四極戦
あぁ、この時間がもっと続けば良いのに……。
何にも代え難い時間――それは懇意にしているミュージシャンのライブでも、腹を抱えっぱなしの漫談でも、気の置けない友人との旅行でも、大好きな恋人と過ごす一時でも……これらの終わりを悟った人は、須く心の隅でそう呟いた。
自らを昂揚させる空間の中に、いつまでも存在させて置きたい!
しかしながら願いは虚しく、時が大いなる流れによってドンドンと押し流してしまう。この世の摂理であり、常識であった。
桜に短冊 桜のカス 菖蒲に短冊 菖蒲のカス
芒に雁 菊のカス 紅葉に短冊 桐に鳳凰
四季の果てる月、師走、一二月。その局を指す語は様々あれども、秋沙小美優は感情の紆余曲折を経て――最終決戦の刻を迎えていた。彼女が戦う訳では無かった。
UとM……。恐らくはイニシャルであろう一字を名乗った、二人の三年生が繰り広げる《こいこい》の死闘を、小美優は唯、見守るだけであった。
親手はU。小美優を打ち場まで連れて来た張本人である。最終局という事もあってかすぐには打たず、広げた手札を、何処か愛おしむような目で見つめていた。最後に配り充てられた札八枚は、そのまま彼女の運命を載せて飛ぶ小鳥であった。
「……」
打ち出したのは《芒のカス》。桜、菊の札と悩んだ為かは不明だが、Mから《月見酒》を遠ざけた事は事実だった。続いて起こした札は《桐のカス》と、それなりに早い札回しである。
対するMは殆ど思案に耽らず、アッサリと《桜に幕》を短冊へと叩き付けた。この時点で起き札、もしくはMの手札に《菊に杯》があれば最終局は即座に決着する。
(もう終わっちゃうの……?)
Mの手が山札へ伸びていく。指先と札が近付くにつれ、傍で闘技を見守っている小美優の胸が高鳴る。友人との闘技、金花会での博技、そのどちらとも比較にならない緊張感が……今、あった。
「……」
白い指が札を一枚掴む。そのままクルリと検められ――果たして場札に捨て置かれた。《牡丹に蝶》であった。
(良かった……! うん、良かった……? 私はどっちの立場なんだろ……)
二手目。前手とは違って軽やかに札を打つU、打たれたのは《牡丹に短冊》、この時点でMの《猪鹿蝶》《青短》を封じた。そして……起こした札は《芒に月》と、再び場が荒れ始める。《菊のカス》に隣り合って置かれた白月の札程、身の毛がよだつ光景はない。
「……っ」
五秒後、Uが眉をひそめるという珍しい事態が起こる。物言わぬ女Mの打った《芒のカス》に起因するのは明らかだった。続いてMは《松のカス》を起こして手番を終えた。《三光》《花見酒》《月見酒》――どれか一つでも成立すればMの勝利は確定してしまう。割引も情けも無い未来がUに襲い掛かった。
窮地となった三手目、Uは《松のカス》を打ち、《三光》の可能性から摘み取り始めた。次の起き札で菊の札を回収出来れば御の字であったが、蓋を開ければ《桐のカス》、場札に地雷は埋まったままだ。
そして――Mの手番。隈の目立つ目で手札を眺め……《紅葉のカス》を短冊札に打つ。この一手により、Mの手中に危険な札は無い事が確定する。文数差は無し、残る局も無しという場面では、あえて役の完成を抑える奇策は不必要だからだ。起きた札は《柳のカス》と、Uにとっては多少の息継ぎとなった。
(うぅ……何だか、私が闘技に参加しているみたい……)
気付けば「私ならこうする」「私だったらこう動く」と実力差も顧みずに頭を動かす小美優。当然自分の手札は無かったが、広げた札の感触が微かに感じられた……気がした。
四手目。Uはここで《藤のカス》を手出しする。「私は手詰まりを起こしています」と曝露するような手も、しかし極まった場では実に有効な一手である。そのまま彼女は《紅葉のカス》を起こし、終了となった。
「困った時の藤打ち」――常道には常道でと言わんばかりに、Mはもう一枚の《藤のカス》を打ち付けた。基本的に札を手出しする際、その打ち手は手詰まり、或いは後続の援護を考えている場合が多い。援護を断ち切れば本隊が一層弱まるのは当然であった。
