答え合わせ

 *


 事務作業にひと段落ついたらしいビアンカが、四人の座るテーブルのもとへとやってくる。しかし、四人の間にある微妙な空気に気が付いて、労いの言葉をかけながら、疑問を口にした。

「ひとまずみんな、お疲れ様。……なんだか全員曇った顔をしているけれど、どうしたの?」

 その疑問には、フェンネルが答えた。

「なんでもないです。……短期間に色んなことがありすぎて、疲れただけで」

 テーブルの空気が沈みかかっていたのは、ルアンの身の上話を聞いたことに起因している部分もあるが、仮にそれがなかったとしても、気分を悪い方へ向かわせる出来事は目の前に積み重なっていた。

「……そうね。君たちはまだ、新米ちゃんだものね」

 ビアンカの眉間に、その美しい貌には不釣り合いの皺が刻まれる。

「お疲れのところ悪いけど、その『色んなこと』、聞かせてくれる?」

「はい」

 報告はシアとフェンネルが中心になり、依頼に関することだけでなく、ここを出てから帰ってくるまでの約三週間にあったことを順を追って話した。ビアンカは時折頷きながら、そして四人の感情に寄り添うように、そのすべてを聞いてくれた。


 四人からの話が一通り終わると、いろいろ気になることはあるけれど、と、前置きしつつ、ビアンカは【花園】の異変に真っ先に言及した。

「これまで一年近くずっと変化がなかったものが、突然変異して暴力性を持ったとなると、新米ちゃんたちの言う通り、〈核〉の番人の意識変化の可能性はあるでしょう。ただそれ以外にも、〈核〉を奪われて〝魔域〟の主が交代したとか、強力な魔物か何かが侵入して、番人を殺すなり傷つけるなりした結果、〈核〉の読む感情に影響を与えた可能性なんかも考えられるわ」

 四人では考えが及ばなかった可能性を指摘され、ダビは身を震わせる。

「うわぁ、後者ではあってほしくないなぁ。飛ばされたみんなもだけど、番人さんも心配だから」

 彼はどうやら、イマジナリー番人にちょっとした親しみすら覚え始めているらしい。彼はどんな相手とも、対話できるなら対話して理解したいと思う傾向がある。

「後者だったらもう番人と話せる状況ではないだろうし、【花園】に調査隊がいる保証もないぞ」

「んー、そうだけどさ。無事を信じられるうちは信じていたいじゃん」

 からっと笑ってそう言うダビの表情には、無理や「そうであってほしい」という類の、こじつけのような感情は一切見られなかった。心の底から、ただ真っ直ぐに信じている。

「……キミの感覚は不思議だな。現実には、救いがないっていうのに」

 世界はそんなに綺麗ではない。ある程度の年数を生きれば誰だってそのことに気が付くし、彼もきっとその事実に直面してきているはずだ。そのうえで、ただ信じると言えるダビの感覚が、フェンネルにはよく分からない。

「救いがないからこそだよ。そんなクソみたいな世界でも美しさを見つけられる方が、なんか得した気分にならない?」

「ダビらしくて良いじゃないですか。私もその考えに乗ります」

「ルアンものった~」

 先ほどまでとは打って変わって、すっかりいつもの調子にギアを合わせたルアンが、ダビとシアに同調するように主張する。

「……変な奴らだな」

「あら、いいじゃない。そういうの嫌いじゃないわよ、私は」

「ビアンカさんまで……」

「どうしようもない現実がどうにもならなくたって。それでも、それとは関係なくいろんなことを楽しみ尽くせるような、きらきらした地獄があったっていいでしょ?」

あくまで優雅な笑みを崩さずに、ビアンカはそんなことを言ってのける。

「……それは、逃げ、なんじゃないのか」

「『どうしようもない』ことを知っているなら、逃げではないと私は思うわ。生きるための創意工夫、とでも呼びましょうか」

 どうしようもないことから目を背けて、楽しいだけに縋ろうとすること。真正面から受け入れつつ、それも交えて楽しく進もうとすること。その二つは、似て非なるものだ。

「あなただって、本当はそう在りたいんじゃない?」

「……回答は差し控えさせていただきます」

 フェンネルがビアンカにも誰にも話していないはずの色々なこと、主に旅をしている理由に関わる記憶を、まるで見抜かれているかの発言に、フェンネルは一方的に気まずくなって、彼女から視線を逸らした。


