救出
*
「……なあ」
冬の『花園』へ無事移動できたフェンネルは、隣にいた事情通であるはずの二人の両方に向けて、少し棘の混ざった声で感嘆詞を投げた。
「どうした?」
それに返事を寄越したのはランバージャックで、その声色には苦笑いと諦めがちょうど一対一の割合で含まれている。
「なんでここも『花園』って名前なんだ。名前が必ずしもその体を完璧に説明する必要はないしそんなことは不可能だが、だからと言ってここにその名前を付けるのは詐欺だぞ」
今七人の目の前に広がるのは、一面の銀世界であった。しかしそれだけならば、フェンネルとてこの冬の『花園』を『花園』と呼んでも差し支えないと思っていた。冬はもともと植物には厳しい環境で、冬にも観察できる植物というのは、かなり絞られてくる。さらにその絞られた植物たちのほとんどは、基本は雪の下、土の中で春を待つ。草一つ見られない雪原であるだけならば、フェンネルも冬の区域を『花園』とも呼んだかもしれない。
しかし、目の前に広がっている景色を正しく言葉にするのであれば、そこにあるのは雪原ではなく、雪が降り積もった斜面と、その隙間から見える岩肌、さらにそこに吹き付ける風のせいで舞い上がる粉雪たちだった。さらに視界はその粉雪のせいでハレーションを起こし白く霞んでもいて、ホワイトアウトするほどの強風でないのが幸いだが、つまりはただの冬山だった。
「便宜上、かな。『花園』と呼ぶと、名前から抱く印象が実態とかけ離れてしまうし、それこそ現場ではずっと『山』って言ってた。けど、上の人間が他の季節の呼び方と統一しろと口出ししてきたことがあって」
フェンネルの問いには、まずアカマルが概要を答える。
「で、そんなところで反発しても無駄な会議が増えるだけだから、おとなしく言い分を飲んだ。踊る会議に出るほど暇だと思われても腹が立つ」
続いてランバージャックが内情を明かした。感嘆詞を投げてきたフェンネルに対して、本題を聞く前から察したように応えたのは、その疑問が過去何度も調査隊の面子にぶつけられてきたからで、その疑問に対する答えの段取りも既にテンプレートとして用意されていた。
「うわぁ……、すっっごくどうでもいい……」
呆れたダビの感想に、苦笑いを崩さないランバージャックが相槌を打つ。
「だろう。
さらに、表情から一切の温かさを消した笑みで、アカマルは付け加えた。
「それか、呼び方を変えれば雪山じゃなくなるって、本気で信じてるのかもね」
そういう場で発言権を持つ者は、大抵の場合、現場には出ない。現場に出なければ、死に物狂いで帳尻を合わせる現場がいることは知る由もなく、知らないが故に己の発言こそが全能の権化だと錯覚し破滅する者が、いつの時代にも一定数の割合で出てくるのもまた、社会の理である。あるのだが。
「法で守られている世界しか知らない彼等らしい、実にキュートな考えだ。羨ましいね」
ここまで皮肉の切れ味が鋭いアカマルは、これまでの彼とはもはや別人のようでもあって、出会っていちばん日が浅いディアンテですら軽く寒気を覚えた。しかしランバージャックはどこ吹く風という出で立ちで動揺一つ見せておらず、それはこれも彼である、というこの上ない証明でもあり、それがさらに寒気を誘う。
「……アカマルさん、これまで一体どれだけ煮え湯を飲まされてきたんですか」
「どれだけだろうね? 数えなくなってしまったからなぁ」
「感情が顔に乗らないときは、無表情より笑顔の方がぞっとするって本当なんだなぁ……」
ダビが独り言のように言ったそれは、虚しくも雪の舞う風へと吸い込まれていった。
*
着地点も分からない大人組の不毛な会話と、そこから発生した形容しがたい気まずい空気は、ルアンが叫んだことにより突如として霧散した。
「ねえ! こっち、あしあとある!」
相変わらずの緊張感のなさを武器に、誰の話も聞かずに新雪に己の足跡をつけてはしゃぎ回っていた少女は、そのおかげで『花園』に先客がいたことに気が付いたのだ。そして、「足跡」という単語から、一行には緊張感が戻ってきた。
「足跡?」
フェンネルが代表して問いかけながら、一行は少女の方へと移動する。
