第4話 さしも知らじな燃ゆる思ひを(後)

悪化

 *


「さて、こっちが種の解析結果です」

 ディアンテに種を渡したビアンカは、今度は手に持っていた紙を五人の前に置いた。それをいち早く読んだのはフェンネルで、その内容に眉を顰める。

「……『ニーファロータス』があるとは、断定されてないのか」

「ええ。標本もない古代種だったから、さすがに同定は難しかったみたい。でも状況証拠を踏まえれば、含まれている確率は高いでしょう」

 解析結果に書かれていたのは、品種の判別がついた種子についての一覧表と、判別できなかったものについての、種子を識別してくれた学者チームによる所感だった。判別できた種子一覧に『ニーファロータス』の文字はなく、所感には、古代種かつ現存していない種類の種が含まれていること、種の内部は腐ったり空洞化したりはしていなかったが、芽吹く力が残っているかは不明であることの二点が記されていた。

「そうだ、もう一つ。種は品種別に分けて返してくれたそうだから、目的のものを探しやすくなってると思うわ」

「……あら、本当。ここまでしてくださるなんて」

 ビアンカの発言を受けてディアンテが手元の袋を開くと、確かに中にはいくつかの小袋が入っていて、それに種が収納されていた。品種名は袋に書かれていて、不明なものは『不明』という袋で一括りにされたうえで、その中でさらにいくつかの小袋に分けられていた。この中のどれかが、『ニーファロータス』かもしれないということだ。

「となると、その『不明』だけは、何が何でも守らなきゃいけませんね」

 シアが小声で呟くと、その声を拾ったフェンネルも頷く。

「だな。じゃないと二人が浮かばれない、犬死にだ」

 イアンとカルカス二人が命を賭して手に入れ、そして希望を託して守ったものである。何としてでも【花園】に運び、咲かせなければ、二人に合わせる顔がない。この種は、今五人が持っている他の何よりも重い。

「じゃあ、早く【花園】に種を届けよう。ディアンテさんもいるし、エドさんが今どうなってるのかも心配だし」

「そーだね。いそがなきゃ」

 ダビがそう言って立ち上がると、ルアンもそれに続いて席を立つ。

 しかしそこで、ビアンカが「待って」と険しい表情で二人を止めた。

「水を差して申し訳ないけど、もうひとつ、君たちに伝えなきゃいけないことがあるの」

「え、何ですか?」

 ビアンカが足止めを食わせた意図を知るためにも、ダビが話の先を訊ねると、彼女はまず結論を述べた。

「一晩でかなり事態が動きました。悪い方に」


「……これ以上悪くなる要素ってありましたっけ?」

 シアが引き攣った苦笑いでビアンカに訊けば、あったらしいのよ、と沈んだ声で返事が来た。

「昨晩……、嵐が落ち着いてきた頃かしらね、騎士団の伝令がまたここに来たの。君たちが【花園】や調査隊本部に行くのに使っていた、ディガッドの登山道にも、大量に魔物が跋扈しているって」

 その伝令曰く、今のディガッド登山道は、一般人は勿論のこと、冒険の心得がある人でも、油断すればうっかり命を落とすくらいには、危険な道になっているという。

「……だから、もう魔物が街に降りてくるまでは時間の問題だと判断して、騎士団が討伐に動き出しました。【花園】についても、〝魔域〟である以上はこの変異の原因として真っ先に考えられるものだし、昨日君たちがここで整理していた分の情報は持ってかれちゃったから、なんらかの横槍は入るでしょうね」

 『昨日ここで整理していた分』とはつまり、【花園】に関係している五人のことだ。あの時点で四人はディアンテに辿り着いていたのだから、当然、騎士団もディアンテを訪ねようとするだろう。

