革命
*
「お三方ー、キャラバンの方が戻ってきたわよ」
「あ、はいっ!」
三人は、ビアンカのその一声で、思いのほか時間が過ぎていたことを知った。呼びかけにはシアが返事をして、三人は立ち上がった。
「畑仕事って、こんなに時間を忘れて集中できるものなんだな」
「あら、フェンネルさんは初めてでしたか? こういうの」
「ああ」
あの後、三人は遊びたがるゴーレムの相手をしながら、この中で一番植物に詳しいディアンテ主導のもと、庭や畑の手入れを行っていた。また、ビアンカの許可もあったため、手入れついでに収穫期になっていた救命草や魔香草もいくつか摘んだ。この後のことを考えると、薬草はあるに越したことはない。
「行きましょうか。皆さんのもとに」
「ええ」
三人はゴーレムたちに別れを告げて、凝り固まった腰付近の筋肉を伸ばしながら、隊商の待つ〝向日葵亭〟の表へと移動した。
「やあ、待たせたな。その後は大丈夫だったかい?」
手に付着していた泥などを落とすため、一旦中で手を洗ってから隊商と合流すると、向こうは四時間前よりも一人少なくなっていた。残っていた三人を運ぶには、レッサードラゴンとペガサスが一頭ずつあれば足りるため、隊商は三人全員で戻ってくる必要がなかったのだ。
「ええ。ビアンカさんに匿ってもらっていたので」
リーダーの問いにはディアンテが答えた。ディアンテが合流することになった『事情』を、おそらくリーダーは先発隊の二人に聞いていて、だから「大丈夫だったか」という問いになったのだと、ディアンテは察していた。リーダーはその答えを聞いて、安堵したように笑った。
「そりゃ良かった。理解がありすぎる店主は頼りになるな」
「ええ。ですが、あなた方も私からすればヒーローですよ?」
「それは身に余る光栄だな」
「この後も、どうかよろしくお願いします」
「ああ、任せろ。ところで、きみらはどう分かれて乗るんだ?」
リーダーはディアンテとの会話に区切りをつけると、三人に向かってそう訊いた。すると、間髪入れずにフェンネルが反応した。
「ボクがペガサスに乗る」
「えっ」
フェンネルの返答に驚いた声を挟んでしまったのはシアである。つい今しがた問われたそれについて、待っている間に決めるのを忘れていたことを反省していたからだった。
「……何だよ、キミはペガサスに乗りたかったのか?」
フェンネルはシアのリアクションを不満の意と捉えたようで、若干気まずそうな表情でシアに聞く。シアはシアで、そのつもりは全くなかったため慌てながら否定した。
「あ、いえ、そういうわけではないですけど。フェンネルに希望があるのが意外で」
「庭では柄にもなく話しすぎた。だから一人になれる方にいたいだけだ」
つまりフェンネルは、騎獣そのものの希望ではなく、人数の問題でそっちが良い、と言っている。その動機であれば、確かに彼女らしいとシアは納得した。
「ああ、なるほど。……ディアンテさんは、何か希望ありますか?」
シアに希望を聞かれ、ディアンテは首を横に振る。
「いえ、私は特に何も」
「じゃあ、私とディアンテさんでドラゴンに乗せてもらいましょう。……そういうことでお願いします」
「おう、分かった。なら行くか」
そして、後発隊も恙なく空へ飛び立っていき、ビアンカはその姿を見送りながら、祈りにも似た独り言を、風に乗せて小さく呟いた。
「みんなの願いが、どうか間に合いますように」
*
レッサードラゴンの背中の上で、どうせ時間だけはあるのだからと、シアはずっと気になっていたことをリーダーに聞くことにした。
「あの。……なんで今日、私達のことを訪ねて来たんですか?」
「ん?」
「ディガッドに異変があった、原因として【花園】が怪しい、その調査隊は今行方不明。それだけで、調査隊と協業した事があると知られてるとはいえ、たった一度会っただけのひよっ子の私達に話が来て、ここまで協力してくださるのは、正直言うとありえないと思うんです」
「あー、まあ普通はそうだよな」
直球で疑問をぶつけられたリーダーは、軽く笑ってシアの意見を肯定した。困っている冒険者同士は助け合うべき、という暗黙の了解は互いに持っているものの、今回の件はその範疇にはどう考えても収まっていない。
「私達、騙されてるわけではないですよね?」
「そりゃ勿論。今もしきみらを騙してるんだとしたら、うちはすげえいい上客も同時に一組失うことになるしな。根拠に金勘定の話を持ち出すのも汚いが、そのあたりはどうか信じてほしい」
「では、協力してくれている理由を訊いても?」
「理由か。……直感って言うのが一番しっくりくるかな」
リーダーはそう言いながら、竜の影の向こう、一帯に広がる森へと目をやった。今はディアンテが暮らしていた渓谷のあたりを飛んでいて、まだ魔物らしきものは見当たらない。
「実は俺らも、【花園】に入ったことがあるんだ。存在が確認されてすぐの頃だったから、調査隊も発足していなけりゃ、誰に管理されてるわけでもない状態で」
「なんの前情報もない時に入ったんですか?」
「一応、〈悪魔の血盤〉で確認はしたさ。でも、びくとも震えなかったから、まあ入ってみるだけなら問題ないだろうと」
〈悪魔の血盤〉とは、文字通り悪魔の血液を固めて作られた円盤である。〝奈落の魔域〟の内部に脅威となるものがあると、それが悪魔の血と共鳴し円盤が振動するため、その振動度合いである程度の危険性を判断できる。
