白日

 *


 一行がひた走って春の『花園』へと戻った時、ダビはある事実に気がついた。

「あれ、ここにも蔓草が這ってる」

 その足元には、秋の『花園』、並木道のあたりで見たのと同じくらいの太さで蔓草が這っていた。

「おかしいな。さっきまでは、こんなものはなかったはずだが……」

 秋の『花園』へ移動する前の景色を思い出しているらしいアカマルが言う。春の『花園』では、蔓草は確かに草花の茎の緑に紛れているが、それでも一帯を見渡せばすぐに気が付くほどの存在感を放っているので、見落としたとは思えない。ランバージャックも仲間の意見に同意した。

「ああ、俺もこんなものを見た覚えはない。秋の『花園』にいた間に、何かのきっかけでここにも出てきたことになる」

 アカマルとランバージャックの会話に、フェンネルとシアも加わる。

「最初の場所にも同じものがあった以上は、これを追えば〈核〉に辿り着けるという道標のようにも思えるが、それなら、春には最初から姿を見せていてもいいよな。春のここより、四季のあっちの方が夏に近い場所なんだから」

「ディアンテがちゃんと本人かを確認できるまで、隠しておきたかった、とか?」

 【花園】内部に彼女らしき気配を招き入れ、ディアンテの存在を違うことなく認識した結果として、警戒を解き蔓草を出現させたという仮説は、現段階では肯定に足る根拠に欠けているが、否定するに足る矛盾も生じない。そして、蔓草が彼女に反応したのであれば、それは【花園】の導きのように感じられる。

 しかし、その当事者であるディアンテは、四人の話す仮説に、どこか冴えない表情をしていた。

「……それにしては、回りくどいと思います。最初に〈核〉の近くに招き入れるというリスクを冒しているのに、わざわざ遠回りさせる意図も分かりません。別の季節を回らないと夏への扉が開かないという仕組みは、調査隊の皆さんの捜索には都合のいい状況ですけど……」

 この〝魔域〟が本当にエドのものであって、エドがエドのままであれば、自分に対してそんな回りくどいことはしないと、ディアンテは心のどこかで思っていた。尤も、彼がここにいるかどうかも、いたとして現在彼がどういう状態なのかも未だ確認できていない以上は、それは希望的観測でしかないが。

 また、ディアンテだけではなく、ダビも納得がいかないようで、渋い顔で首を傾げていた。

「おれも、これは主さんと関係ない気がする。だってこの蔓草、他の植物と調和して植わっているというよりは、ここら一帯を侵食しているって感じがして、気持ち悪い」

「……侵食?」

 ランバージャックはダビの意見を聞くと、その単語だけを音に乗せ、何故そう思う、と目線で問いかける。ダビは答えた。

「うん。あの辺とか、そこに生えてた花を潰してるように見えない? これだけ綺麗な【花園】を作りあげて一年も維持してきた主さんがやることにしては、ちょっと趣味が悪いと思う」

 そう言って彼が指し示した先には、虫に食われたような、穴だらけの草花の絨毯が広がっており、当然だが一度目に訪れた時にはそんな穴はひとつもなかった。つまりその穴は、突如姿を現した蔓草によって、そこにあった草花たちが倒伏してしまった証である。

「……言われてみれば、場所がないところに無理やり蔓草が這っているように見えますね。〝魔域〟の主が道標として蔓草を扱っているなら、もっと上手く配置出来そうなものです」

 ダビの主張を聞いて、改めて辺りを見渡したシアはそう言った。彼の意見に概ね賛成ということである。そして、その二人の話を聞いていたアカマルも「成程、一理ある意見だ」と頷く。

 ただ、不可解な点をそのまま受け入れた場合、その不可解さが際立つこともまた確かであり、それに最初に言及したのはランバージャックだった。

「……だが、主の手引きではないとなると、これは何だ? この蔓草は、確認出来ている部位だけでも相当な大きさだが、こんなのがこの世にあるなら、今頃誰もが知っていて当然だろう」

「それなんだよ。こんな巨大な植物があれば、ここにいるうちの半分くらいは知っていてもおかしくない。国で一番高い山とか、世界で一番深い場所とか、珍しいものには人の興味が集まるから」

 アカマルはランバージャックの意見にも共感を示した。たとえどんなに興味がなくても、何かの一番だとか、希少価値の高いものは、人の記憶に残りやすい。加えて今この場には植物に詳しいディアンテがいるのに、この蔓草はその彼女ですらも「思い出せなくて分からない」と言わしめているのだから、自然に存在するものだとは考えにくい。自然に存在しないなら、消去法で〝魔域〟が意図的に作り出しているものになるのだが、〈核〉が関わらなければそんなものは発生し得ず、今の【花園】において〈核〉に干渉できるのは、ただ一人しか存在しないはずなのだ。


