第7話 イサファ国にて
「大蜘蛛に気を付けて下さい。また先程のように吊り上げられてしまいます」
振り返りつつ、オリヴィエが言った。
「わかっていますわ。こちらも振り回されず剣を抜きます」
いやそうじゃない。彼は刹那そんな顔をしてみせる。
やがて日の光が見えてくる。深い森を抜けたのだ。
森の外は、壮大な草原だった。少し行った先に、城と城下町を囲う壁が見えた。
「あー、毛づくろいしたい」マントをパタパタと叩き、張り付いた葉や小枝を落としながら、フランシスは言った。「モンスターの返り血や葉っぱやなんかでうんざりだよ。だから森は嫌いなんだ」
「もうすぐ国に着く。宿屋でやればいい」
と、俺が言うと、
「駄目よ、着いたらおば様に皆で謁見しないと」
アイリスが言葉を継いだ。
「じゃあこのままで良いの?」
「そ、それは……」フランシスの言葉に、俺たちを見回しアイリスは言いよどむ。それからしばらく悩んでいる様子だったが、すっと顔を上げ、「私たちは旅人。このままで行きましょう」
と、言った。
「わかった」
呆れたようにフランシスがため息を吐く。結構ぼろぼろになっているけれど……本当に良いのか?
門が見えてくると、アイリスは馬から降り、門番へと話しかけた。
「クォーツ国から来ました。アイリス・ド・ラ・マラン・クォーツです。ジャスミーヌ妃に謁見を」
狼の門番たちは顔を見合せ、
「クォーツ国の姫が近々国の規定で旅立つとは聞いていたが……まさかあなた様が?」
「そうです。お父様からの首飾りも持っています」アイリスは首に下げていたネックレスを見せる。「門を開けなさい」
「は!」
半分疑っていたのだろう門番は、ネックレスを見た途端、慌てて門を開けた。
「さぁ、行きましょう」
手綱を持ち、馬を引きながら、アイリスは言った。俺たちも馬から降り、手綱を持ち、町へと入った。
町はレンガ造りの家々が立ち並び、噴水広場の前には市場が開かれている。それを横目で通り過ぎ、城に向かった。城は町の一番奥に位置するひときわ大きな建物で、二つの塔を抱くように、居城が存在していた。
先程の狼の門番からの情報が早かったのか、城へはなんの苦労もなしに入る事ができた。開かれた扉の向こうから、従者らしき羊が駆けてくる。
「これはこれはアイリス様。お久しゅうございます」
「久しぶり、ミーメ。おば様は?」
「先程門番たちからの報告があってから、いまかいまかとお待ちしておりますよ」
ミーメと呼ばれた老羊は笑う。
「そう。早く逢いたいわ」
「ではこちらに……」ミーメは道を開ける。彼女に続き城の中を行くと、やがて豪華な装飾の施された扉の前まで案内された。ミーメは幾度かその扉を叩くと、「ジャスミーヌ様、アイリス様がいらっしゃっております」
「お入りなさい」
柔らかな声が返ってくる。
「それでは、失礼します」
アイリスは扉を開ける。日のあたる部屋の中、一人の女性が佇んでいた。金の髪を結い上げ、首には何十にも重なりあったネックレスが飾られている。ドレープの入ったドレス姿が、至極印象的だった。
「まぁアイリス。久しぶりね。元気そうで良かった」
「おば様こそ、いつまでもお変わりないようで」
アイリスの言うように、ジャスミーヌは確かに年齢を感じさせない。
「ミーメから伝言があったけれど、貴女は今旅をしているのでしたっけ」
「クォーツ国の掟です。偶々私が女であっただけです」そうしてアイリスは羽帽子を取った俺たちを手で指し示し、「こちら、父が護衛につけてくれた銃士隊の猫たちです。右から、オリヴィエ、フランシス、マウロ、シャルルですわ」
「姫様の旅の手助けになればと思っております」
と、俺たちを代表してオリヴィエは跪いた。
「まぁ! 可愛い護衛さんだこと」ジャスミーヌ妃はおもむろにフランシスへ手を伸ばし、「ちょっとだけ、触ってみてもいいかしら」
と、言った。この世界にも、もふもふに弱い人間は多いらしい。
「──くっ」
フランシスは触られる事も苦手な上、女性が余り得意ではない。彼は一瞬身を竦め、オリヴィエへ助けを求めるように彼を見遣る。我慢しろ、と、オリヴィエの口が動いた。それにこくこくとフランシスは頷いた。
「柔らかいわ……」
フランシスの顔を撫で回し、ジャスミーヌ妃は言う。早く止めてあげて下さい。フランシスは必死なんです。