 *


「……あ、そうだ。ビアンカさんなら、これ読めませんか? 私達ではさっぱりで」

 シアは蛮族の基地から持ち帰っていたある書類のことを思い出し、ビアンカに渡した。それは、ボルグハイランダーたちと戦った、あの部屋で見つけたものだった。

「……汎用蛮族語のようね。これは?」

「私達が討伐した蛮族が持っていたんです。これを見て車座になって話していたのを確認していますし、雰囲気からも作戦書のようなものだと思うんですが」

「そうなのね。……ふうん、新米ちゃんたち、勘がいいわね?」

 作戦書を難なく解読したビアンカは、四人にそんな意味ありげな言葉を投げた。

「え、何がですか?」

「【花園】に魔物が増えた理由よ。蛮族の目的は、あの魔法陣で夏の『花園』に侵入することだったみたいなの。となれば、【花園】そのものに有効かをまず検証するでしょう?」

 作戦書に書かれているのは、『任意の場所を指定してあの魔法陣を呼び出す』という実験の手順と、その最終目標地点が夏の『花園』であることだという。

 魔法陣を高精度で任意の場所に呼び出すことに成功すれば、先に飛びたい場所へ行って陣を描くという準備がすっ飛ばせるため、理論上は未踏の地にも飛ぶことが可能になる。つまり、道が未だ繋がっていない夏の『花園』にも、問答無用で辿り着けるようになる。

 しかし、辿り着きたい向こうは〝奈落の魔域〟であり、現実世界の理通りにはいかない場所だ。だからまず蛮族たちは、見つけられていない夏の『花園』ではなく、すでに存在を知っている他の『花園』に飛べるかどうかを実証しようとするだろう。その実験に巻き込まれた【花園】が、防御反応を見せたという仮説は、現実としてもあり得そうなラインだった。

 もちろん、その実験がすでに成功していて、ビアンカがさっき言及したような「より悪い事態」である可能性もあるわけだが、今手元にある情報だけではいずれの可能性も棄却できず、確率にしても、同様に確からしい、ということまでしか言えない。

「夏の『花園』に〈核〉がある可能性には、蛮族も気が付いていたようね。……けど、それならなおさら、どうして〈核〉は夏から動かないのかしらね」

「どうして、とは?」

 ダビがビアンカに、その疑問の意図を訊く。

「さっきは〈核〉が奪われている可能性も出したけれど、『花園』が維持されている今は、〈核〉の番人自体は代わっていないと見るのが自然。だけど、〈核〉のある場所に危機が迫っていることが分かっているなら、まずその場所を変えるでしょう?」

 守りたいものの場所が割れているなら場所を変えて、敵の目を欺くというのは、真っ先に取れる手立てでありながら、かなり有効な一手でもある。一方で、守衛役として魔物を配備するというのは、それが蛮族を追い返すだけの戦力になり得るかがその時が来るまで分からないため、出たとこ勝負にしかならない。場所が割れているのに、夏の『花園』に〈核〉を置いたままにするのは、〈核〉やこの〝魔域〟を守ろうとするなら悪手なのだ。

 そんな危険を承知で番人が夏に〈核〉を置く理由に、ビアンカは首を傾げたが、四人にはひとつ心当たりがあった。フェンネルが代表して、その疑問に答える。

「ああ、それは。〝奈落の魔域〟の存在理由が、睡蓮を咲かせるためだから、だと思う」

 〝奈落の魔域〟が見せる幻影は幻なので、存在しない風景であることがほとんどだ。しかし、〈核〉が誰かの願望からしか〝魔域〟の内部を形成することは出来ないように、〈核〉の見せる幻影も、〝魔域〟の中にいる誰かの記憶からしか生成されない。【夏知らずの花園】の内部が番人の願望で出来ているなら、あの景色も番人の記憶から生成されていると考えるのが妥当であり、それはつまり、睡蓮を咲かせたいグラスホッパーの青年と、それに関係するらしいナイトメアの女性がこの現実世界のどこかにいることを番人が知っているということだ。

 それが仮に事実であれば、これまで夏の『花園』に唯の一人も寄せ付けなかったことにも、睡蓮の種を持っていたフェンネルにだけあの景色が見えたことにも、この期に及んで夏以外に〈核〉を移動させないことにも、それらしい理由が思い浮かぶ。番人は、あの青年と、青年が咲かせようしている睡蓮を待っているのだ。

「睡蓮?」

「……言い忘れていた」

 ビアンカの疑問にフェンネルは、自分だけが見たあの景色のことをビアンカに伝えそびれていたことに気が付いた。あの時、フェンネルだけが遺品である睡蓮の種を持っていたことも添えて、景色の内容を説明した。


「よくよく思い出すと、あの女性はすごく顔色が悪かったから、具合が悪いんだと思う。だから花を咲かせようとする青年は、治療を試みていた可能性もある。けど、睡蓮に薬効がある話は、少なくともボクは聞いたことがない」

「……そうね、私も聞いたことがないわ。ところで、睡蓮の種というのは、具体的な品種まで分かっているの?」

「何種類かが混ざっていることは分かったが、それぞれの品種は特定できてない。現物はこれです」

 フェンネルは、種の入ったあの小袋をビアンカに渡した。ビアンカは中を覗き込むと、軽く目を見開いた。まるで、予想していなかったものを見つけた時のようで、その反応に、フェンネルは若干不安を覚えた。

