第2話:故も分からぬ闘技
読書を忌避する代わりに、小美優はかえってドラマや映画を貪るように鑑賞していた。特定のジャンルばかりを好んで見る訳では無かったが、特に印象に残りやすかったのは、いわゆる「青春物」と呼ばれるものだった。
よう、一年生。最近えらく調子が良いじゃねぇか。ちょっと顔を貸せよ――。
冒頭でありがちな台詞は、決まって意地の悪そうな、それでいて根性は持ち合わせていないと断言出来る、腑の抜けた不良少年の口から飛び出た。人並み以上にはテレビもしくはスクリーンの前に座ってきた小美優にとって、その後の展開を予兆する台本にも思えた。
はいはい、またこのパターンね。逞しいヒーロー或いはヒロインか出て来て助けるか、普通にボコられて主人公に何らかの覚醒に繋がるか……。
古今東西の映像作品に触れ続ける事により、須く発症する「展開予想症候群」は実に厄介な不治の病である。大抵の作品には展開の型が存在し、天地創造や英雄譚、伝記や昔話などにも共通するのが常だった。
創作物との蜜月を過ごした小美優にとって、「怪しげな人物から帯同を求められる」パターンは全く面白味が無く、飽きに飽いた月並み以下の展開であったが……。
「……っ」
非行生活とは欠片も関わりの無かった自分が、実体験するとは露とも思っていなかった。故に小美優は名も知らぬ、見た事も無い不可解極まる三年生を前にして、黙して硬直するしかなかった。
「言葉、分かるでしょう? さぁ、とりあえず着いて来なさい」
小美優の反応を待たずに三年生は踵を返し、廊下の奥へと歩いて行った。五メートル程歩いた先で、小美優が着いて来ていない事を悟ったのか、振り返り「警戒なら解いて良いわよ」と目を細めた。笑っている訳では無かった。
「物陰で貴女を殴り付けたり、金品を奪ったりなんて事はしないわよ。そうね――」
一拍置き、三年生は言った。
「アルバイト、と言えば良いかしら」
図書室から程近い教室の前でピタリと立ち止まると、三年生は「ここよ」と扉を見やった。小美優が扉を開けるのを待っているようだった。
「あのっ……」
怖ず怖ずと三年生を見つめる小美優。その上級生は不気味ではあったが、瞳の大きく整った相貌をしていた。
「バイト、って……ヤバいやつとかです、かね……」
ヤバい、という言葉が包括する程度の事は知らなかった。知りたくもなかった。それでも問うてみたくなったのは、つい先程借りた書籍のもたらす、微かなインテリジェンスであった。
「……あのぉ」
三秒、四秒、五秒と待ち続けた小美優は、「もしかしたら聞こえていなかったのかも」と再度訊ねようとした、瞬間の事である。三年生は小美優の代わりに扉を開いてしまい、狼狽える彼女の背をソッと……室内へ押し込んだ。
「うわぁっ…………?」
普段は使われていない空き教室の真ん中に、二組の机と椅子が向かい合わせに置かれていた。室内灯は既に点いており、窓際には――。
目の下に大きな隈を持ち、恨めしそうに此方を、或いは小美優の背後を見つめる女子生徒が立っていた。上履きの色から、彼女もまた三年生であった。
「待たせたわね」
そして背後の三年生が一言。刹那、小美優の顔色は青ざめていき、校舎裏で殴られる気弱な少年の映像が思い出された。
私、この二人にやられるの? 何もしていないのに? ていうか名前すら知らないのに?
「そこで立ち止まっていないで、早く此方に来なさい」
不気味な三年生に呼ばれ、いよいよ一切を諦めた小美優は、フラフラと覚束無い足取りで教室の中央へと向かった。逃走という行為は最早慮外であった。やがて机の小島の傍に立った小美優を労ってか、隈の三年生は椅子を一脚用意し、座るよう手振りをした。
「一年の、のっ、あ、秋沙小美優……って言います」
最初に小美優が座り(腰が砕けるようだった)、続いて二人の三年生が席に着くと、不気味な方が横目で説明を始めた。
「今から貴女には、私達の闘技の《目付役》をお願いしたいの」
「めつ……け…………いやいやいや! 無理です無理です!」
絶対に無理です! 消沈していた小美優はしかし、幾度も激しくかぶりを振って上級生からの依頼を断った。
「私、金花会の人じゃないし、技法の細かい事に詳しい訳じゃないし! そ、それに何より――この闘技はヤバいんじゃないんですか!?」
交互に二人を見やった。不気味な方は小美優を見つめ、隈の方は鬱々とした表情で机の中心を眺めていた。
「唯でさえうるさくなったのに、《闇打ち》を疑われても仕方無いシチュエーションじゃないですか! こんな……人気の無い場所で! しかも私、すいませんけど、お二人とは何の関係も無いんですけど!」
「あの連中がうるさいのは昔からよ。あぁ、二年ぐらい前かしら」
「勘違いしないで欲しいわね」不気味な三年生は懐から小さな紙束――《八八花》を取り出すと、小美優の前へ静かに置いた。
「私達は唯、ここで《こいこい》を打つだけ。花石を賭ける訳でも無いし、証文を突き付け合って打つ訳でも無い。どちらが強いかを決める、それだけよ」
だったら私なんて要らないでしょう……小美優がなおも反論しようとした時、丸々に太った大きな巾着袋を不気味な方が取り出し、山札のすぐ隣にドサリと置いた。
「開いてご覧なさい」
言われるがままに封を開けると、中には二〇〇近くの花石がギッシリと詰め込まれていた。
「……全部、花石…………?」
「それだけじゃないわ」
一秒後、小美優の双眼は点となった。肥満型の巾着袋がもう一つ、今度は彼女の膝に載せられた。ズッシリとした重みが肌から中枢へと伝わった。
「まずはその二袋。最後まで闘技を見守ってくれれば、更にもう二袋を差し上げるわ。中身について心配事があるのなら、明日にでも典則を読みなさい。『金花会の関知しない場において、闘技の結果による花石の授受を認めない』……とあるわ。今、貴女は闘技でソレを得た訳ではない、唯、お人好しの生徒から受け取っただけに過ぎない」
不気味な三年生は囁くように……小美優を諭した。
「理解は出来るわよね。出来たのなら札を切り、撒きなさい。そして見届けなさい――」
名も知らぬ上級生の、故も分からない唯の闘技を……。
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