森の中へ

 *


 四人がキルヒアの神殿に押し掛けると、再び、フェンネルの知り合いである男性が出迎えてくれた。

「お、また来たのか。って、増えてる?」

 男性は、数時間前にはいなかったシアとダビを確認すると、怪訝な顔で四人を見る。

「すまない、今ちょっと急いでる。こいつらの紹介はまた今度、どこかで」

「おう。よく分からんが、がんばれ」

 フェンネルはそれに手短に応対し、四人は男性に戸惑いの目を向けられつつも、神殿の第四書庫へと移動した。

 『ニーファロータス』の記述がある本を覚えていたというルアンは、その宣言通り、迷うことなく一冊を本棚から引き抜いてフェンネルに渡す。

「あ、これ! はい」

「『睡蓮と人族の歴史』……、灯台下暗しだったのか」

 それは一度目に訪れた時、フェンネルが最初に読んだ本だった。それは睡蓮そのものを解説した学術書の類ではなく、過去、人族がどのように睡蓮と関わってきたかを記した本だったため、フェンネルは概論である第一章を読んだあたりで次の本に移っていた。

「こだいにしかないひんしゅにいちばんくわしいのも、たぶんこれ。あと、すいれんにかんけいするぶんかとかも、のってた」

 古代にしかない品種、つまり現代にないものは、現代の植物学の知見で考察しようにも現物がないので不可能であり、最新で編纂された図鑑などには掲載されない。よって、考古学的知見から考察している文献の方が詳しい記述がなされている、なんてことがよくある。

 本を渡されたフェンネルは、索引から『ニーファロータス』を引いて、該当頁を開く。ルアンはその隣で睡蓮に関係する芸術作品の図録を引っ張り出して、『ニーファロータス』を調べ始めた。

 その本が語ることには、『ニーファロータス』が初めて確認されたのは魔動機文明時代前期のことだったという。当時も希少な花だったために、国の象徴花として指定する国があったという記録も見つかっているらしい。〈大破局〉後もしばらくは自生が確認できていたようだが、いつしか調査記録も途絶えてしまい、現在、その花は大陸の何処でも確認されなくなってしまった。

 そのような解説がなされていた本の中で、フェンネルが特に気になったのは、この花を食用とする文化があったという記述だった。

「『この花には催淫性、幻覚性、その他薬効があったと言われている』……、随分な劇薬だな」

「……それ、人が食べて大丈夫なやつ?」

 隣でそれを聞いていたダビが、不安がってフェンネルに訊ねる。確かに『ニーファロータス』の薬効は、まるで麻薬のそれであり、これを人に食べさせるのは危険だと思うのも無理はない。

 しかし、本来はどんな薬も量が過ぎれば毒である。逆に、量さえきちんと見極められれば、毒としか思えない性質のものでも、その効力を益として享受できるのだ。

「毒か薬かは量が決める。水だって、量を与えれば人は死ぬぞ」

「え、そうなの?」

「水中毒、で今度調べてみるといい」

 フェンネルとダビがそんなことを話していると、二人の隣で図録をめくっていたルアンが「あっ」と声を上げた。

「どうした」

「このすいれん、よるにさくんだって。ふしぎじゃない?」

「夜?」

 睡蓮は普通、昼間に花を開き、夜に花を閉じる。だからこそ眠る蓮、『睡蓮』という名がついた。しかしルアンが指し示した図録の頁には、闇夜の中で咲く白い花が描かれた幻想的な絵が載っており、隅のキャプションには、その白い花こそが『ニーファロータス』、別名が夜咲き睡蓮であると書かれている。

 フェンネルが、もともと読んでいた方の本に目を戻せば、そこにも、この花は宵の初めごろに開き、日の出の少し前に閉じるという記述があった。つまり、陽が沈んでいる間にだけ咲く花であるようだ。

「……もしかして、夏以外の『花園』の陽が沈まない理由って、これか?」

 徐にそう呟いたフェンネルに、シアが何の話だと首を傾げてフェンネルを見る。

「陽が沈まない?」

「アカマルたちが言ってただろ、太陽が動かないから日付の感覚が分からなくなったって」

「ああ! 言ってましたね、そういえば」

 これまでフェンネルは、【夏知らずの花園】の〈核〉やそれを守る番人が、夏を他人の目から隠すために他の『花園』を用意したと考えていたが——それも嘘ではないのだろうが——、本当は、夏から侵入者を弾こうとした反動で、〈核〉のある場所の条件、〈夏の夜〉の対偶にあたる〈その他の季節の昼〉の『花園』が、周縁部に形成されただけだったのではないだろうか。

 【花園】は、やはり彼らが咲かせたい花、つまり『ニーファロータス』を知っていたのだ。そして、彼らの願望を叶えるための舞台、夏の夜の『花園』を用意して、今もおそらくその『花園』で、彼らとこの花を待っている。正確なところは行ってみないと分からないが、これだけの状況証拠が出揃っているのだ、〈核〉や番人があのような【花園】を作り、それを維持していた理由については、ほぼ確定と見ていいだろう。

