葉月戦

 取った札の枚数の割に、得られた文数は少ない――往々にしてある《こいこい》のパターンだった。取れば取る程に高打点を望めるのは勿論だが、その逆……枯れ掛かった稲を刈り取るような場も多い。




  松に短冊 梅のカス 藤のカス 菖蒲のカス

  柳に短冊 桐に鳳凰 桐のカス(二枚)




 第八局、葉月戦の場札は桐札以外やや落ち着いたものとなった。親手はU、前局の名残を払拭するのが狙いなのか、《松に鶴》を短冊に合わせると、起き札で《桜に幕》を引き当てる。途端に場が騒がしくなり、小美優の瞬きも増加する。


 追い付きたいMの第一手はやはり、というべきか《桜に短冊》を華やかなる幔幕へ重ねていく。起きた札は《菖蒲のカス》と、まずまずの滑り出しであった。


 あっと言う間に手番はUへ移る。当の本人は目を細め、座布団の上と手の内を交互に見やり思案に耽った。五、六秒後に打ったのは《梅に鶯》。Mの《赤短》を妨害した格好である。続いて起こした札は《牡丹のカス》、真紅の花弁が目まぐるしく現れる。


(M先輩は杯が欲しいところ……となると、重ねて《青短》を作りやすい牡丹も魅力的だね)


 登場の機会を失った《赤短》よりも、打ち手は青い短冊札を欲するのだろう……小美優は乾いた札が打ち合う音を聞きながら、少しずつ、《こいこい》の基本的立ち回りを学んでいた。


 しかしながら、Mは二手目に小美優の予想など素通りするかの如く、《牡丹に蝶》を打ち出す。互いに《青短》へのゴールが延びた打ち筋である。起きた札は《萩のカス》、結果としてMは《猪鹿蝶》に手を掛ける事に成功した。


 三手目、Uが二枚目の《藤のカス》を手札から打ち当てる。後々に響くカス札の回収に入ったのかは不明である。そして――起きた札は《紅葉に鹿》、前局ではお役御免となった四足獣が今、輝きを取り戻して葉月の場に躍り出た。


(有利なのは…………今はM先輩、かな? 《猪鹿蝶》が出来やすいし)


 、小美優の推測は正しい。Mの手札に《猪鹿蝶》に関わる札があるとすれば、後手のUよりも完成速度は速かった。


 二秒後、小美優の推測は恐らく正しい事が判明した。迷わずMは《紅葉のカス》を手札から打ち出し、逃げる鹿の首に縄を掛ける。加えて起こした札は《柳に燕》と、Mの手元は哺乳類に鳥類、更には昆虫と俄に賑々しくなった。


 手番は変わってU。何とか《萩に猪》を奪わなければ最低でも五文、《タネ》が重なればという文数も現実味を帯びてくるが……打ち出したのは《桜のカス》。この場では大した意味の無い札であった。逃げを打った彼女の姿勢に喝を入れる為か、山札は《菊に短冊》を送り出す。


(あらぁ…………ヤバいなこれ)


《猪鹿蝶》のみならず、速攻役の《花見酒》が顔を覗かせる事態となった。チラリと小美優がUの表情を確認した。、Uは澄ました顔で場を見つめていた。


 四手目――勝負は大きく動いた。Mは秘蔵っ子の《萩に猪》を自ら引き当てたカス札に叩き付け、《梅に短冊》を起こした。か、《猪鹿蝶》の完成であった。


「……どうされますか」


 Mは小美優の方を見やった。肉体の充実が著しい時期には余りに勿体無い黒い隈、その上に輝く大きな瞳が一年生を捉え――「続闘宣言こいこい」と言った、ように小美優は感じた。


「こいこい、ですね」


「そう」Uが呟き、一枚の札を手に取った。



「……っ、え、はい!」


 見つめるだけで精神を掻き乱されそうなまなこを持つ女、U。官能的とすら呼べる程の獰猛さを湛え……。


「今から――


「…………はい?」


 小美優は言葉の意味が分からなかった。




 現在立ち会っている闘技は紛れも無く《こいこい》のはず。


 ならば? 眼前に座り、明らかに追い込まれている打ち手は何を言っているのか……?




 強がりにも見えた。苦し紛れの戯れ言にも聞こえた。それでも小美優は闘技を見守り、ごく近い将来に葉月戦を取られるUの結末を見届けるしかなかった。


 五手目。Uは迷い無く《梅のカス》を短冊札に打ち当てた。


「っ!?」


 使い道の無い短冊札の回収に、小美優はいよいよUが手詰まりを起こしたと断定した。起きた札は《桜のカス》、まるで発展の感じられない手番であった。


「……」


 対するMにもそれ程の余裕は無いらしく、《菊に短冊》と重なる桐札を見つめて目を細める。続闘宣言とは「自信の表れ」以外に――「足下の綻び」も露呈する。


『まだまだ加点が出来る手札を持っています』


 そう相手に伝えるも同然であった。


「……」


 果たして三〇秒後、Mは《芒に雁》を場に置いた。葉月戦初めてのお披露目となったは、途端にMの手札から放たれる殺気のを強めていく。だが――闘技とは実に不安定な流れに成立する。起きた札が《芒のカス》と、幸か不幸か狙い撃ちの格好となった。


「《タネ》の完成です。……どうされますか」


 現時点でMは六文。残る手札は三枚。ジッと手番を待つ相手の取り札を……Mは睨め付けるようにして確認し――。


「……、ですね」


 手札を捨てず、ゆっくりと頷いた。


 刹那、小美優は頬に金属的冷感を覚えた。


「っ……」


 無機質な闘気、無感情なとも呼ぶべき圧はまさしく、二度の続闘宣言を受けたUから放たれていた。


 、Uは素早く《菊のカス》を短冊札に叩き付け、《菊に杯》を引き起こす。尋常の打ち手なら青ざめる状況であったが……Uは一切の変化を見せない。


『どうせ菊の札は無いでしょう。あるならだろうから……』


 そう確信しているのだと小美優は思った。セオリーを知るからこそ、どちらも同じ実力者であるからこそ見通せる心奥を、Uは最大限利用したに違い無い。


 続くMは手札から《牡丹のカス》を打ち出した。起きた札は《萩に短冊》、辛い手番であった。寸刻置かずにUが《牡丹に短冊》をカス札にぶつけ、《菖蒲のカス》をサッと引き出す。


 七手目、Mは意を決したように《芒に月》を場に捨てると、一度手を握り、開いて山札から《松のカス》を起こした。


(駄目……!)


 喉奥で小美優が叫んだ。


 最終手番――Uは《柳のカス》をポロリと場に捨て、すぐに山札へ手を掛けた。


「残念ね」


 Uが淡々と呟いた。


じゃ格好が付かないわ」


 一瞬、小美優とUが気付かない程の瞬間に……Mは色の良い唇を噛んだ。




 葉月戦、終了。


 Uの獲得文数は現時点で三七文、Mは二四文と相成った。


 続闘宣言は確かに強い。重ねる度に敵を恐怖させる事が出来る。但し、宣言側の打ち手はある語を忘れてはいけない。


「禽困覆車」。或いは――「窮鼠猫を噛む」と。

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