長月戦

《こいこい》の極意――まだ一年生、それも目付役ですらない唯の生徒である私が、沼より深い謎の答えに辿り着けるのだろうか?


 という日を過ごすまで、小美優は「卒業するまで見付けられないだろう」と諦めていた。否、諦める事すらしておらず――そういうものだと冷静に理解すらしていた。




  梅に鶯 桜のカス 菖蒲に八橋 萩に短冊

  芒のカス(二枚) 柳に小野道風 桐に鳳凰




 Mが第一手目として打ち出したのは《梅のカス》。鶯がポトリとMの下へ落ちて行った。続いて起きた札が《桐のカス》と、次第次第に近付くを漂わせる始まりとなった。


 しばらくの間を置き、Uは迎撃として《柳に短冊》を歌人の札に叩き付ける。一応はMから《雨四光》をもぎ取る形となる。起きた札は《牡丹に蝶》、共に場へ並ぶ《萩に短冊》との連携が重要である。


(今日……もしかして私、凄い体験をしているんじゃないだろうか)


 札が打ち合う音は今までにも聞いた事があった。昼休みになれば教室で闘技の場が立ったし、毎週の楽しみである金花会に出向けば一層、が重なった。


 二手目にMが《牡丹に短冊》を二匹の蝶に打ち付けた時、パチリ……というよりかは破裂音、胸奥にズシリと染み込むような重低の念を感じた。即座に伸びた手が山札に掛かった時、背丈よりも大きい――銀行の金庫扉を開くかのような緊張感があった。


「……」


 再び札の音。現れたのは《芒に月》、真紅の夜空に浮かぶ白月がMの取り札となった。この手番によってMは《三光》と《月見酒》の二役に王手を掛けた。一方のUも負けておらず、《桜のカス》を場札のソレと合わせ、《藤のカス》を起こす。手が伸びにくい時の好手であった。


 三手目、地味な場札が目立つ。それでもと《菖蒲のカス》で種札を回収したMは、《紅葉に鹿》を起こして《猪鹿蝶》への道筋を立てる。この札を待っていたように、俄にUが《紅葉のカス》を鹿に打ち当て、Mの役作りを着実に壊していくが……。


(また……こんな時に……)


 Uが起こした札は《菊のカス》だった。相手の手元に《桜に幕》もしくは《芒に月》があり、かつ此方の手番で菊の札を起こした時の切なさは計り知れない。Uの表情は変わり無かったが、小美優はその横顔をしばし見つめ、捕食者の持つ美を感じた。


 張り詰めた四手目。少しの時間を置いてMが打ち出したのは《萩のカス》であった。この時点で彼女が《菊に杯》を持っている確率は格段に低くなり(現在の文数差で出し渋る事は考えにくい)、続いて起きた《桐のカス》がUの戦意を密かに昂揚させるようだった。


 Mが札を並べ終えたと同時にUが札を一枚掴み、《菊のカス》へと短冊札を叩き付けた。残るは杯とカス札の二枚、どちらも山札の中にあった。起きた札は《藤のカス》、両者ともカス札の貯蔵が目立った。残る場札は《桐のカス》と《芒のカス》、どちらも光札が取られている為に使い道はほぼ無かった。


 ところが五手目、Mが最後の《桐のカス》を場札に合わせ、更なるカス札を溜め込んでいく。起きた札は《牡丹のカス》と、寂しい場が引き続いた。Uがこの場に適応するように《萩のカス》を捨て、《藤に短冊》を起こす。微睡むような闘技であった。


 進む六手目。残った手札からMが《菖蒲のカス》を打ち――。


(出た……)


 どちらの祝杯となるのか、《菊に杯》の札が起こされた。赤雲の下に煌めく寿の杯が六手目にして、寂しげな場に突如として転がり込んだのである。


 Uは手札を見つめ、《萩に猪》を場札に合わせる。この札打ちによりUの手中に菊の札は無い事がほぼ確定となる。続けて起きた札が《桜に幕》、瞬時に座布団の上へ暴風が吹き荒れた。


 現状を見れば圧倒的有利なのはM、文数でリードを着けるUが果たして七手目八手目と凌ぎ切れるかどうかが鍵となる。


「……」


 七手目、Mは二者択一の手札を眺めていた。五秒、六秒、七秒と時が経ち……。


(嘘…………!?)


 快音と共に《菊のカス》を杯へ叩き付けたのである。そのまま山札から《梅のカス》を起こした後、Mは静かに残った手札を場に置いた。「勝負」の意であった。




「『起きた札を叩け』、というのが《こいこい》のセオリーです。なお、菊の札が出れば緊急性は更に増します。理由はお分かりですね?」




 四月の初め、金花会主催の講習会に参加した小美優が、担当目付役から学んだ基本戦術であった。菊の札を放って置くという事は即ち、火花を散らす導火線を黙って眺めているのと同義である。


 負けたくなければ菊の札を取れ――戦力の多寡、高低を問わず花ヶ岡高生なら誰でも知っているであった。その常識が今……物言わぬMによって粉砕された事実に、いよいよ小美優の目は丸くなり、アワアワと金魚のように口を開くばかりだった。


「残念ね」


 フゥ、とUが小さく息を吐いて手札を捨てた。小美優は散らばる札を急いて回収し、長月戦の結果をメモに取る、その最中……ふと、Mの方を見やった。


「……?」


 Mと目が合った。黒曜石の輝きを湛えた双眼が、ゆっくりと細くなり――。


 音も無く、小美優へ笑い掛けた。


 こういう《こいこい》もあるんだよ。


 そう言われた気がした。




 長月戦、終了。


 Uの獲得文数は現時点で三七文、Mは二九文と相成った。


 露出した札から「残枚数」を推測する、いわゆるが《こいこい》にも有効であるが、注意すべきは「あくまで予想」な事だ。


 闘技者の中には、明らかにを終盤まで持ち続け、錆びた刀身で以て斬り付けてくる者もいるのだから。

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