうだ。

「アイリス姫に婚約者はいるのか?」

 我慢しきれず、俺は禁断の質問を彼にした。

「いるに決まってるじゃないか。ボニファーツ・レオンハルト・シュトゥーベン伯だよ。アイリス姫が旅から戻り次第クォーツ国に婿入りするんだ」

 諦めるんだね、と、彼は続けた。

「そうかー……」

「残念だったね、でもキミにはボクがいるから」

 と、肩を叩かれる。嬉しくもなんともない。

「何してるんだ、行くぞ!」

 オリヴィエの声がする。どうやら交渉が上手くいったらしい。アイリスとマウロが馬から降りて船に乗り込む姿が目に入った。

「はぁい」

 フランシスが軽く返事をし、二人して下馬して、人込みの中を歩き始めた。そう言えば船なんて、隼人の時でも乗った事はなかったな。クラスメイトが船酔いが辛いとかなんとか言っていた気がした。

 中々大きな船だ。タラップに足を乗せると、ぎしり、と軋む音がする。どうか船酔いだけはしないように、神様お願いします。……


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