請願

 *


 五日かかる道のりを駆け足で四日に短縮し、六人はハーヴェス、〝まじないの向日葵亭〟へと帰還した。

「お帰りなさい、新米ちゃんたち。話はキャラバンの方から聞きました」

 見慣れた食堂に入ると、一行の姿を認めたビアンカが、心配そうに駆け寄ってくる。ほぼ三週間ぶりの〝向日葵亭〟とビアンカに、少しだけ全員の気が緩む。

「おねーさん!」

 ルアンはむぎゅ、とビアンカの腰のあたりに抱き着いた。ビアンカは、微かに震えていた少女の背中を優しくさする。

「とにかく、君たちが無事でよかったわ。……そちらの方は、調査隊の方ですね?」

「はい。アカマルさんとランバージャックさんです」

 調査隊の二人に目をやったビアンカへ向けて、シアが二人を紹介する。

「怪我が酷いようですね。すぐに治療師を手配しますので、まずはうちで休んでください」

 ビアンカと協力しながら、四人は二人を〝まじないの向日葵亭〟二階にあるゲストルームへと連れていき、寝台へ寝かせた。満身創痍のまま急ぎ足で山を下りてもらった無理が祟り、塞がりかけていた傷が開くなど、二人の身体には病状が悪化している箇所もいくつか見受けられる。ビアンカはさっとそれらの状態を確認すると、二人に今後のことを話した。

「私の知り合いに腕のいい治療師がいます。明日にでも来てもらえるように手配しますので、まずはよく休んでください。食事などもこちらに運ぶようにしますね」

「ありがとうございます。……この恩は、いつか、必ず」

 アカマルがそう言うと、ビアンカは切なげに笑った。

「困ったときはお互い様です。うちの可愛い新米ちゃんたちが悲しむようなことにならなくて、本当によかった」

 二人が話をするその側で、ルアンがランバージャックに話しかけている。

「はやく、げんきになってね?」

「努力するよ。……ありがとうな」

 四人とビアンカは、二人の休む部屋を後にして、食堂へと降りた。


 *


 食堂に戻ったビアンカは、治療師の手配や調査隊の捜索依頼、その他細々とした連絡のために、一度カウンターに入って、何やらいろいろと作業を始めた。四人はそれを眺めながら、いつもの四人掛けのテーブルに座っていた。窓の外に見える庭には、全身に薬草を生やした、あのゴーレムたちが寝転んでいる。その光景は、平和そのものだった。

「やっと、帰ってきた、感じがしますね……」

「そうだね、ようやく一息つける……」

 シアとダビがやっと安心できた、と机に突っ伏す。フェンネルはその流れには乗らず、黙ったままルアンを窺い見た。ルアンもまた、何を言うこともなかった。

「……」

 こういう時には真っ先に気を緩めて、子どもらしく振る舞いそうな少女が、何を考えているかも分からない表情で、一言も話さずに、どこか遠くを見つめている。少女とてそういう気分の時もあるのだろう、と片付けるには、フェンネルはその目の曇りが引っかかった。気になってしまった以上、放っておくのはフェンネルの性に合わない。

「ルアン、大丈夫か?」

 フェンネルには、鎌のかけ方が直球過ぎた自覚はあった。しかし、おそらく直球でもなければ、この少女が簡単に誤魔化して逃げてしまうということも分かっていた。少女は、自分と他人の間にある一線を越えようとするものを、すべて柔らかく拒絶する。偶然が重なった、あの夜のように。

