後夜
*
「ディアンテ、気は済んだか」
「おかげさまで、そこそこ」
フェンネルが問いかけた声に、ディアンテは晴れやかな笑顔で答えた。そしてエドを肩で支えながら立ち上がったので、ディアンテと背丈の近いシアが反対側からも支えた。エドはそこでようやく、隣にいる人が誰かを知らなかったことに気が付いた。
「……そういえば、あなたたちは?」
ディアンテと共に行動しているのも目撃しており、何よりエド自身が四人に助けられていたので、四人が敵ではないことは分かってくれていた。しかし、戦闘が終わるや否や、エドにはディアンテの雷が落ちたので、それ以上のことを説明する暇すらなかったのだ。
「イアンとカルカスの遺体を見つけて、二人の持っていた種を私に届けてくれて、そしてここまで連れてきてくれた方々よ」
「そうだったんだ、……って、種って、もしかして」
「うん。『ニーファロータス』かは分からないけれど、色々な薬効はある」
ディアンテの口からその名前を聞いたエドは、二人の支えも無視して、睡蓮のために作っていた池に走り出そうとする。
「それなら早く育てない、とっ……」
しかし、踏ん張ることも叶わない体力しか残っていなかったエドは、その一歩目で膝から崩れ落ち、その場に倒れ伏してしまった。
「あ、大丈夫ですか!」
「大丈夫じゃない……」
「本調子じゃないんだから、急に動いたら身体に障るわ。当たり前よ」
シアとディアンテが、再びその身体を抱え直して身を起こす。
「今は睡蓮よりもエドの身体よ。……エレナが目覚めても、あなたが五体不満足なら意味がない。これ以上、奪われたくない……!」
「う、はい……。ほんとごめん……」
真正面の正論とディアンテの涙に、エドが小さく背を丸めて謝る。謝る方も謝られる方も、その痛みは本人にしか分からないが、生半可なものではないことくらいは傍観者の四人にも分かる。だから、仲裁に入りつつ、別の話題に話を移した。
「まあまあ、ディアンテさん。とりあえずその辺で。ね?」
「それに、〝魔域〟の処遇も決めないとならない。どうする、ここ」
そしてフェンネルがそう言うと、エドは目を丸くして顔を上げた。まさしく鳩が豆鉄砲を食らった顔である。
「へ? ……〈核〉が見つかってしまったからには、壊されるんじゃないんですか、ここ」
だからここが維持できるように、頑張って〈核〉と隠れていたのに、とエドは言う。
「その頑張りのおかげで、この場所はちょっとしたいざこざに巻き込まれてるんだよ」
「はい……?」
まるで話についていけない、と言わんばかりの彼の表情に、今度はフェンネル達も驚いたが、その動揺は各自胸のうちにしまっておいた。驚くということは無自覚だったということであり、無自覚でこの【花園】が形成されるほど、彼は夏と『ニーファロータス』に集中していたということだからだ。人は、あまりに純粋なものを前にすると、畏れ慄く生き物として作られている。
「あなたが〈核〉のそばに夏の区画を作り隠れていた反動で、〝魔域〟の外縁部にはそれ以外の季節の区画が形成されていた。また、その区画は誰でも簡単に出入りできるほど平和だった。多分、あなたに誰かを加害する意思がなかったから」
「その性質を取って、この〝魔域〟は【夏知らずの花園】と名付けられました。そして、夏以外の季節にいつでも簡単にアクセスできることから、素材採取、栽培に使おうとする向きが政府上層部や貴族に発生しまして。……あとはまあ、想像してくれたものがだいたい正解です」
フェンネルとシアが順に、外界で【花園】がどういう扱いを受けていたかを説明すると、エドはやはりどこか腑に落ちないという表情のまま頷いた。
「へ、へえ……。そうだったんですね……?」
「なんだ、その微妙な顔は」
フェンネルが真意を問うと、彼は苦笑いを漏らす。
「まさか自分以外にも、〝魔域〟を利用しようとする人がいるとは、思わなかったので」
すると、それを聞いていたルアンが、人の悪い笑みで容赦ない追撃を一発入れた。
「そーだよね。そんなあぶないこと、ふつうはしない」
「うぐっ……」
「こら。傷口に塩を塗るな、キミは」
「ごめんなさーい」
少女は嗜められてもどこ吹く風で、一欠片も誠意を感じられない音だけの謝罪を寄越す。この件について何か思うところがあるようだった。
「全く反省してませんね」
「ここまで心がこもってないのはいっそ清々しいけどな」
シアとフェンネルは呆れながらも、追及するのは諦めた。それに意味がないと悟ったからだ。
「……まあだから、〈核〉や〝魔域〟をそのまま残すという選択肢もあることはあるんです。私達は消滅させるべきだと思っていますが」
そして、そう言いながらシアが〈核〉をエドに差し出した。
「え?」
「幸い、外界はまだ春です。種蒔きにはギリギリ間に合うでしょう。……あとは、そちらで決めてください。当事者ですから」
「当事者……」
「主人でしょう? この場所の」
戸惑いながら差し出されたエドの手に、シアは〈核〉を握りこませる。四人は【花園】を破壊すべきだと思っているが、外の事情もあるため、この場合は壊すだけが選択肢ではない。であれば、エドとディアンテの意思が最も尊重されるべきである。
「壊さなかった場合は、また今回のような事態に巻き込まれるリスクを背負い続けることになる。壊した場合は当然、どこで『ニーファロータス』を育てるか、という問題が残る。それに加えて、あの二人が見つけた種は〝魔域〟で保管されていたものだから、〝魔域〟の外で育てたら全く変質する可能性もある。そもそも芽吹く保証もない」
「……」