ようやく手が離れた時、彼は俺の腕の中に崩れ落ちた。目が虚ろになっている。これはあとで愚痴をさんざん聞かされる予感だ。
「アイリス、この国にはどのくらい滞在するつもりなの?」
と、ジャスミーヌ妃が首を傾げた。
「明日には出発しようと思っています」
アイリスは言う。
「そう、残念だわ。もっとお話できると思ったのに」
「私たちは旅人です。余り一つの所に滞在する予定はありません」
「わかったわ。また旅から戻ったら、旅のお話、聞かせてね」
「はい!」元気よくアイリスは返事をした。そうして踵を返すと、「行きましょう」
と、俺たちを見、歩き出した。
来た時と同様に、ミーメに導かれて城から町へ出る。日は傾きかけていた。急いで宿を探し、丁度あった五人用の部屋に入る。一緒に泊まる相手が猫なので、アイリスも気にしないようだ。
部屋に入った途端、フランシスは俺に抱きついてきた。
「もうやだー、森じゃ蜘蛛の巣だらけになるし、顔をもみくちゃにされるし! あの女ボクを普通の猫だと思って」
「猫だろ」
と、オリヴィエ。
「立って歩く猫だよ。獣人ってやつ!」
プライドの高いフランシスは、譲る気はないようだ。そんな二人の会話を余所に、マウロはスライムでベタついたこん棒を布で拭いている。巻き込まれてるのはフランシスに抱きつかれている俺だろう。甘えなのか、彼の腕の力は強まってきている。痛い。
「仲が良いのね」
と、寝台に腰かけたアイリスが笑う。
「そんな事……!」
オリヴィエとフランシスの言葉が重なり、彼らは顔を見合せる。フランシスは俺から離れ、
「け、毛づくろいしなくちゃ」
慌てたように言った。俺は託されたフランシスの脱いでいったマントを叩き、肩を竦めた。やがて食事が運ばれてくる。パンとクリームシチューだ。シチューにパンを浸けて食べると、中々美味い。
「これが下々の者たちの食べ物なのね……勉強しなくちゃ」
そう言いながらも、アイリスはパンをスープに浸す事を一瞬ためらったが、皆に倣って食べる内、夢中になって行くようだった。美味い食事の前では、王族も平民も変わらないのだ。
そうして全てを食べ終えると、満足気に寝台に倒れ込んだ。疲れたのか、すぐに寝息が聞こえる。柔らかな羽毛の布団は、旅の始まりには少し呑気過ぎるように感じた。
「これからは野宿の可能性もあるからな。それに堪えきれるかどうか」
眠るアイリスを見ると、オリヴィエはふと唇を開いた。
「贅沢ばかり言ってられないしね。いくら王族──まして第一継承者だからって、それはクォーツ国の中だけだからね。今日だって首飾りを見せなければ、あんなぼろぼろの姿だったらきっと門前払いだったよ」
フランシスがそれに続く。
「まぁ、俺たちは姫様を護る。それが役目だからな」
それ以上でも以下でもない、と、マウロが言った。
「案外淡白なんだな」
寝台に座り、膝に肘をつけると、俺は言った。ランプの明かりが壁に長い影を作る。
「そんなものだろう」オリヴィエが俺を見、「それともシャルル、お前は姫に何か思いやりか何かあるのか?」
「それは……」俺は口を濁した。「前世の恋人に似ていてな」
「ほう」
興味津々で、猫たちが集まってくる。確かに、隼人としての記憶を取り戻すまで、俺は余り過去を語らなかった。そんな猫が、故郷や家族の話を通り越して、前世とは言え恋人の話をし出したのだ。元々猫は好奇心の塊だ。それがくすぐられたのだろう。
「名前は何て言うんだ」
皆が俺を覗き込んでくる。
「え、絵美だ」
「エミか。良い響きだな」
と、オリヴィエが呟いた。
「そうかな」自分の事のように、俺は頭を掻いた。「ま、まあそんな事どうでも良いさ。早く寝よう」
「何だよ野暮だなぁ」
マウロが腰に手をあてた。
「姫になびいた訳がわかった」フランシスは腕を組む。そうして俺の近くに寄って来、「でもまだボクにも可能性があるって事だよね」
と、囁いた。いや、それは無い。
「とにもかくにもシャルルの言う通り寝るか。明日も早い」
オリヴィエはアイリスを起こさない程の声色で言った。そうしてランプの火を吹き消し、
「お休み」
銀に光る目で、仲間を見た。俺は頷き、布団を被った。何だかんだ忙しい一日だった──そんな事を思いながら。
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