正体

 *


 そうして五人が夕食を囲むうちに、一帯は嵐に包まれた。雨と風が窓を叩き、そのけたたましい音の向こう側には雷まで鳴っている。この天候では、さすがに今日中には帰れないので、ディアンテの計らいで四人はここで一晩お世話になることになった。

 思いの他しっかり時間が取れることになったからか、ディアンテは、食後のお茶まで振る舞ってくれ、それをテーブルに並べたところで、ようやく話は本題に入った。

「それで、あなた方の訊きたいこと、というのは?」

 それには、まずフェンネルが答えた。イアンとカルカスの似顔絵を取り出して、説明する。

「先日、この人たちが蛮族の基地で亡くなっていたのを見つけた。……あなたの、仲間だった方、ですよね」

 ディアンテは二人の似顔絵を確認すると、目を見開いた。

「! ……ええ、そうです」

 次いでフェンネルは、修復してもらった手記をディアンテに差し出す。

「カルカスさんが持っていた手記です。……これは、あなたが持っているべきだと思うので」

 ディアンテは、その手記を受け取り中を数頁めくると、はらはらと涙を流し始めた。

「……確かに、彼の字です。――……っ、ごめん、なさい……」

 突然知り合いの訃報を聞かされれば、誰だって動揺する。だが、ディアンテの反応から、彼ら五人が別行動に至った理由が不仲などではないことは、四人にも分かった。

「……いえ、大丈夫です。ゆっくりで」

 フェンネルは気にするなと言外にディアンテに告げ、ルアンは、自分の座っていた椅子をディアンテのすぐ隣に移動させて、再び座った。少女は慰めるでも何を言うでもなく、ただ隣に座っていた。シアとダビも何も言わず、ディアンテが落ち着くのをただ待った。


「……すみません、お待たせして」

 そうして五分ほど経った頃だろうか、ディアンテがそう呟いた。まだ押し寄せる悲しみを、無理やりねじ伏せたような声で。

「……大丈夫ですか?」

 シアが確認を取ると、ディアンテはそれでも笑ってみせた。

「ええ。あなたたちを、いつまでも待たせるわけにもいきません。……それに、本題は、まだでしょう?」

 四人は訊きたいことがあるとディアンテを訪ねた。二人の遺体からディアンテにたどり着いた四人が、訃報を伝える以外に何を確認しに来たのか。そのことを、彼女はきっと察している。

 ディアンテの返事に滲んだ覚悟を受け取って、シアもまた覚悟を決めて『本題』を話し始める。

「わかりました。……私達は少し前、とある〝魔域〟を訪れました。そこで視た幻影に、ある二人がいたんです」

 今度はシアが、エレナとエドの似顔絵をディアンテに見せた。

「この二人を、知っていますよね」

「……ええ。勿論」

「しかし、〝魔域〟で幻影を視たのは、その時睡蓮の種を持っていた彼女、フェンネルのみでした。だから、私達はその〝魔域〟と睡蓮が関係していると踏み、彼らや睡蓮について調べることにしました」

 ディアンテは、何も言わずにシアの言葉の続きを待つ。

「そうして調査を進めるうちに、ひとつの仮説が浮かびました。……彼女が幻影を視たあの〝魔域〟は、エレナさんを治療する睡蓮、『ニーファロータス』を咲かせるために存在している。そして、〝魔域〟内部に、〝魔域〟が『ニーファロータス』を育てるための場所になるよう、仕組んでいる番人がいる、と」

「……もしかして、その番人のことで?」

 ディアンテが四人よりずっと経験のある冒険者だということは、先ほどの共闘があれば嫌でも分かる。であれば当然、〝奈落の魔域〟がどういう場所であるかも知っているはずだ。