「そんで中に入ってみたら、すげえ綺麗でさ。……ああここは、誰かの〝魔域〟なんだなって、すぐわかった」
隊商に転身しているとはいえ、冒険者の経験もある彼らには、当然〝魔域〟の基礎知識がある。それが特殊な〝魔域〟であることや、特殊な〝魔域〟になった理由には、難なく予想がついたようだ。
「自我すら簡単に飲み込まれる〝魔域〟で、内に留まるというのが既によほどのことだ。強い意志がなければ、早晩自分がミイラになる。……だが、あの後ずっと【花園】は綺麗なまま、人ひとりを襲うことなく、ただそこに存在し続けた」
リーダーの話を聞きながら、シアはディアンテが気になってふと視線を向けてみた。ディアンテは、表情を動かさないまま話を聞いている様子だった。
「確かに〝魔域〟は、どんなことでも叶えられるような、万能の場所ではない。出来ないこともある。だがそれでも、大概の望みは叶える力がある場所だ」
たとえば時の流れを改竄する、あったはずの出来事を無にする、全くの無から何かを作り出すなど、魔法でも出来ない——いわば神の能力でもってしても実現できないことは、〝魔域〟に願ったところでどうにもならない。神を超える権能は存在しない。
だが、高等魔法に死者を蘇生する術があるように、記憶を取り戻す術があるように、人が思い描く『奇跡』の半分くらいは神が叶えられるのもまた、この世界の理である。
「そんな場所の主になっていながら、その強大な能力をずっと、美しい植物園の維持だけに振っていた。……俺は、その意地に感動して震えたんだ。ものすごく泥臭くて、ものすごく美しい意地だ、と」
主の目的の詳細は、シアたちのように調べてみないと予想は出来ない。しかし、目的が植物園ではないことくらいは、主の存在に気が付いた人には自ずと分かる。空いている土地を耕せばいいだけのものに、自我を失い次元の狭間に葬られるというリスクを払う必要はないからだ。
「人の出入りが増えれば、〝魔域〟が誰かに奪われるかもしれないと警戒したっておかしくないだろ。〈核〉が誰の願望に反応するかは分からないし、その影響で、あの景色が崩れることだって十分考えられる。それでも一年間近く、ずっとあのままだったのは、誰にも負けない執念があったからだ。だったら、どんな形でもそれは達成されてほしいと、俺は思う」
綺麗なものは、往々にして泥沼のような混沌と闇の中から生まれる。彼があの場所で咲かせたいと願う花が、正にそうであるように。
「だが、騎士団っていうのはなかなかどうして頭が固い。お国のためとか掲げちゃって、最短解決を目指したがる。それだって時には必要だが、人には感情ってもんがある。俺は、【花園】がただ消滅させられて、主が罰せられるとしたら、それは悲しいと思った」
今回の騒動は【花園】が魔物を引き寄せたかもしれないことが問題になっているだけで、【花園】が直接誰かの命を奪ったとか、経済損失を加えたとか、そういう実害は今のところ発生していない。また偶然ではあるが、夏以外の季節に自生する植物などをいつでも採取できるという利便性を、外に暮らす人々が少なからず享受してもいた。だから、それに対する処罰があったところで、実は大したものにはならない。しかし、ならば仕方がないと割り切れるわけではないのが、感情の機微というものだ。
「そんなときに、きみらの顔が浮かんだんだ。冒険者はもともと為政者の話は聞かない生き物だし、義理堅いきみらなら、きっと良い方向に持っていける、と思ってな。実際、その読みは当たったようだし?」
そこまで言うと、リーダーはディアンテと目を合わせた。この事態を良い方向に動かす鍵があるとすれば、それはディアンテの存在に他ならない。
「……ええ、そうですね」
ディアンテもそれを肯定する。
「まあだから、半分以上は俺のエゴかもしれないな。主に対する同情、みたいな。……騙してないと、納得してもらえたかい?」
リーダーは、そう言って話を締め、質問者であるシアに振る。
「……ダビと、気が合いそうですね?」
シアは、納得したと言う代わりに、リーダーの述べた理由に対しての感想を告げた。会ったこともない、いるかどうかも分からない〝魔域〟の主に対する興味関心を抱き、身を心配するあたりは、彼と似ている気がしなくもない。
しかし、リーダーは苦笑いで否定した。
「いやぁ、あれはちょっと手に負えん。山火事起こせば万事解決って発想は俺にはないからな」
*
ドラゴン組の三人が調査隊本部上空に辿り着くと、一足先にペガサスで到着したフェンネルが先発隊の全員を建物の外に呼んでいたため、見守られながらの着地となった。
「おお、なんかこそばゆいな」
リーダーはそんなことを言いながら、レッサードラゴンに伏せの姿勢を取るように命じる。ドラゴンは従順に従い、それを合図に三人はその背中を降りた。
「出陣式でも始まりそうな雰囲気ですね」
シアが何の気なしにそう零すと、リーダーは耳聡くそれを拾う。
「まあ状況的にはその通りだがな。……どうか、よろしくな。【花園】と、その主を」
「……はい、必ず」
まだ、何が事態解決の鍵を握っているかは分からない。だが、最善を尽くすという決意は今からでも出来る。だからシアは、そう宣誓した。
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