「てことは、今、ディアンテさんは騎士団に会わない方がいい、のかな……?」

 ダビがおそるおそる、といった態でそう言えば、当事者であるディアンテも頷く。

「……かも、しれないですね」

 さらにフェンネルも、苦い顔で補足した。

「もし今見つかれば、重要参考人と一緒に行動してた、ってことで、ボクたちも何かしらのとばっちりを受けるだろうな。隠避だとかなんだとか言って」

「……わるいこと、なにもしてないのに?」

「してないのに。こういうときの公権力は容赦がない」

「じゃあ、今朝早くに移動しておいて正解だったんだね」

 昨晩ここに四人がいなかったことも、今日ディアンテを連れて早い時間に移動したのも、それは不幸中の幸いだったのかもしれなかった。


 *


「でも、だとしたら、私達はどうやって【花園】へ向かえばいいんでしょう。街を出るタイミングがほぼ同じならどう頑張っても鉢合わせますよ?」

 しばらくの無言の後、それに気が付いたシアが場に疑問を投げかける。しかし、その答えは、おそらくここにいる全員が持ち合わせていない。顰めっ面で腕を組みながら、フェンネルは言った。

「そこなんだよな。登山道を避ければ騎士団とは鉢合わせないかもしれないが、今度は【花園】への到着が遅れる」

 山道における迂回ルート、それはつまり未開の地である。ただでさえ道がない場所を進まなければならないのに、今この瞬間においては、魔物というオプションも付いてきてしまうわけだから、迂回するのであれば【花園】までの所要時間は大幅に延びる。

「けど、はやくいかないと、エドさんのあんぜんは、わからなくなるよね?」

「ああ。最悪、一か八かで【レスキュー・フロム・シャロウアビス】を使える神官を探して【花園】に連れて行けば、当座の命はどうにかなるかもしれないが……」

 フェンネルが名前を出したその術は、ハルーラを信仰する者だけが詠唱できる、〝奈落の魔域〟に囚われている者を救い出す術だ。しかし。

「……そんな高等魔法を扱える人、都合よく存在しますか?」

 シアが訝しげに入れたその指摘は尤もで、それが非現実的であることはフェンネルも知っていた。

「しないな。……それにあの術は行使条件も厄介だから、思い付きで言ってはみたが夢物語の域を出ない」

 その術は卓越した神官にしか扱えない上、救い出す対象のことを術者が良く知っている必要もある。フェンネルとルアンが昨日訪ねて、エド達も何度か訪れていたというハーヴェスのハルーラ神殿にこの術を使える神官がいれば、もしかしたら不可能ではないかもしれない。それでも顔見知り程度では、うまくいく確率は低いだろう。


 状況がさらに厄介になったことが判明し、五人が次の行動を考えあぐねていた、そんな時。突然、〝向日葵亭〟の扉がけたたましい音を立てて開いた。

「朝っぱらから失礼する! 愉快な新入り四人組はいるかい?」

 そして、やかましく開いた扉から、これまた大音声でそう宣って入ってきたのは、ディアンテを除く四人が、少し前に調査隊本部で会っていた人物だった。

「あ、キャラバンのおにーさん!」

 ルアンが知った顔にひときわはしゃいだ声を上げ、訪ね人、こと隊商のリーダーを呼ぶ。すぐに彼は四人に気が付き、テーブルへと駆け寄ってきた。

「お、いたな! 全員元気だったか、よかった」

「いや、その前に、愉快な新入り四人組って何なんです……?」

 シアが苦言を呈すると、あの挨拶をかました犯人は、悪びれもなく言い放った。

「あの時きみらのチーム名を聞きそびれたんだから仕方ないだろ、許せ」

 そして、四人と共にテーブルにいたディアンテを見つけると、彼は不思議そうに首を傾げた。

「お、一人増えてる?」

 視線を向けられたディアンテは、とりあえずこの場に必要なことだけを伝える。

「事情がありまして、今はみなさんに同行させていただいています」

「なるほど。まあそういう縁も冒険者の醍醐味だ、いい経験になるぞ」

「いいけいけん?」

「おう。行き当たりばったりで組んで行動するのは、決まった奴と行動するのとはまた別の頭を使うからな。学ぶことも多い」

「へぇ~、おれも今度やってみよっと」

「……で、あの。私達を訪ねた理由は?」

 ルアンとダビがどこかへやった話の軸を、シアがやや強引に引き戻す。するとリーダーは「おお、そうだった」と言うと、先ほどまでの茶化した気配をどこかへ仕舞い、真面目な顔で切り出した。

