神無月戦
書き連ねる結果が既に九戦分となった事に気付いた小美優は、左右に陣取り札を打つ三年生達に横顔を見やった。
自身を即席の目付役に誘い、おおよそ経験出来ない異常な時間をもたらしたUの長い睫毛が、時折、パタパタとはためくようだった。
一方、一言すら声を聞いていない謎の女Mは、積年のストレスが結晶したらしい大きな隈がやはり目立つ。小美優はその隈に、いつしか特異なアイシャドウに似た妖艶さを見出していた。
一年生から見た三年生は、何故か……たった二年以上の隔たりがあった。自ら勝ち取り、負け去り、踏み越えて来た体験の差が――二人の上級生から滲み出ていた。
もしくは……UとMしか経験していない壮絶な過去自体が、隠し切れない手練れの感と、汲み取り切れない湯水の如き苦労でその輪郭を何倍にも肥大化しているのかもしれない。
松のカス 藤に郭公 菖蒲に短冊 菖蒲のカス
芒に月 紅葉のカス 柳に短冊 桐のカス
日本全国、神州津々浦々の神が出雲に会する特別な月としては、若干、派手さに欠けていた。《芒に月》が露出している以外はせいぜいが《松のカス》、使いようによっては紅葉か柳か……といった格好である。
親手はU。一手目ならではの勢いによって、八月の満月をカス札で射止めた。起きた札は《牡丹のカス》、多少は《猪鹿蝶》が見え隠れするが、まだ場札に温まりは無い。
続くMはすぐに《松に短冊》をカス札に叩き付け、Uの「早三光」を阻害するが……次に起きた札が非常に不味かった。
(……杯。U先輩が持っていたら――)
一手目にしてMは崖際に立たされた。引いた札は《菊に杯》、描かれた寿の文字は彼女ではなく――明らかにUを向いている。
「……」
二手目。アッサリとUは手札から右から二枚目、《菊に短冊》を朱塗りの杯へ重ねた。この場で《月見酒》が完成となり、神無月戦が始まって三〇秒程で区切りが付いてしまった。
「鶴、ね」
大した感動も無いように、Uは微笑みもせず《松に鶴》を起こす。対するMは俯いたまま、寂しげに置かれた取り札を眺めている。
「止めようかしら」
「えっ!?」
思わず声を上げてしまった小美優。無作法な目付役は二人の打ち手から視線を集めてしまい……。
「すっ、すいませんすいません……! 本当にすいません……!」
陳謝するしかなかった。頭を下げる度に冷や汗が背筋を走り、ジットリと粘るような手汗を掻いた。
「出過ぎた真似でした! すいませんっ!」
羞恥と恐怖、加えて焦燥が徒党を組んで襲い掛かって来る感覚に苦しむ小美優を、しかし三年生達は怒り付けはせず、特にMは後輩を愛おしむような目で謝罪を眺めていた。
「顔を上げなさい。かえって私が辛いわ」Uは対峙する敵の顔を一瞥し――。
「……まぁ、それでも一応、理由ぐらいは訊ねても良いでしょう」
「りっ、理由ですか!?」
正直に言うべきか、当たり障りの無い常套句でその場を凌ぐか……悩ましかった。飲み干した事の無い量の生唾が、小美優の細い喉元を過ぎていく。ゴクリ、という音が教室一杯に響くようだった。
「別に怒っている訳ではないの。唯、気になるだけ」
「…………じゃ、じゃあ……そのぉ……」
モジモジと身体を捩り、小美優は覚悟を決めて本音を明かす事にした。秀麗な嘘よりも、不細工な真実の方が後々面倒を起こさないように思われた。UとMが答えを待つ中、一年生は蚊の鳴くような声で本音を語った。
「……勿体無いなぁ、って」
「あら、言うわね秋沙さん」
「いえっ! そそそそそんな事じゃなくって!」
激しくかぶりを振る小美優。前髪が右に左にブンブンと揺れた。
「その、ほんっとに我が儘なんですけどっ! もうちょっと……」
Uが微かに首を傾げた。
「お二人の闘技を……見たいなぁ……と。えっと、お二人がすっごく強いのはこんな私でも分かるんです! この場に立ち会えた事は、とても貴重な経験だと思うんです! 残り三戦しかないし、少しでも長く見たいなぁって……思い……まし……て」
長い沈黙が訪れた。だがこの時間感覚は小美優だけのものであり、実時間にして三秒程であった。
「…………そういう事」
静寂を破ったのはUだった。
「そこまで求められては駄目ね。良いわ、秋沙さん。せめて――楽しんで頂戴ね」
「こいこい」Uが続闘宣言をした瞬間、Mも呼応するように《紅葉に短冊》をカス札に叩き付けた。目付役(仮)の要求を闘技者が呑むという、異例の場となった。起き札は《梅のカス》であった。
(私の一言で……闘技を続けてくれた……!? 良いのそんな感じで!?)
未だ胸の高鳴りが収まらない小美優に構わず、幻の三手目としてUは《桐に鳳凰》をカス札に合わせる。続けて《牡丹のカス》を起こし、一気にUの取り札が拡充された。
結果として拾った好機を逃すまいとしてか、Mは《梅に短冊》をカス札に合わせ、今となっては恐るるに足らない《芒に雁》を起こす。《赤短》までもう一歩となった。
四手目、Uが《菖蒲に短冊》へカス札を合わせ、《桐のカス》を引き起こす。俄に《柳のカス》を燕の札に打ち当てたM。《紅葉のカス》を起こして手番を終えた。
(何か……闘技のスピードが上がったみたい。やっぱり怒っているのかな……)
《こいこい》を続けて打っていると、時折相手と札打ちの呼吸が重なり、目まぐるしいテンポで場が進む事がある。決して闘技者は思考を放棄している訳ではなく、その闘技が一定の水準に到達すると、堰を切ったように札が宙を飛び交い始めた。
場が煮詰まる――かつて花ヶ岡で使われていた、闘技上の表現であった。
五手目、Uは《梅に鶯》を手出しして《柳に小野道風》を引き出す。手番を受け取ったMが一瞬、手札を総覧し――《萩のカス》を場に捨てた。そして山札に手を掛け……。
「あら……」
《萩に短冊》を狙い起こしたのである。《タン》が一文、こいこい返し倍付けの二倍が効いて二文となった。Mは思い悩む様子も見せず――。
「まぁ、付き合いが悪いわね」
残った手札を場に置いた。「勝負」の意であった。
「…………何だか、すいません」
潮垂れた様子で小美優が謝罪するも、Uは糾弾するどころか……何処か明るい声色で言った。
「高く付くわよ。一年生」
「はい…………」
Uの手から三枚の札が離れた。
「冗談よ」
神無月戦、終了。
Uの獲得文数は現時点で三七文、Mは三一文と相成った。
勝敗による効果を高め過ぎた花ヶ岡であっても、根底には賀留多の持つ使命を「忘れてはならない」という意志があった。
無味な時間を楽しく――。
賀留多に与えられた最大にして唯一の使命であった。
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