究明

 *


「落ち着いたか?」

 嗚咽が治まった頃合いを見計らい、フェンネルは神官とルアンのもとへと戻った。神官はフェンネルがやってくるのを認めると、「では、お元気で。どうかご加護がありますよう」と言い残して、二人の元を去っていく。

 すっかり目元が赤く腫れていたので、ルアンは泣いていたことを隠すのも諦めて、フェンネルを見上げた。

「うん。……けど、やりかたが、いじわるだった」

「なんとでも。もう大丈夫ならキルヒアの神殿、行くぞ」

 フェンネルは完全復活したらしい少女を認めると、さっと踵を返して神殿の出入口へと歩き出そうとする。

「あ、まって」

 ルアンは咄嗟に彼女のローブの裾を掴み、その歩みを止めさせた。

「何だ?」

「ありがとう、……フェンリィさん」

 振り返ったフェンネルは、少女が言ったそれにしばらく固まった。

「……名前」

 そしてようやくその一言を絞り出すと、少女は不安げにフェンネルを見上げる。

「え、やだった?」

 それがまるで捨てられた子犬のような目だったのが面白くなったフェンネルは、軽く笑いながら種を明かした。

「じゃなくて。キミ、ボクの名前覚えてたのなって」

 ルアンはこれまで、フェンネルのことを名前で呼んだことがなかった。それが一足飛びに愛称で呼ばわれたので、フェンネルは面食らってしまったのだ。一拍遅れてフェンネルが何を言っているか理解したルアンは、「ひどい!」と喚く。

「ひとが! すなおにおれいをいったのに! ていうかなまえくらいおぼえてるもん、しつれいな!」

「はいはい、ごめんな。行くぞ」

 やかましく口喧嘩をしながら、二人はライフォスの神殿を後にした。


 *


「そういえば、覚えてたなら、何で名前で呼ばなかったんだ? 『ねえ』とかだけじゃ不便だったろ」

「え? だって、よんもじいじょうのなまえはながいじゃん」

 つまり少女は、壁を作っているとかそんな大層な理由ではなく、ただ面倒くさいという理由で呼んでいなかっただけらしい。フェンネルは、そういえばこの少女はビアンカのことも「おねーさん」としか呼んでいなかったな、と思い出したが、それも同じ理由からだろう。

「……さっきの謝罪を撤回します」

「ざんねんでした、いちどいったことはなくなりません~」

「もうやだ帰りたい」

「あ、もうつくよ。しんでん」

「本っ当にキミたちは人の話を聞かないな!」

 くだらない言い合いをしていた二人がキルヒアの神殿に到着すると、入口すぐにいた男性が、声でフェンネルに気づいたらしく、二人の方へと近づいてきた。

「フェンネルじゃねえか。久しぶりだな、依頼でもこなしてたのか」

 その男性はフェンネルの知り合いだったようで、フェンネルはその呼びかけに軽く応じる。

「やあ。まあ、最近はちょっと忙しかった」

 男性はフェンネルと話しながら、隣にいるルアンに気が付くと、何かを察したような表情をする。

「隣のちびは仲間か? てことは、今日も依頼の最中か」

「話が早くて助かる。今日は調べものと人捜しをしに来た」

「人捜し?」

 首を傾げる男性に、フェンネルは四人分の似顔絵を見せた。

「ああ。この四人を知ってる人を捜してるんだが、どこかで見たことないか?」

 絵を覗き込んだ男性は、グラスランナーの青年の顔を見ると、何かに気づいたように片眉を上げた。

「このグラランは何年か前にうちに来たことがあるぞ。冒険者だっつってた」

「神殿に?」

 フェンネルがこのハーヴェスの神殿に通うようになったのは、ここ一年ほどの話である。だから当然、その前のことは知る由もない。

「おう。ああ、たしかこっちのイケメンも一緒にいた」

 男性は、遺体の二人の似顔絵から、戦士の青年を指さして言った。どうやら、この四人は冒険者仲間である可能性が高い。

「あとその時は、メリアの女の子もいたな。可愛かったなぁ」

「……メリア?」

 メリアとは、植物を起源とした人族のことで、その珍しさはグラスランナーを上回る。種族と性別というその二つの情報だけでも、おそらく捜し出せるだろう。

「ああ。三人で、植物に関する書物を見せてくれって。俺が第四書庫に案内した」

 彼らが調べに来る植物といえば、フェンネルにはひとつしか心当たりがない。

「睡蓮……」

「睡蓮?」

「こっちの話だ。……そういえばキミ、確か医術に詳しかったよな?」

「うん?」

 フェンネルは、四人を捜すことになった経緯を掻い摘んで説明しつつ、今日はナイトメアの女性が体調不良になった理由を調べに来たということを話した。

 男性は話を一通り聞くとしばらく考え込み、やがて首を傾げつつも言った。

「……それは病気というより、呪いとか瘴気とかの類なんじゃねえか?」

「呪い?」

 確証はないけどな、と付け足しながら、男性が言うことには。

「グラランが冒険者だったんだから、そのナイトメアも冒険者だろ。となると、〝魔域〟みたいなよく分からん場所に行くこともあったんじゃねえか? 〝魔域〟の中には【リフレッシュ】や【リムーブ・カース】でも治せないようなけったいな魔術もよくあるし、睡蓮の花で治療をしようなんて狂ったこと考えるほどの病気なんて、俺にはそれくらいしか思い浮かばん」

