里程標


 *


 先発隊を、その姿が見えなくなるまで見送ってしばらく。ビアンカがぱちん、と軽く手を叩いて、後発隊こと、シア、フェンネル、ディアンテの意識を地上へと引き戻した。

「私達は一旦戻りましょ。四時間もここで待っていてもしょうがないわ」

「あ、はい」

 三人は促されて〝向日葵亭〟の中へと入り、とりあえず先ほどまでいたテーブルに座った。ここから四時間は、とにかく待つしかやることがない。

「……あら? あのゴーレム、やけに緑が生い茂っているのね……?」

 そんな折、窓の外に見慣れないものを見つけたディアンテが言った。この場でそれを見たことがないのは、確かに彼女だけである。

「ふふ、面白いでしょう? 私の操霊術の修行を兼ねて、身体の土で畑をやってるの」

 そして、ビアンカがそう種明かしをすれば、ディアンテは得心した様子で頷く。

「ビアンカさんが使役してる方々なんですね」

「ええ。可愛いわよ」

 そこで、ビアンカは何かを閃いたと言わんばかりに、胸の前で手を叩いた。

「そうだ。みんな、あの子たちの遊び相手になってくれないかしら?」

「……遊び相手?」

 ゴーレムと遊ぶ、と言われて、模擬戦闘かと身構えたディアンテが警戒しながら問い返すと、ビアンカが首を横に振りながら笑った。

「昨晩が大雨だったから、私も今日は水やりをしていないのだけどね。あの子たち、人が傍にいると嬉しそうに踊るのよ」

「そういえば、この前ビアンカさんが水やりしてたときも踊ってましたね」

 シアがいつか見た光景を思い出しながら言うと、ビアンカも深く頷く。

「ええ、人が好きなのよね。でも今日は私が構ってあげられてないし、構ってあげる時間が取れるかも分からないから、それならあなたたちにお任せしちゃおうと」

 どうかしら、とビアンカに問われて、ディアンテは納得したのか警戒を解き、「それなら」と席を立った。シアは頼まれたことは断らない性格なので、とっくに遊び相手になる気でおり、その二人を見たフェンネルは顔に面倒くさいと書いてはいたが、この状況だからか、あっさり折れた。

「まあ、どうせ四時間は暇だもんな……。分かった」

 ビアンカは三人に「ありがとう、よろしくね」と礼を述べ、さらにひとつ付け加える。

「もしあの子たちの身体や、それだけじゃなく普通の畑でも、収穫期になっていそうな薬草とかがあれば、摘み取って持って行って? お駄賃じゃないけれど」

「でしたら、ついでに雑草刈りもしましょうか? わたし、多少なら畑の知識もありますし」

 そしてディアンテがそう発案すれば、ビアンカは嬉しそうに微笑んだ。

「あらあら、それは願ったり叶ったりね。ぜひぜひ」


 *


 三人が庭に出て、庭でのんびり気ままに過ごしていたゴーレムたちに近づくと、彼らはきびきびと動きながら三人の元へとやってきた。構ってくれそうな人が来たことが嬉しいらしく、彼らは三人の足元に着くとその手足を三人に引っ付けて、ぺたぺたと懐く。

 ゴーレムは土でできているので、そんなことをされると衣服に土が付いてしまう。そのため三人の心情としては、遊ぶのはいいとしても懐かれるのはご遠慮願いたかったのだが、避けたり制止したりする隙がなかったので、結局彼らのなすがままとなった。そして実際に懐かれてみると、それこそが目的だったのだと、三人が三人とも気が付いてしまった。

「……気づきました?」

 シアがある確信を持ってディアンテとフェンネルに問いかけると、二人もそれに同意する。

「ええ」

「ああ。……今、ボクたちは何だと思われてるんだろうな」

 各々、扱える魔法の系統こそ違えど、魔法を使うという行為には慣れているので、ゴーレムが懐いてつけた土が、単なる彼らの戯れではないこと、それが何をもたらしているのかを、感覚として分かってしまう。三人は今、この土が起点となって、【イリュージョン】の効果の内側に入ったのだ。

 その術を発動させているのは勿論ビアンカである。この後三人が〝向日葵亭〟を発つまでに、騎士団の関係者が再びこの場所を訪れないとも限らない。これは、その万が一の時に目を欺くための、保険のようなものだ。

「この子たちと遊んでて違和感ない姿となると、同じく土のゴーレムかその他魔法生物、もしくは年端もいかない子供、あたりでしょうかね?」

 シアが言ったのは、三人とビアンカ以外から見た、自分たちの今の姿の予想だ。【イリュージョン】は範囲を指定して幻覚を作る術であり、おそらくビアンカは、三人が庭を動き回っても術が解けないように、庭の一角ではなく、三人それぞれを範囲として指定して、術式の中に入れている。そのために、人懐こいゴーレムの性格を利用して、その土を標的マーカーとしたのだろう。