 しかし、ダビはそんな二人の会話に出てきた「巨大な植物」という名詞句に、背筋が凍るような直感を覚えた。それは彼にとって、当たってほしくない勘が当たるときの予兆であり、その直感はやがて、実像を伴ってひとつの予想を作り出す。ダビは今度こそ本気で寒気を覚えた。

「……あのさ、ディアンテさんが感じてた「大型の植物の魔物の気配」って、もしかして」

 そして、彼がそこまで言うと、一拍遅れて同じ予想に辿り着いたらしいフェンネルも、目を見開いて叫んだ。

「そうだ、それだ!」

「だよね? ……状況、やばくない?」

「ああ、かなり不味いな」

 ダビは言わずもがな蛮族や魔物に対する知識が深く、フェンネルも賢神を信仰していることが影響しているのか、幅広く世界を知っている。その二人が同じ結論を導いたのであれば、それはある程度信用のおける推論である。

 一方で、残りの五人はその閃きにまるでついていけず、呆然として二人を見ながら、代表してシアがフェンネルに解説を頼んだ。

「……あの、どういうことですか?」

「これは、メリアミスルトゥの一部だ。こんなに巨大化した例は聞いたこともないが、〈核〉の力を借りれば、それも実現できるかもしれない。そして、正体がそれだと考えれば、大体の辻褄が合う」

 そしてフェンネルが結論の冒頭でその名前を明かすと、ディアンテの表情も強張った。彼女がこの蔓草に感じていた恐怖の根源は、まさにその名前にあったからだ。

「メリ、……? え、なんて?」

 名前を上手く聞き取れなかったルアンが首を傾げてフェンネルを見上げる。だが、聞き取れなかったのはルアンだけではないようで、シアや調査隊の二人も腑に落ちない顔をしていた。どうやら調査隊の二人も、この名前は聞いたことがなかったらしい。

「メリアミスルトゥ、主に植物に寄生する魔物だ。寄生された側は、あっという間に生命力をすべて食い尽くされて枯れ果てる。……【花園】の外に普通に出現していたら、ディガッド山脈は既に禿山が連なる、寂しい景色になっていただろうな」

 ディアンテがその気配を感じ取ったのは約一週間前である。発生してたった一週間で、木々が生い茂る山々を草一つない荒野にしてしまうとすれば、それは常軌を逸した速さであった。

「一週間でそこまで……?」

 山火事を起こして焼き尽くすにしても、枯草剤を撒くにしても、その後が禿山と呼ばれるような状態にするには、一週間では足りないだろう。それを可能にしてしまうらしい速さに、シアが信じられない、と言いたげな独り言を漏らしたが、事実は事実なので、フェンネルは表情ひとつ変えることなく頷いた。

「ああ。しかも、個体の侵食速度の速さに加えて、その養分をもとに増殖までする。植物の増殖や再生の速さは、キミも昨日目の当たりにしたから分かるだろ」

 フェンネルの言うそれは、嵐の中遭遇したブラッディーペタルのことである。あの花は増殖こそしなかったが、再生能力は持っていた。

「ああ、つまり、ねずみ算的に侵食速度が上がる、と」

 シアが自分を納得させるように事実確認をすると、フェンネルはその通り、と言いたげに頷いた。さらにディアンテも補足を入れる。

「ですから、目撃情報が一度でもあれば、その場所を管理する方々はすぐにでも掃討の指示を下し、人海戦術を敷くために冒険者ギルドなどに多数の協力要請を出します。初動を見逃せば、その被害は甚大なものになりますから」

 だがメリアミスルトゥは今回、幸か不幸か【花園】内部に現れた。〝魔域〟内部に出現してしまえば、通行人という概念が存在しない場所である以上、偶然見つかることは少ない。また、今回のケースでは目撃情報が出たとして、その情報を受け取り対処するのは調査隊が主になるが、調査隊は今、調査隊として機能できていない。加えて【花園】には植物が豊富に自生しており、気温などは常に植物にとって最適であるように調整されているため、餌にも困らなければ、メリアミスルトゥが姿を隠すのも容易である。文字通り、森の中に隠された木であった。

「しかもここは〝魔域〟の中だ」

 〝魔域〟はゼロから一を作ることはできない。しかし僅かでも『在る』ものは、それを無制限に増幅させることができる。つまり〝魔域〟は「可能性を拡げる力がある場所」で、今回現れたメリアミスルトゥは【花園】の波長と不幸にも調和し、〈核〉に直接干渉は出来ずとも、その強大なエネルギーの残滓を貰っていたとすれば、今目の前にある現象を説明出来てしまうのだ。