 男性が例として挙げたのは、病気を癒す効果、または呪いを解除する効果のある神聖魔法の術である。これらは研鑽を積んだ神官にしか扱えないが、仲間内にそのような神官がいなくても、神殿に勤める神官をあたってある程度の費用を払えば、施術を受けることができる。彼らも当然それは試しただろうし、それでも治らなかったから睡蓮という『狂った』手段に縋っているという可能性は、十分に考えられる。

「〝魔域〟のことなら、うちよりハルーラやイーヴの神殿に行った方が分かるんじゃねえかな」

 男性が名を口にした二柱こと、奈落の盾神イーヴと、導きの星神ハルーラは、〝奈落の壁〟ウォールオブジアビスを守り、〝奈落の魔域〟の魔神と戦う過程で信仰が生まれ、神格が高められた大神メジャー・ゴッドである。神格を得る過程に〝奈落の壁〟や〝奈落の魔域〟が深く関わっているためか、彼らを信仰する者の〝魔域〟に関する知識量は、賢神キルヒアの信者をも上回るとされる。

 また、この二柱が兄妹神であるためか、神殿も隣や近くに建てられることが多い。ハーヴェスにある神殿も、例によって隣り合わせで、話を聞きに行くには都合が良い。

「そうか、参考にさせてもらう」

「まあ、何だ。依頼がんばれよ」

「ああ、ありがとな」


 二人は男性と別れて、訊ね人の彼らも訪れたという第四書庫へと移動した。キルヒアの神殿には十の書庫があり、第四書庫には自然科学に関する本が収蔵されている。

「やっぱり睡蓮を調べに来たんだろうけど……。どれだ?」

 植物に関する書物と一口に言っても、この第四書庫には、ポケットサイズの手軽に楽しめる植物図鑑から、ある特定の植物に焦点を当てた大判の学術書まで、多岐にわたる書籍が収蔵されている。睡蓮を調べられそうな書物と限定したところで山のようにあるので、さすがにすべてを検証するには時間も体力も足りない。

「んー、これとかよさそうじゃない?」

 ルアンは本棚を一瞥すると、あまり迷う素振りも見せずに一冊を引き抜き、フェンネルに渡した。

「『睡蓮と人族の歴史』」

「あとはこのへんも、かんけいありそう」

 少女は続けざまに、漢方療法を説いた医学書、睡蓮が属するスイレン科の植物が詳しく載っている図鑑、睡蓮をテーマにした芸術作品を収めた図録なども本棚から引き抜いて、その足元に積み上げていく。

「意外とこの手の勘が鋭いよな、キミは」

「そういうおうちだったからね~」

「そういえば、そうだったな」

 ルーンフォークのジェネレーターを自作してしまう人と、蘇生術を使えるほどの魔法知識を持つ人のもとで暮らした過去があると知れば、本の扱いも自ずと身につくだろうことも想像に難くない。フェンネルはすんなり納得した。

 そして二人で目星をつけた本を読み漁ること暫し、とある本のある頁で、本をめくるフェンネルの手が止まった。

「……これか?」

「え、どれ?」

 ルアンは、フェンネルの手元にある本を横から覗き込む。フェンネルが引っかかった記述のあるそれは、睡蓮にまつわる様々な研究の抄録を本に纏めたものだった。

「『数千年前の睡蓮の種、開花に成功』。――遺跡で保管されていた古代の種を、現代の土地で育てることができた、というものらしい」

 そしてその抄録には、この研究の目的も綴られていた。曰く、神の時代に咲く睡蓮の花は、薬効があると信じられていたという。睡蓮の種は丈夫であるため、数千年の時を経ても腐ることなく保管されることがあり、それを現代の気候、土壌で生育することができれば、その信仰が真実かどうかを確認でき、真実だったならば、それは新薬開発の一助になり得る、とのことだった。

 見出しの通り、花を咲かせることには成功しているので、研究の結論は、今後は花の調査を進め、薬効の有無を確認したいという展望で締められている。

「ビアンカは、魔法文明の頃の旧い種がある、と言っていただろ。この記述を見て、彼らが睡蓮の旧い種を捜し求めた可能性は高いんじゃないか」

「そっか。たしかに」

「まあ、〝魔域〟内で起きた何かに中ったとなれば、睡蓮の花でも効くかは分からないけどな」

「うん。くわしいとこ、ハルーラだっけ。いく?」

「ああ、そうだな。行くか」


 *


 そして、ハルーラの神殿へと移動した二人は、そこに勤める神官に四人の似顔絵を見せて、この四人と、さらに一緒にいたらしいメリアの女性を知る人を捜していると説明した。また、〝魔域〟の中にある体調不良を引き起こすような魔術と、その中に睡蓮の花で治せそうなものがあるかも訊ねた。