フェンネルが【花園】の行く末に付随する懸念点も話すと、エドはすっかり悩みの蟻地獄に落ちてしまったようで、〈核〉を見つめたまま黙りこくってしまった。ディアンテも同様に、無言で考え込んでいる。四人としては「まあそうだよね」という理解と同情の方が大きいので、これ以上は何を言うのも控えて、二人の答えを待つことにした。最終的な決断は、二人が導かなければ意味がない。
「……壊しましょう」
逡巡してしばらく、先に結論を出したのはディアンテだった。
「これだけ大事になってしまったんです。……異論は、ないよね?」
ディアンテはにっこりと笑うと、その視線をエドに向ける。彼はさながら、蛇に睨まれた蛙のように竦んで、彼女に同意を示した。
「ハイ、アリマセン……」
「うわあ、笑顔の圧が怖い」
ダビが棒読みで感想を挟む。美人が怒って笑う時は、ひどく美しくて、そして怖い。
「本当に、良いですか? 納得していますか、お二人とも」
「【花園】に頼らずに花が咲くかどうかの問題は、彼の命に比べれば些事です」
「右に同じです」
シアの最終確認にも、二人は頷く。エドは相変わらず竦みきっているが、一応納得はしているようだ。
「……まずはげんきにいきることが、はじまりだもんね」
「ええ。命あっての物種です」
「うん。明日に向かって生きていれば、画期的な治療手段が見つかるかもしれない。……僕は、『ニーファロータス』に囚われすぎていた気もする」
「そのおかげで【花園】はすごく平和だったんですけどね」
苦笑いでシアが言えば、やはり苦笑いでフェンネルも言う。
「まあ、研究開発は日進月歩だしな。ある日突然、世界はひっくり返る」
「……じゃあ、砕きましょうか。エドさんは、ダビが担いだ方がいいですかね」
〈核〉を壊せば、間もなく〝魔域〟は崩壊を始めるため、中にいる者は〝魔域〟が崩壊しきる前に脱出しなければならない。しかし、その鍵である脱出口がどれほどの時間耐えるのかは〝魔域〟ごとに異なっており、数分から数日と、その実例の幅も広い。それらを踏まえると、自力で立つことすらままならないエドは、支えるよりも誰かが担いで走った方が速度も出る。シアの提案に、ディアンテが頷いた。
「そうね。お願いできる?」
「もちろん」
ダビも頷き、エドをその背にしっかり抱えた。あとは、彼が〈核〉を砕けば、それがスタートダッシュの合図だ。
「じゃあ、エドさん」
「うん。……本当に、ありがとう」
パキン、と軽やかな音とともに、
*
〈核〉の欠片、
「なくなった、ね」
「このあたりの魔物の気配もすっかりなくなっています。雑魚レベルの魔物は少しばかり残っているかもしれませんが、それだけでしょう」
「その程度なら、討伐隊の手を煩わせることもなく、勝手にどうにかなるだろうな」
「はい。調査隊に、帰りましょう」
六人が調査隊本部に着くころには、すっかり日も暮れていた。それぞれが長い一日だったな、と思いながら、本部の扉を叩いて中へと入る。
「戻りました」
「お、おかえり。お疲れさん」
すると、真っ先に六人を出迎えたのは、調査隊ではない人の声だった。
「あれ、キャラバンのみなさんもいたんですね」
「ここまで関わったなら居座る権利もあるかなと。留守と分かってる場所を離れるのもなんか後味悪かったし」
「なるほど」
「ここの主は奥にいるよ。宣言通り、ご馳走作って待ってるぜ?」
言われるがままに部屋を進むと、アカマルとランバージャックが忙しなく立ち動いていた。「ただいまー!」とルアンが元気よく挨拶をすると、二人はこちらに気づく。
「ああ、君たち。よかった、無事に帰って来れたんだね」
「すまないな、仲間の世話もあったから、こんな状態で」
「いやいや。本当に盛大に出迎えてくれてありがたい限りです」
「言ったからにはやらないと、格好がつかないからね。……そこの御仁は、もしかして?」
エドに気が付いたアカマルが訊ね、それにはシアが首肯して答えた。ディアンテが合流した事情を知っていれば、自ずと答えは導かれる。
「ええ、ディアンテさんの仲間で、【花園】の主人だった人です」
「よく一年も平穏を保ったな。その精神力は凄い」
ダビの背から降ろされ、紹介ついでにと二人の目前へと押し出されたエドは、二人に対しても恐縮していた。冒険者としての経験がある者同士は、初対面でもなんとなくその格が察せられるもので、互いにそれなりの経歴があると分かっているが故に、〝魔域〟を制御していたという事実を認めるのが気まずいのだ。
「い、いえ……。自分でもどうかしてたなって思います」
「まあ、こんな危険な橋を渡るのは、僕達もこれっきりにしておいてほしいと思うけどね」
「はい……」
「追い詰められてたのは分かるし、君を責めたいわけじゃない。そういう時こそ、誰かを頼って、話すんだ。ひとりで抱え切れる荷物には、限界があるから」
分かってくれるかな、とアカマルは終始穏やかに述べる。エドもそれは分かっているようで、その上で居た堪れない、と萎れていた。
「この縁も何かの運命だ、抱えてきたもの、話せる範囲で吐いてみてくれ。僕達が力になれるか分からないが、力になれることもあるかもしれない」
「どうせ一緒に夜を明かすし、時間だけはあるしな。食って飲んで、そして話そう」
アカマルとランバージャックはエドに対して、そう言葉をかけた。そこへ、隊商のリーダーも茶々を入れる。
「その話、俺たちにも聞かせてくれよ。各地回ってきた身としても、こんなレアケースには二度と会えない気がするし」
「は、はい」
そんなこんなで、主にエドが屈強な冒険者たちに囲まれて、夜は賑やかに更けていった。
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