「はい。……番人は、あなたがたの事情をよく知っている人物のはずです。あなたなら予想がつくと思って、私達は答え合わせをしに、ここまで来ました」

 シアが『本題』を話し終えると、ディアンテは考えるように黙り込んだ。心当たりがないか記憶を浚っているようだったが、その表情はどこか冴えないままであった。


「……お話は分かりました。まずは、こちらの事情を明かしましょう」

 そして、しばらくの無言ののちにディアンテはそう言うと、席を立ち、五人がいるリビングから繋がる、閉ざされた扉の前へ移動した。

「皆さんもどうぞ、こちらへ」

 ディアンテが開いたその扉の向こうは寝室だった。部屋は暗く、その中で誰かが眠っている影だけが見える。招かれた部屋に足を踏み入れた時、夜目が効くためにそれが誰であるかを先に知ったルアンは部屋の入口で小さく息を吞み、その後ディアンテが部屋の灯りを点けて、眠る人が誰であるかを知ったルアン以外も、やはり小さく息を吞んだ。

「……エレナさん」

 その名を呼んだのはダビだった。

 ここに寝ているエレナは、フェンネルの見た幻影ほど顔色が悪いような様子はなく、何も知らなければ、ただ普通に眠っているとしか思わない。フェンネルが状況を問う言葉の代わりに視線を向けると、ディアンテは、過去自分たちに何があったかを話し始めた。


 *


「二年と三か月前に、私達はある遺跡を教えてもらって、その調査に行った。正確には、遺跡型の〝魔域〟だけれど」

 その遺跡は魔動機文明の遺跡だったが、魔法文明の様相も残していたという。

「エドは魔法文明のころの遺物が大好きで、楽しそうに探検していたわ。私も皆も、そんなエドを見るのが好きだった」

 しかし、悲劇は訪れた。エレナが謎の魔術に中り、意識を消失してしまった。幸い自発呼吸はあり、生死に直結するような様子ではなかったものの、寝ても覚めても、彼女の意識は戻らなかった。

「街に戻って、いろんな治療を試したけれど、どれも駄目だった」

「エレナさんの身体は今、どういう感じなの? どうやって生命維持を?」

 ダビが疑問を口にすると、ディアンテは分からない、と言いたげな表情で、首を横に振った。

「それが不思議なもので、まったくなにも起きていないの」

……?」

「身体が時を止めている、と言うのが正しいのかしら。飲まず食わずなのに、どこも衰弱もせず、だけど成長もしない。床ずれもしないし、髪の長さも外見も、すべて二年三か月前のまま」

 ディアンテは、彼女にかけられた毛布の足元をめくった。そこにあるのは、エレナの脚だ。

 普通、外部から水分や栄養を摂取しなければ、人は一週間と生きてはいられない。また、仮にそれらを不足なく摂取していても、二年以上も寝たきりであれば、身体中の筋肉が刮げ落ちる。立って歩いていた人の場合、自重をすべて支えていた脚の筋肉に、その衰弱は顕著に出る。しかし、エレナの脚は健常な人のそれと変わらなかった。衰弱しないのはナイトメアだから、という可能性も無きにしも非ずではあるが。

「ほんとだ。ひふがかわいてもいないし、きんにくがいじされてる」

「……あら、詳しいのね?」

 ディアンテが説明しようとしたことをルアンが先回りしたので、彼女は驚いて少女を見やった。フェンネルは気にするなと告げる。

「この子はちょっと知識の対象が特殊なんだ。……それで?」

 ここで話の腰を折っても仕方ないので、ディアンテはフェンネルの言う通り、ルアンには触れず、続きを話した。

「いくら命に別状はなくても、このままでいいとは誰も思えなかった。特にエドは酷く落ち込んでいたし……。だから私達は、魔術を解く方法を片っ端から探して、調べました。そして見つけた、ひとつの可能性に賭けた」

「それが、『ニーファロータス』だった?」

 フェンネルが「可能性」の内容を確認すると、ディアンテは頷いた。

「ええ。……イアンとカルカスが古代の場所を探して、種を見つける。そしてエドがその花を咲かせて、薬を作る、と。エドは錬金術師でしたから、その手の知識もありましたし。その方針が決まった時、私はエレナの看病役として、ここに移り住みました」

