ありがとう

 一八時二七分。UとMは小美優を帰し、闘技の熱冷めやらぬ教室に残っていた。


「…………彼女はもういないわ、そろそろ口を開いたらどう」


「……」


 Mは何も喋らず、俯いたまま、一組の花札を眺めていた。


「もう良いでしょう、運気なんて関係無いわ。それに――貴女が喋らない理由も、今では意味を成さなくなったでしょうに」


 五秒後、Mが口を開いた。


「……そう、だね」


 矢継ぎ早にUが問うた。


を踏まえて、貴女はどうするつもり」


「約束は覚えているよ。これから金花会に行って来る、そこで話す……全部。私のした事」


 か細いMの声を反芻するように、Uはしばらくの間目を閉じていた。


「……教えて頂戴。貴女はあの時――どうして釣り込んだの」


 釣り込む、という単語に微かに反応したM。


「精度の悪い、付け焼き刃の忌手で、貴女は一人の生徒を……私の親友の未来を奪った。それだけは理解しているわね」


 何も言わないMに苛立ったのか、Uはギシリと奥歯を噛み締めた。


「その憎き下手人を、絶対に赦せない仇敵を今――私はようやく討ち取ったわ……! なのにどうして、どうして……!?」


「こっちを向きなさい!」Uが怒鳴り、黙りこくるMの胸ぐらを掴んだ。大きな癖毛が左右に振れた。


「腹が立つのよ本当に……! 黙っていればあの子への罪が晴れるの? 目立たなければ私の怒りが消えるの? 違うでしょう!? 今更忌手がどうとは言わないわ、遅過ぎるもの! 私がここまで怒っている理由、貴女は理解しているの!?」


 ブレザーの胸元を掴むUの手が震えていた。続いてパタ、パタと服に水滴が落ちる音がした。


「貴女は本っ当に狡い人間だわ! どうしてあの子に謝らないの、何で『私が余計な事をしたから』と謝らないの、代打ちという人間は――」


 頭を叩かれた幼女のように泣きじゃくり、Uは押し殺すように


「そんなに冷たくなれるの…………?」


 やがてUの手がMから離れ、力無く膝が折れた。天井を向き、恥も外聞も捨てたかのようにUは泣いた。


「ねぇ、何故なの!? どうしてあの時、どうして一言でもあの子に謝ってくれなかったの!? 分かっているわよ、代打ちの立場ぐらい! あくまで依頼したのはあの子、貴女は代理人に過ぎない! 一言でも謝ってくれたら……わ、私だって――」


「……っ」


「貴女を怨まなくて良かったのに! 疲れるのよ……! 誰かを怨むのは……憎むのは……! 惨めになるのよ……!?」


 ワンワンと泣き続けるUの下から、Mは虚ろな目で離れて行こうとした。


「っ! ま、待ちなさい……! あ、貴女は……何処に――」


「もう、逃げないよ」


 背を向けたままMは続けた。


「信じて貰えないだろうけど、私も……私なりに後悔して来た。最近は代打ちもしなくなって……ううん、出来なくなった。けれど、コレが罰だなんて思っていない。罰にしては軽過ぎる」


 私ね――Mの声が微かに震えていた。


「勝てば勝つ程……代打ちとして成長出来ると思っていた。誰かを札問いで守りたいんじゃない、本当はね……強いと思われている自分を守りたかった。あの時は……忌手って認識じゃない、って感覚だった」


 Uの目が見開かれていく。同時に大粒の涙が落ちた。


「賀留多って、楽しむ為に作られたんだよね。この学校の生徒の多くは、その事を忘れちゃったんだ。私だって……今日まで忘れていたんだと思う」


 スンッ、と鼻を啜る音がMの方からした。


「こんな事を言うタイミングじゃないのは分かっている。けれど、今日……貴女と打って、やっぱり賀留多って楽しいなって思えた。今まで戦った相手の中で、一番強かった。お世辞じゃない、本当に強かった」


 扉に手を掛け、Mがゆっくりと振り返った。色濃い隈を湛えた顔が、笑った。


「私を倒してくれてありがとう。貴女のお陰で――」




 この学校が少しだけ、綺麗になった。




 間を置かずMは歩き出し、果たして教室にはU一人が取り残された。




 翌日、会計部室の大掃除を終え、室内は自分だけである事を確認した部員がソファーで休んでいると、一人の女子生徒が現れた。部員が用件を訊ねると、女子生徒は賀留多の免許証をカウンターに置き、静かに言った。


「……私は一年前、代打ちとして札問いに参加し、忌手を使いました。しかしながら証拠は無く、その為にこれまで隠し通して参りました。どうか、この免許証を剥奪して下さいませんか」

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