「騎士団が【花園】討伐に動き出したっぽいから、きみらにちょっとしたお節介を焼きに来た」

「『お節介』……?」

 フェンネルが訊き返すと、彼はそれにひとつ頷き、意図を説明してくれた。

「今朝方、【花園】含めたディガッド一帯に騎士団が派遣された。きみらももう知ってると思うが」

「ああ」

「となれば当然、やつらは【花園】へも介入するだろう。なんせ〝魔域〟なんだから、ここ一週間の変異の原因として、一番怪しい」

 先ほどビアンカが述べたことと同じことを彼も述べた。このあたりの感覚は、ある程度冒険の心得や〝魔域〟の知識がある者にとっては常識であり、そして共通見解ということである。

「調査隊のメンバーが行方不明の今、【花園】に一番詳しいのはきみらだろ? だから、あれをどうかするなら、俺はきみらが適任だと思ってる。だが、今の【花園】周辺は魔物が蔓延っているし、狭い山道で騎士団を出し抜くのも難しい」

「それは、まあ」

 リーダーの現状確認には、シアが代表して曖昧に頷く。出し抜くとか出し抜かないとかの前に、今、五人は騎士団と遭遇しない方が良いのだが、それを話すには説明しなければならないことが多いので、訂正せずにそういうことにしておくしかない。

「で、だ。きみらがもし、このあと【花園】に行くのなら、うちできみらを運んでやりたい。言い出したのは俺らだから、もちろんタダで」

「…………へ?」

 彼が放った『運ぶ』という単語に、五人はそれぞれに面食らった。『きみら』、つまり自分たちが輸送対象である、ということは勿論理解しているのだが、だからこそ意味が分からない。呆然としたまま二の句を継げない一行の反応に、リーダーは可笑しそうに笑った。

「俺ら、元々は騎手ライダーだけで冒険してみたらどうなるだろうなってノリで組んだんだよ。全員騎獣を扱えて輸送力だけはあったおかげか、気づいたらキャラバンになってたんだが」

「気づいたらって、そんなことあるか……?」

 リーダーが話しているうちにフリーズが解けたフェンネルは、とりあえず気になった部分に突っ込みを入れた。冒険者としての経験は、隊商をやっていく上でも活かせるものが多いので、転身するのも全くない話ではない。が、それなら転身を前提に隊を組むなど、先を見据えて計画を立ててやるもので、気づいたらこうなっていました、などというケースは稀だ。

「あったんだな、これが。人生、何が起きるか分からないぞ」

 彼は「そのあたりは、興味があるなら時間があるときに聞かせてやる」と言うと、次に『運ぶ』手段の詳細を説明した。

「さっきも言ったが俺らは全員騎手だから、騎獣に乗せてきみらを運ぶ。そこの彼女を含めた五人となると、一度に運ぶには手が足りないが、二回に分ければ問題ない。だからそうだな、全員運ぶには一往復半で、だいたい六時間ってとこだな」

「……どうやって、六時間で?」

 一往復半で六時間ということは、片道一回が二時間程度ということだが、これまでに何度も歩いたり走ったり崖を登ったりしたその道のりは、踏破するのにどう頑張っても四日はかかった道のりだ。馬やその他乗り物で走れば当然多少の時間短縮にはなるのだが、行く先は山の上なのだから、全速力で走れる場所の方が少なく、騎獣の人並外れた移動速度の恩恵も受けにくい。さらに今は山のそこかしこに魔物が蔓延っているので、二時間で移動できると言われても、信憑性がまるでない。

 最大級の疑いと共にシアが放ったその疑問に、彼は悪戯を仕掛けるような表情で指を鳴らすと、その指で天を指した。

「空だ。飛ぶぞ」


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