「それぞれの方とは、連絡を取っていたんですか?」

 質問者を交代して、今度はシアがディアンテに問いかける。

「ええ、別行動になるからこそ、連絡を取り合おうと皆で決めて、私が中継点になりました。連絡手段はここに顔を見せに来てくれたり、それが難しいなら手紙で知らせたりと、その時によってまちまちですが。……確かに最近は、皆から連絡はなかったけれど」

 イアンとカルカスは、三か月ほど前に「遠くの方へ行く」と言い置いたきり、音信不通になったという。しかし、「遠くへ行く」と聞いていれば、三か月音沙汰がないだけでは、冒険者という身分では、さすがに生死を疑うまでの考えには至らない。

「エドさんとは、いつが最後ですか?」

「エドも、三か月前に送ってきた手紙が最後です」

 そこで、あれ、とダビが口を挟む。

「エドさんは、ここには来てないんだ?」

 話を聞く限り、エドは冒険には出ていない。エレナのことに誰よりも責任を感じていたことは想像に難くない彼が、手紙ひとつで済ますのは、些か行動と感情が一致していない印象を受ける。

 ディアンテは、その不一致からダビが疑問を呈したこともお見通しだったようで、エドの過去も交えて答えてくれた。

「一年くらい前までは来ていたんだけど、それを境にぱったり来なくなりました。でも、定期的に手紙は送られてきていたし、夏を待たずに花を咲かせる方法を思いついた、と報告してくれたのがちょうど一年前だったから、そっちが忙しくて、ここに来る時間が惜しくなったんじゃないかしら、と思って」

「ふぅん」

 ダビはその答えに素直に納得した。しかしその答えを聞いて、今度はフェンネルとシアが色めき立つ。

「一年前って、もしかして……」

「一致しますね、時期が」

「?」

 ディアンテが首を傾げて、シアとフェンネルを見る。その目は何のことだ、と聞いていた。

「私達がさっき言った〝魔域〟が初めて確認されたのも、今からだいたい一年前だったんです」

「それが、何か?」

 フェンネルは、首を傾げたままのディアンテにその〝魔域〟の性質、つまり【夏知らずの花園】という名前がつくに至った理由を説明する。ディアンテは、フェンネルの話を聞きながら、少しずつ表情を強張らせていった。

「……もしかして、その番人が、エドである。と?」

「まだ断定はできませんが、この状況では否定もできないと思います」

 シアがそれを肯定すると、ディアンテは何かを受け入れたように、強張らせていた身体から力を抜いた。

「……そうね、あなたたちの言う通りね」

「……少し、時間置きますか?」

 身内の訃報の次は、身内の一人が〝魔域〟を制御しているかもしれない、なんて話を持ってこられて、動揺するなと言う方が酷だ。だが、シアの問いにもディアンテは大丈夫だと首を横に振る。

「お気遣いありがとう。……そう、そういうことなら、納得がいくこともある」

「エドさんと、なにか、あった?」

 ルアンにそう問いかけられたディアンテは、努めて明るく言った。

「ええ。一年前、彼が睡蓮を咲かせる方法を思いついた、と言っていたのと同じ頃に、うちで作っていた睡蓮用の池を潰したのよ。もういらない、大丈夫だって言ってたから。……〝魔域〟を利用しようとしたなら、確かにもう、ここにあっても仕方ないわね」

 それを聞いて、シアは腕を組みながら天井を見上げて唸る。

「うーん、それは限りなく黒に近いグレーですね」

「……シアさん、それ、わるいひとさがすときのいいかた」

「あ、すみません」

 確かにエドは現在進行形で厄介な状況を生み出してくれているが、悪さをしているわけではない。シアはルアンに指摘された、不適切な表現をディアンテに詫びる。ディアンテは、そんなことまで気にしなくていいのに、と寂しそうに笑った。


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