「ゴーレムと遊ぶ子供って、それはそれで違和感ないか?」

シアの予想に、フェンネルは渋い顔をした。

「そうですか? ルアンを想像するとありかなと思ったのですが」

「それはルアンが特殊だろ。あれは外見が子供なだけで、嬉々として大剣振り回す戦闘狂なんだから」

 たぶんゴーレムだろう、とフェンネルは結論付けて、庭に寝転がった。いつか彼らが、のんびり日向ぼっこをしていた時のように。

「操霊術って、本当に出来ることの幅が広いですね」

 ディアンテはそう言いながら、フェンネルに倣って、その隣に寝転がった。二人の視界には相変わらず、昨日の悪天候が嘘のような、爽やかな青空が広がっている。

「〝たましいを操る〟術だからな……。生きてさえいれば、人族、植物、魔法生物すべてを問わず使役の対象に出来るって、よく考えたらとんでもない離れ業だ」

 命の蘇生も、人形を作り出すことも、他人の視界を欺くことも。名は体を表すと言うように、操霊術には、それがすべて出来るのである。

「ビアンカさんも凄いですよね。三人分の身を隠しながら、自分は距離のある場所で、マスターとして怪しまれないように振る舞うって。そこまでする義理はないのに」

 シアは寝転がらず、二人の横に座って言った。嵐のあとにもしぶとく吹いている風と、その風のおかげで燦々と降り注ぐ日差しで、庭の草木に落ちた昨夜の雨も朝露も大方飛ばされているが、完全に乾いているわけではないので、寝転がるには躊躇が勝ったらしい。

「ええ、本当に。……奇跡とか幸運、なんて言葉で言うと安っぽくなるけれど、今私がここにいられるのは、とても恵まれていると、思います」

 ディアンテは、空を見上げたままそう言った。いつどこで、何がスイッチになって出来事が転がり始めるのか。岐路に立たされた時に何を選び、選ばないのか。選択の結果、進んだ先がどうなっていくのか。その結果は、どんな人でも、それがたとえ神様と呼ばれる存在であっても、見通すことは出来ない。世界は、生命は、常に一方通行で、不安定で不確実な道の上にある。

「…………よっ、と」

 独白にも近いディアンテの言葉を聞いたフェンネルは、一息に身を起こして立ち上がった。示し合わせていないはずなのに、シアも全く同じタイミングで立ち上がる。そして、二人はともにディアンテに手を差し伸べながら言った。

「満足するには時期尚早だ。まだ何も始まっちゃいないんだから」

「そうです。本番はこれからです」

 ディアンテは二人の言動に目を丸くした後、差し伸べられた手を両の手で掴んで、引っ張られるままに立ち上がった。

「ふふ、そうでした。これからですね」

 笑顔を浮かべて二人を見たディアンテに、フェンネルは「あと一つ、言っておく」と付け加えた。

「……なんでしょう?」

「『奇跡は起きるのを待つものではない。何度でも起こすものだ』。いつかどこかで読んだ本にあったものだが、ボクは、この言葉が悔しいことに嫌いになれない」

 何か行動を起こせば、その行動がどんな内容だろうと、やがて結果が訪れる。その結果の内容は手にするまで分からないものの、『奇跡』と呼べる結果を引き寄せるまで行動し続ける執念があれば、いつか『奇跡』も手に出来る。

「あの二人もきっとそうだった。彼だって、まあ、選んだ手段はかなりの悪手だったが、諦めていないから、一年もあの場にいる。……気障な言い方をすれば、『運命は変えられる』と、ボクは思う。だから、今日あなたがここにいるのは、あなたの行動のおかげだし、全部、ここからだ」

 それがフェンネルなりの励ましだということは、ディアンテもすぐに気が付いた。ディアンテにもエレナの看病役という役目があったとはいえ、ひとりだけ事態の蚊帳の外だったことは事実で、それに対して全く負い目を感じないでいられるようなひとは、大陸中を探しても、きっとなかなか見つからない。フェンネルは、ディアンテが『恵まれている』と表現した裏にあったものを、声色から拾ったのだ。

「……私、あなたのこと、人の機微とか、興味がない方だと思っていました」

「別に興味はないぞ、今だって」

「その割に面倒見がすごく良いと思いますけど」

「……そうか?」

 二人がそんな話をする隣で、シアはただ小さく笑っていた。

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