「……」
黙してMを見据えるU。既に表情はいつもの通りとなっていた。着々と勝利へ向かって進軍するMは《桐のカス》を起こし、一気にカス札四枚を捕らえて手番を終えた。
五手目……Uは《梅のカス》を打ち捨てる。《赤短》の完成を後押しするような一手にも、しかしMは沈黙を貫いたままだ。起きた札は《牡丹のカス》、Uの戦陣に暗雲が立ち込めていく。
続くMは意に介さず、《菖蒲に八橋》を短冊札へ打ち付ける。五手目にして初めての種札回収となった。程無くして《萩のカス》を起こす。菊の札は山札の奥深くに眠ったままらしかった。
(…………何となく、結末が見えたかも……)
無作法極まり無い一年生だ、と小美優は自らを恥じた。恥じつつも抗えない「結末を見たいという欲求」、コレに真っ向から相対する「終結から目を背けたいという欲求」の散らす火花の熱感に……華奢なその身を捩りたかった。
六手目、それでも闘技は続いていく。Uは《萩のカス》をもう一枚に打ち付け、自ら《猪鹿蝶》の可能性を潰した。起きた札は《梅に短冊》だった。
「……っ」
この瞬間、フゥとUが息を吐いた。誰にも分からない数瞬の隙間で……彼女は七枚に増えたカス札を見やった。
「……」
一方のMもまた、残った手札と取り札――特にカス札――を眺めた。続いてUのカス札へ視線を移し、やはり他者が気付かない刹那……七枚の札を睨め付けた。そして《萩に猪》を手出しし、《梅のカス》を引き起こす。一気に暖色の目立つ場へと変貌した。
七手目――。
「………………っ」
残った二枚を交互に見やるUの双眼は、次第次第に鋭く、闘争心を剥き出しにしたような煌めきを湛え始める。だが……。
(……)
長きに渡る闘技に寄り添い、間近で彼女を観察していた小美優は、ある種の変化を上級生に認めた。
(……U先輩…………どうしたんですか……)
どちらの札を打つか、どちらの札を残すか。どちらが正解か、どちらが間違いか、もしくは両方……。
その一手で全てが決着すると分かっていたのか、明らかにUは恐怖していた。刀剣の如き鋭利さを持つ目は、今では道に迷った少女のように潤み、多くの強者と渡り合って来たであろう両手は微かに……震えていた。
負けない、負けたくない、絶対にこの人には負けられない――!
胸奥から沸き起こる戦意は、四季の果てる最終決戦で急速に冷却され、その身に纏わり付く黒曜の縄と化した。臆病の結晶に縛られたらしいUは、それでも打ち場から逃げ出さず、呼吸も乱さず、真正面から闘技の結末に怯えていたのである。
「……」
敵方の変質を……Mは沈黙を守りつつ、不健康な眼でジッと見つめていた。戦術を組み立てる長考ではなく、一寸先の闇に立ち止まった故の長逗留を責めず、ひたすらに待ち続けた。
「…………」
待ち、待ち、待ち、待ち続けた末に――Uが動いた。
「……お待たせしたわ、二人共」
熟考の果て。選び抜かれた一枚は《牡丹のカス》であった。既に場で咲いていた牡丹と合わさり、Uの獲得したカス札は九枚となった。
(…………)
Uの手が山札へ掛かる。M、小美優の視線が一番上――手の下に集中する。親指、人差し指、中指が連動して一枚を掬い上げ……。
パチン、と札が打ち付けられた。
天上に垂れ込めるような紅雲があった。可憐で香り高い真紅の花が咲き乱れ、枝には第二の色を差すような小鳥が留まっている、今にも囀りそうな気配すらした。人々はその鳥を鶯であると言ったが、この解釈は間違いだという説も唱えられている。
二月を冠する梅の札。その上札である《梅に鶯》は、実は《梅に目白》であるとか。
梅の蜜を好む習性、体色から同定された第二の鳥は、一二月の冬空にも負けず……。
一〇枚目の土産を携え、Uの下へ舞い降りた。
師走改め四極戦、終了。
Uの最終獲得文数は三八文、Mは三七文と相成った――。
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