「ほらこれ。しかも、たくさん」
そして合流した六人にルアンが示したそれは、複数の人族の足跡で、全てがどこか一意の方向へと続いている。足跡の上には吹雪く雪がいくらか積もっていたが、足跡の輪郭や、側面のエッジは鋭角に保たれていたため、新しいものであることが分かる。
「ぜんぶにそくほこうみたいだし、くつをはいてるあしあと。だから、ちょうさたいのみんなだとおもう」
「彼らも飛ばされたときに時間軸が歪んで、タイムリープしたのかもな。それは幸運だが、急を要することには変わりない」
冬山そのものであるこの環境では、とにかく早く見つけ、内外から温めることが、生存への大きな鍵となる。一行は雪に足を取られないよう気をつけながら、足跡の続く方へと移動していくと、やがて小さな洞穴の入口へと辿り着いた。
「——ここなら雪と風を凌げる。いい場所を見つけていてくれた」
ランバージャックがほっとしたように言った。冒険者である以上は、死を受け入れる覚悟を常に持ち、仲間であっても最悪を考慮することをも厭わないが、生きている方が嬉しいのは感情として正しい。ただ、まだこの中に調査隊がいるかどうかも、そもそも内部が安全なのかも確定していないので、手放しに喜んで駆け出すわけにはいかない。
「あとは誰が確認に行くか、か」
「狭いもんねぇ、ここの入口」
その洞穴の入口は人ひとりがやっと通れるくらいの幅で、大人数で入ると却って中で身動きが取れなくなるだろうことが予想された。
「でしたら、アカマルさんとランバージャックさんが適任では? 仮に、この中に別の何かがいたとしても、この中でならお二人が一番即応能力が高いと思いますし、調査隊の皆さんがいたなら、見知った仲間の方が安心できるでしょう」
ディアンテが言うと、名前を挙げられた二人は「無論、そのつもりだ」と頷く。そして二人が洞穴の目の前に立つと、中へと踏み出す前に、アカマルがフェンネルへ視線を向けた。
「……なんだ?」
「君にもついてきてもらえると僕達はありがたい。頼めるかな」
二人がフェンネルに何を頼もうとしているのか。フェンネルが二人よりも長けているものが何なのか。
「……ああ、そうか。わかった、後ろにつけばいいか?」
それは、回復魔法と薬草類の扱いであり、速やかな加療のためには必要不可欠である。それに思い至ったフェンネルは、協力要請を承諾した。
「助かるよ」
「あ、じゃあさ、おれもついてっていい? もし動けない人が多かったら、抱えるのにも人手がいるでしょ?」
「それもそうだな。……シアたちはどうする?」
フェンネルに水を向けられたシアは、ゆるりと首を横に振った。
「私達は外の見張りをしています。あまり人が押し入ってもなんですし、足跡が残ってしまっている以上、何かがここを嗅ぎつけて襲ってくる可能性もあります」
これ以上中へ入る人数が増えても、出来ることが増えるわけではなさそうだというのは、この場にいる全員の共通認識だった。ルアンとディアンテも声こそ発しなかったが、求められればシアと同じことを述べるつもりでいた。
「ああ、そっか。今は魔物とかの気配はないけど、【花園】自体がおかしくなってるから、それもあてになんないしね」
「うん。だからさ、たすけるのはなるべくはやくおねがいね?」
「無茶言うな、それはさすがに当人たちの生命力次第だ」
そして、見張り組の三人が洞穴へと入る四人を見送ってしばらく。
「むこう、しずかだね」
「ええ。少なくとも敵とか罠とかではなかったってことですね」
内部からは特に物騒な音も気配もしていなかったため、調査隊がいたのだろうと三人はひとまず胸を撫でおろしていた。ただ、その平穏も長くは続かず、ディアンテの一言で三人は臨戦態勢に入ることになった。
「……なにか、聞こえませんか?」
それをきっかけに全員が耳を澄ませば、シアとルアンにもそれがはっきりと知覚される。
「聞こえますね」
「ルアンもきこえるー」
「……妖精語で『ニンゲン、コロス』って言ってますね」
ディアンテは妖精使いであるため、当然妖精語を理解できる。聞き取れた内容を交易語に直して二人にも伝えれば、シアが眉を顰めた。