 ならば後は、かの五人について調べ上げるのみである。番人が誰であるかも、この繋がりを辿れば判明するはずだ。

「ディアンテさんのとこも行くなら、もう行かないと暗くなっちゃうよね?」

「そうですね、行きましょう。……そこで、全てが分かるはずです」

 四人は本を片付けて、例の男性にやっぱり不思議な目で見られながらも神殿を出て、すっかり行き慣れてしまったディガッド山脈の方角へと走り出した。


 *


「空模様が悪くなってきたな。風も出てきた」

 ウォルタ川渓谷へ向けて移動しながら、空を見上げたフェンネルが言う。ダビもそれに同意しつつ、彼らしい表現でもって返事をした。

「雨の匂いがする。急がなきゃ」

 そして渓谷まであと少し、という森の中で、先頭を行っていたダビが不意に立ち止まった。

「どうした?」

「なんか、物音が……」

「物音? どこからだ?」

 強くなってきた風が木々を揺らす音にかき消され、他の三人には彼の言う物音は聞こえない。彼の聴覚だけが頼りだった。

「んー、たぶんこっちの方……。あ」

 物音を辿ってダビが歩いた先、音の出所と思しき場所にいたのは、禍々しい見た目をした魔物。花のような部分が五つと、それを取りまとめる胴体、という植物のようで、図体もかなり大きい。

「植物の魔物、ですね」

「もう麓まで来てるのか……」

 ディガッド山脈に増えているという植物の魔物。隊商に聞いて、そして四人が山を下りたときには、山中でもまだ魔物は見当たらなかった。しかし今は、麓であるというのに、これだけ大型のものが出現している。どうやら状況は、急転直下で悪化しているらしい。

「……ねえ、むこう!」

 ルアンが叫び、魔物の向こう側を指さした。そこには、人のような影が一つ。

「襲われてるかもしれない、助けなきゃ。行こう!」

「うんっ」

 前衛二人は、魔物めがけて一目散に走りだした。これでは戦略も何もあったものではないが、悠長に構えていては、向こうにいる誰かに間に合わないかもしれない。後衛二人も緊急事態だと、二人の後を走って着いていく。

「ダビ、あいつが何か分かるか?」

「ごめん、分からない。けど、どんな奴も殴り続ければいつか死ぬ!」

「よっし、わかったー!」

 植物の魔物の名前などは、魔物知識の深いダビも知らなかったらしい。そして後衛二人は、そのあとに続いたダビの言葉とルアンの返事を聞かなかったことにした。


「おねーさーん、だいじょうぶー!?」

 声の届きそうなところまで前衛二人が近づき、ルアンが向こう側の人影、ことメリアの女性に呼びかける。女性は妖精使いフェアリーテイマーであったようで、たったひとりで魔物と応戦していた。

「あなたたちは……?」

「通りすがりに、助太刀しに来ましたー!」

 ダビも叫ぶ。しかし、大声で会話をしていたからか、さすがに植物の魔物も四人の存在に気が付いた。警戒行動や攻撃をするのは花の部分のようで、五つある花の半分ほどが、四人の方を向く。

「これが花とか、悪夢に出てきそうだな」

「綺麗な花には棘がある、とは言いますが、棘しかないですねこれは」

「まあ綺麗じゃない方がこっちとしては存分に殴れてありがたいよ」

「ざっそうは、かりとるぞー!」

「だから、なんで若干造園業者っぽいんだ、言い回しが!」


 *


「大丈夫ですか? 一緒に戦ってくださって、ありがとうございました」

 どうにか魔物を打ち倒し、女性と隔てるものがなくなった四人は女性へと歩み寄って、シアが代表して話しかけた。女性は戦闘に手慣れており、前衛二人に攻撃が当たらないように妖精魔法で目眩ましをしてくれたり、また、シアとダビとルアンが力任せにぶん殴って弱った花たちを、まとめて燃やし尽くしたりしてくれた。

「いえ、私もあなたたちのおかげで助かりました。ありがとうございました」

「それなら、お互い様ですね」

 ともに死線を潜り抜けたためか、初対面ではあるものの、女性はかなり砕けた雰囲気で応じてくれる。

「でも、あなたたちはどうしてこんな場所に? 渓谷の観光なら、こんな天気のときに来るものじゃないでしょう」

 女性は、四人にそう水を向けた。四人が女性を訪ねるために来たことを察しているのだろう。

「はい。私達は、ある人を捜してここまで来ました。……ディアンテさん、ですよね?」

「ええ、そうよ。この近くで暮らしているの」

 ディアンテはシアの問いを肯定するだけで言葉を止めたが、その目が「何の用事で自分の元へ来たのか」と四人に問いかけていた。だから、シアはそれに答えた。

「あなたの仲間のことで、早急に訊きたいことがありまして」

「あら、そうなの……」

 ディアンテは、シアが発した『仲間』という単語に、哀愁漂う表情になった。その表情の意味を四人が測りかねていると、ディアンテがある提案をもちかけた。

「それなら、家に上がっていってください。今日はもうじき嵐が来ますし、きっと長い話になるでしょうから」

「……わかりました」

 四人はそれを受け入れて、ディアンテについていくことにした。


 そして、歩いて十分もしないうちに、小さな一軒家に辿り着いた。小さな家だが、一人や二人で住むには十分な大きさである。

「今はここで暮らしてるの。どうぞ、上がって」

「お邪魔します」

「おじゃましまーす」

 ディアンテは、暮らしているという家に四人を迎え入れると、素材や大きさが不揃いな、四脚の椅子を並べてくれた。

「ごめんなさいね。あまりお客さんが来る場所でもないから、ありあわせで」

「いえいえ、十分です。お気遣いありがとうございます」

「このちいさいの、ルアンはちょうどいいよ?」

「ふふ、皆さん優しい方なんですね。……話の前に、お夕飯にしましょうか。助けてくれたお礼、にしては質素だけれど」

「逆に、頂いてしまっていいんでしょうか?」

「ええ。ちょうど作りすぎていたスープもありますから。どうぞ、食べていってください」


 外は、雨が降り始めていた。


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