 神官は、四人とメリアの女性を知っているとのことだったが、まずは〝魔域〟内での魔術について、具体的に教えてくれた。

「神聖魔法が効かないが睡蓮で治せる魔術、というのは聞いたことはありません。ですが、〝魔域〟内でかけられて神聖魔法ではどうにもならなかった魔術の効果が、〝魔域〟に関係するもので解けた例というのは聞き及んだことがあります」

 曰く、特に古代遺跡を飲み込んで〝魔域〟となったタイプには、その遺跡内部で手に入れたものでのみ解くことができる魔術が存在するのだという。

「旧い睡蓮の種をお捜しになっていたのであれば、古代遺跡型の〝魔域〟で何らかの被害を受けてしまわれたのではないでしょうか?」

「成程な、その線もあるのか……」

 神官の話から、彼らが睡蓮そのものの薬効を信じている可能性だけでなく、何かしらが起きた〝魔域〟の内部と同じ時代のものを用意することで、魔術を解こうとしている可能性が浮かび上がった。ということは、彼らはそういう場所にも好んで行っていた冒険者だったのだろうか。

「四人とメリアの女性は、どういう人たちだったんだ?」

 その答えを確認するためにフェンネルが訊くと、神官はフェンネルの想定通りの答えと、そしてひとりの名前を教えてくれた。

「この辺りでは数年前に活躍していた、五人組の冒険者の方々です。宝物探索が得意で、古代遺跡や遺跡型の〝魔域〟の探索を主にやっていましたね。その中にエド、という名前の方がいらっしゃいました。どの方のお名前かまでは、存じ上げませんが」

「エドさん」

 二文字の名前だったからか、ルアンがその名を復唱する。

「はい。イーヴの神官なら、もう少し何か知っているかもしれません。彼らは、隣への出入りの方が多かったように思いますし」

「わかった。ありがとう」

 フェンネルは神官に礼を告げ、二人はイーヴの神殿へと向かった。


 そしてイーヴの神官に彼らの似顔絵を見せると、神官は偵察士の青年を指し示して、こいつのことは知ってるよ、と言った。

「カルカスだ。彼はイーヴを信仰してくれてたから、よく祈りを捧げに来てくれたんだ。……こいつがどうかしたのか?」

 フェンネルは、彼が亡くなったことを神官に伝える。すると神官は痛ましげな顔になり、それは残念だ、と漏らした。

「愛想はそんなによくなかったが、いい奴だったよ。……冒険者をやってるやつにはよくあることだが、何度経験しても、この手の話は寂しいもんだな」

「彼の身寄りとかは知らないか? 帰るべき場所に、帰してやりたいんだ」

「力になれなくて申し訳ないが、身寄りのことは聞いたことがないな」

 冒険者になる者には、頼れる人や近しい友人、または家族などといった、身寄りとなる存在がいないことも多い。新米組の四人の中では、ルアンやフェンネルやシアがそうであるように。

「あ、でも。一緒に冒険してたメリアの女性は、最近この辺りで見かけたって聞いたぞ。どこに暮らしてるかはわからんが、生きてはいる」

「……目撃情報は、一人だけ?」

「ああ、どういう経緯かは知らんけどな。でも、彼女ならカルカスの骨も拾ってくれるだろうし、捜してみるのも良いと思うぞ」

「……わかった、情報提供に感謝する」

「いや、こちらこそ教えてくれてありがとな。俺はさすがに骨を拾いには行けないが、ここで彼のために祈ることくらいは、してやりたいから」

「是非、そうしてやってくれ」

「おう。君らも色々気をつけろよ」

「肝に銘じる」

「うん。ありがとー!」

 神官の気遣いと見送りとともに、二人はイーヴの神殿を後にした。


 *


「しかし、割と謎が解決したような……?」

 フェンネルは神殿の敷地内を外に向かって歩きなから、これまでに聞いた情報を頭の中で整理していた。

 今回調べるべき事は、彼らの身元と関係性、そして睡蓮がどう関わるか、である。その目標のうち、フェンネルとルアンの二人が話を聞けた範囲だけでも、睡蓮を咲かせたい理由と彼らの関係性は知ることができた。彼らの詳しい名前や、遺体の二人以外の行方はまだ分かっていないものの、ある一組の冒険者であるという確信は取れたので、冒険者の宿を回るシアとダビがその辺りの情報を掴めているのでは、とフェンネルは予想している。

「一旦、〝向日葵亭〟に戻るぞ。向こうの情報と突き合わせれば、大体のことが見える気がする」

 フェンネルが後ろを振り返ってそう言えば、その視線の先にいた少女は元気いっぱいに返事をした。

「はーい!」

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