「つまり、妖精語を使える魔物や蛮族が近くにいると……」
ルアンが聞ける妖精語ならば、妖精が発話したものではない。そうでなくても、妖精ならば特定の相手を指して殺意を表明することはないのだが、人間に対して敵意を露わにする生物といえば、そのジャンルは限られてくる。
「……あ、あれじゃない?」
そして、ルアンが指をさした向こうにあったのは、一週間前にシアとルアンが桜並木の下で見たのとよく似た光景だった。
「……そういえば妖精魔法が使えましたね、あれは」
ウォーキングツリーである。
「ね。ダビさんがあおられてた」
「あら? ダビさんは妖精使いでもあるんですか?」
「ああ違います、彼は言葉だけを趣味で。リカント族ですし、妖精使いともあまり相性は良くないでしょう」
リカント族が冒険者になるうえで享受できる最大のメリットこと、獣変貌による身体能力の向上と、妖精使いが必須とする妖精語の発話は相反する関係にある。そのため、この種族の冒険者はその身体能力を活かす方に己を鍛え上げることが常であり、それはダビもまた然りであった。
「確かに。……でも、必ずしも習得する必要がない言語まで学ぶなんて、意欲的で面白い方ですね」
「他者との対話に積極的ですからね、彼は」
そんな会話をしている間に、三人は敵の全容を確認した。ウォーキングツリーは全部で五体いるようで、まだ三人には気づいていないようではあったが、それも時間の問題だと思えるほど近くにいる。
「ツリー、たくさんいるけどどうする?」
ルアンが小声で二人に訊ねる。動けば確実に見つかるような位置関係である以上、戦闘は避けられないが、最悪の事態を回避するために打てる手があるなら、それはすべて打っておくのがせめてもの抵抗である。
「多勢に無勢ですが、時間稼ぎも兼ねて、私達が向こうへ突入しましょう。今考え得る『最悪』は、あれの一体でもが、洞穴に侵入されてしまうことです」
ルアンの問いに間髪入れずに答えたのはシアだった。三人がここから動かずに戦うことになれば、最前の戦線さえも洞穴のすぐ近くで展開されるが、そうなると数の論理で、敵に戦線を突破されてしまう。弱った人間がいるすぐ側に戦闘を持ち込まないために取れる最善手は、今はその捨て身とも思える特攻しかない。
「しかし、こちらの数が少ないなら、遠くで迎え撃っても近くでも、一度に何体か落とせない限りは変わらないのでは? それこそ大博打ですよ」
ディアンテが、論理の矛盾を突きつつ不安げに訊ねる。しかし、シアには勝算があり、ルアンもその勝算に気が付いていたので、二人でディアンテの不安をきっぱりと否定した。
「一戦交え始めれば、音を聞きつけてうちの二人はすぐ出てくるでしょう。二人が合流すれば数は同じになるので、突破の可能性はなくなります」
「うん。ルアンはさんぼんどうじにきれるから、シアさんたちでいっぽんずつのちゅういをひいてくれれば、ふたりがくるじかんくらいはかせげる」
少女が言うのは、《薙ぎ払い》による同時攻撃のことである。ウォーキングツリーは知能が低い魔物なので、攻撃を食らえば、単純な防衛反応でその出所に興味関心を向けてくれるだろうとシアとルアンは踏んでいるのだが、五体同時に一発お見舞いすることも三人であればなんとかなる。
そして勝算の最大の根拠は、共に冒険をしたシアとルアンだからこそ知っていた、とある事実だ。
「あの二人、全力で走るととんでもなく足が速いんですよ」
「ダビさんはとうぜんだけど、フェンリィさんもすごいはやい。ルアンよりも」
「そうなんですか? ルアンさんよりも……?」
「そうなんです。……この局面、私達が十秒持ち堪えられれば切り抜けられます」
「うん。ここはひとつ、ルアンたちをしんじてみて?」
二人が言い募るそれらは、無事にディアンテの不安を払拭できたらしい。ディアンテは目に決意を宿し、二人の提案に頷いた。
「……分かりました。その策、乗りましょう」
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