「……何か変なものが混入してた、とか?」

 若干及び腰になりながら聞くと、あらごめんなさい、とビアンカが笑った。

「この種、なかなか面白い組み合わせで入っているみたいで」

「えっ、ビアンカさんは、品種の見分けがつく人なの?」

 フェンネルとビアンカの会話にするっと入ってきたダビの問いに、ビアンカは首を横に振る。しかし、楽しげな声色で言った。

「残念、品種は私も分からないわ。ただね、時代の違うものが混ざっているの。たとえばこのあたりは、とんでもなく旧い時代のもの」

 ビアンカは、袋から種をいくつか取り出して「これなんか、魔法文明の頃のものよ」と解説してくれた。魔法文明の頃といえば、今から三千年ほどは前であり、それだけの時が経っていたらとっくに風化していてもおかしくない。しかし、一緒に袋に入っていた現代のものだという種とそれの差は、少なくとも四人には分からなかった。

「なんで三千年も前の種が、こんなに綺麗な状態で残ってるの?」

 ダビは興味深そうに、ビアンカが取り出した種を見つめる。

「たまにあるのよ。たとえば〈核〉が何かの建造物を飲み込んで、その建造物をまるごと〝奈落の魔域〟にしてしまうとかすれば」

 〝奈落の魔域〟は異界であるため、それに飲み込まれてしまえば、そこにあった存在のすべてが現実世界から切り離される。切り離される対象には当然時間も含まれるので、切り離された世界で、永遠に当時を保存するということは、割と当たり前に起こり得る事象だった。

「超限定的なタイムスリップみたいだ」

 時間経過の不整合を解消する現象があることを知ったダビは、そんな感想を述べる。ビアンカは「素敵な感性をしているわね」とその感想を褒めた。

宝物探索トレジャーハントにロマンを見出している冒険者たちは、そういう場所すごく好きなのよ。もしかしたら、持っていた冒険者はそういう方だったのかもしれないわ」

 ビアンカが述べたひとつの推測に、フェンネルはそうとも限らない、と補足を入れた。

「その種なんだが、誰かに渡そうとしていたものらしい。だから、彼らは頼まれて宝物探索に行っただけの可能性がある」

「あら、そうなの?」

「ああ。その中に、遺書のような手紙が入っている」

 ビアンカは、メモを開いてあの一文を確認した。

「宛先は読めないのね。……他に、冒険者の方の身元が分かりそうなものはあった?」

 ビアンカがそれを訊いたのは、持っていた冒険者のことが分かれば、渡そうとしていた相手も分かるかもしれないと考えたからだろう。それはフェンネルも考えていたことだったが、その調査をするには、情報が不足しすぎていた。

「武器は奪われていて、その他の装備はよくある既製品だった。たぶん戦士と偵察士スカウトだが、装備からの推測で、決定打はない。肉体は腐敗が進んでいて、顔は見る影もなかった」

 フェンネルは二人の死体を思い出しながら言う。水流のある洞窟の中という、高湿かつ衛生環境の悪い場所に転がされていた死体なのだ、あの状況で顔が分かる死体として残る方が稀である。

「ひとりが手記も持っていたんだが、それも血塗れで内容はさっぱり」

 フェンネルは、持ち帰った手記の適当な頁を開きながらビアンカに渡した。手記は、血が大量に染み込んだせいで、文字のほとんどが潰されて読めなくなってしまっている。したためるときの筆圧で紙に生まれた多少の凹凸もあるにはあるが、それだけではさすがに内容を判読できない。

「なるほど、それだけでは特定するには苦労するわね。……でも、この手記は復元できるわよ」

「え?」

錬金術師アルケミストはね、こういうの復元するの得意なのよ」

 曰く、この状態からなら、血液だけを無色にするような薬剤を使って洗浄すれば、文字は読めるようになる、とのこと。ただし、使われているインクの材質の鑑定を先に行い、文字には影響のないように洗浄剤を選定する必要があるので、時間がかかるという欠点はある。

「時間がかかっても、読めるなら読みたいな。睡蓮の種と【花園】との関係の手がかりでもありそうだけど、それ以上に、あの人たちが帰るべき場所へのヒントが、今のところこれしかないもん」

 復元のざっくりした手順を聞いて、ダビがそう言った。そして残りの三人もそれに頷くと、ビアンカは慈しむような表情を四人に向けた。

「じゃあ、伝手を当たって頼んでみましょう。せっかくだし、種の方もどこかに解析を頼む?」

「そうですね、調べられることは調べ尽くしたいです」

「うん。あのふたり、おうちにかえしてあげたい」

 シアとルアンがビアンカに返事をする。

「分かりました。ふふ、新米ちゃんたち、いい冒険者になってきたわね」

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