 だが、【花園】とて面積も植物も有限であり、このまま放置しておいたら、いずれどの『花園』も荒野にされてしまい、睡蓮の花どころの騒ぎではなくなってしまう。

「早く本体を見つけて潰さないと、【花園】も崩壊しかねない。全員危険だ」


「——ちょっと待ってください」

「シア、どうした」

「蔓草の正体がその「植物の魔物」かもしれないのは納得しました。ですが、それならどうして、今になって姿を現してきたんですか?」

 その推測が正しければ、四人が調査隊を捜すために【花園】に入った時には、すでにメリアミスルトゥはここに棲息していたことになる。その時に向こうが身を隠していた結果、四人は存在を見逃したのだから、その後も【花園】があるうちは身を隠していた方が、己が身の保身に繋がると学習していてもおかしくない。

 シアはそう考えたゆえに三人の導いた見解に引っ掛かったのだが、シアはフェンネルたち三人が知っていたある大前提を知らなかった。

「メリアミスルトゥもですが、ほとんどの植物の魔物は知能を持ちません。だから論理を考えられず、種の繁栄や保存に繋がる行動に直線で向かいます。結果、『考えられる』生物が矛盾を感じるような挙動も、当たり前に行います」

 ディアンテが解説すると、フェンネルもそれを肯定する。

「彼女の言う通りだ。そして、今ミスルトゥが姿を現した理由は、やっぱり彼女にある。……彼女が、メリアだからだ」

 そして、そう言いながらフェンネルはディアンテを指した。ディアンテが同行することで発生した一週間前との相違点は、「彼女の存在」ではなく、「メリアという種族の存在」だったのだ。

「メリアミスルトゥも植物だから、寄生相手も植物である方が養分の吸収効率が良い。だが根付く植物に寄生すると、養分を吸い上げている瞬間はそこから動けず、ある意味では丸腰になる。翻って、足がある人族や蛮族を相手に寄生すれば、養分を吸い上げながら逃げられる上、繁殖地を広げる……今回で言えば【花園】の外に出るには便利だ。根っこ這って動くより、操って走った方が早いからな」

 メリアミスルトゥは、植物に寄生する例が圧倒的に多い。しかし、蛮族や人族でも寄生することは可能であり、寄生されれば植物同様、その生命を食らいつくされて絶命する。メリアミスルトゥの討伐が人海戦術で行われるのは、その被害を拡大させないためが一つだが、もう一つ、万が一討伐隊の誰かが寄生されたときに、対象が絶命する前にそれを引き剥がすことで、人的被害を抑える目的もあった。

「メリアは、植物でありながら人族。さらに彼女は寿命も長い。ミスルトゥにとって、寄生相手としてこれほど相性のいい相手はいない」

 メリアには短命種と長命種の二種類があり、短命種の場合は約十年でその生涯を閉じる。しかし、彼女の冒険者としての経歴を知っていれば、詳しい年齢こそ聞かずとも、短命種ではないことは察しが付く。そしてメリアは、長命種であれば三百年は生きるのだ。

 ディアンテが先ほどこの蔓草に恐怖を抱いた理由。それは、この場にいる誰よりも、自分が「食われる」存在に近しいことによる、生存本能由来の防御反応だったのだ。


 *


「……それなら、彼女がこれ以上同行するのは危険じゃないか? いくら〝魔域〟の主の関係者とはいえ、別のにも目をつけられている、ということだろう?」

 ランバージャックは気遣うようにディアンテを見た。が、ディアンテは力強く首を横に振った。

「確かに危険でしょうね。でも、ここまで来て引き返したくはありません。……私にも、皆さんの心意気に報いたいくらいの、意地はあります」

 その決意表明に応えるように、フェンネルとダビも言い添えた。

「このあたりの蔓草はまだ、触れても何にも起こらないただの草だ。これがもし寄生できる能力のある触手なら、周囲にある植物が枯れてないとおかしい」

「うん。だから、メリアミスルトゥに寄生される確率は、その草の周りを観察してれば最大限下げられると思うし、人数もいて一人じゃない。そこをきちんと警戒していれば、きっと最悪の事態は避けられる」

 二人の言に、ランバージャックは眉間に皺を寄せながら、大きく天を仰ぎ見た。彼女を危険に晒す以上、彼女が同行し続けるのは悪手だとランバージャックは思っているのだが、本人の意思や二人の推論、さらに【花園】の外のことを考えると、悪手であってもそれが今の最善策であるとも思えた。

「……一人で帰した先が安全だとも言えないしな。あとは野となれ山となれ、か」

「はい。ですからまずは、行ける『花園』に急ぎましょう。夏への鍵も開けてもらいたいですし、調査隊の皆さんの救出も急務ですが、この蔓草の根源を探して絶ち切らないと、何が起こるか分からない」

「うん、今は冬への道が開いてる。行こう」

 七人は、ダビの先導のもと冬の『花園』へと急いで走った。

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