「んん? ……なーにが?」

 そしてフェンネルのその予想は正しく、確かに少女は、投げられた鎌から逃げようと試みる。

「? 二人とも、どうしたの?」

 突然のやり取りに顔を上げたダビが、その首だけを動かして、二人の顔を交互に見る。

「ボクは、他人のことを無理に聞く趣味はない。だが、聞かれたくないなら律しろ、とは思っている。律せないとなれば、ボクらの身の安全にも関わるから」

「何の話をしているんですか……?」

 シアもまた、二人の不穏さも混ざった会話に戸惑いを隠せないでいた。

「呼吸が浅い、唇の血色が悪い。若干だが、まだ手の震えが収まっていない。……頻脈も起きてるだろ」

 フェンネルは、ルアンの身体に起きている異変を指摘した。

 ビアンカに抱き着いたときに少女の身体が震えていたことは、ビアンカ以外に、フェンネルだけが気づいていた。血色の悪さ程度なら、「無理をしたから疲れているだけ」で説明できるかもしれないが、それ以外の症状もひっくるめて疲れひとつで説明をつけるには無理がある。また、フェンネルがかけた鎌の根拠は、身体に現れた症状以外にもあった。

「本部で寝泊まりしていた時、夜は何度か魘されていた。山を降りてくる時にも、積極的に篝火の番を買って出たよな。……眠りたくなかったんじゃないのか」

「そうだったの?」

「気づきませんでした」

 熟睡組ことダビとシアの感想はひとまず無視して、フェンネルは少女を詰める。

「調査隊が帰って来なかったことで、キミの中で何か、……たとえば、思い出したくない記憶が意識の底から引きずり出された。そしてそれが、今のキミの状態を作り出している」

「……」

 ルアンは、肯定も否定もせず、ただ何も感情の読めない目で、フェンネルの言を真正面から受け止めている。

「誰かに話したところで楽になるとは思っていない。が、異変の原因を知ることくらいは、旅の同行者として権利がある」

 冒険者としてパーティーを組むということは、互いの命に対して連帯責任を負うということに他ならない。そこまでフェンネルが問い立てれば、諦めたように、少女は息をひとつ吐き出した。

「しょーがないなぁ……」

 わかった話すよ、と言った少女の顔に、いつもの無邪気さは欠片もなかった。


 *


 ルーンフォークは、願われなければ生まれない存在である。少女もまた、ある願いに呼応して生まれた存在だった。

「家族には、すごく大事にしてもらった。幸せだった」

 子供がいない老夫婦のもとで、彼らが一から整備したジェネレーターにより孫娘として生み出された少女は、その見た目どおりの、十歳の少女を演じた。それが自分の生まれた意味だったし、それが幸せで、ただ、それでよかった。

「だけど、記憶がつながらないところがあって。……ある時目が覚めたら、自分の隣で家族が死んでた。なのに、その前に何があったかを、私は全く覚えていない」

 ルーンフォークが蘇生を受けると、魂が穢れない代わりに、直近一時間ではなく、一年の記憶が抜け落ちる。その記憶の穴から、ルアンは自身が一度死亡し、そして蘇生されたのだと知った。

「自分の一番大切な人たちが目の前で死んでいるのに、自分はその理由すらわからない。私の生きる理由はその人たちに求められたからだったのに、それも失くして。だけど私は生きている。……どうしていいか、わかんなくなった」

 しばらくは、彼らの生活の跡が残る家にいることも辛くなり、独りであてもなく彷徨っていた。結局、彼らを忘れて家を放り出して離れることもできず、ならばと残りの寿命を誰かのために使うと決めて、冒険者の宿の門を叩いたという。

「私を蘇生したのは、きっと私の家族。役割的には、祖母と呼ぶひと」

 蘇生の術は、魂の輪廻転生の理を歪める行為である。よって当然ながら、かなり卓越した操霊術師でないと使えない。しかもそれは理を歪める行為であるがゆえに、それを生涯かけて行わないというルールを自らに課している操霊術師も多く、蘇生してもらう術師を探すこと自体が難しい。少数派である「行う側」の術師を運良く見つけても、誰も彼もが気軽に輪廻転生を歪めることがないようにと、冒険者ギルド経由でなければ彼らは依頼を請け負ってくれないし、高額な施術料を設定している。そんなものを、行きずりの他人が気まぐれに使うとは考えにくく、そしてルアンの祖母は、あらゆる魔法と呼ばれる術に長けていた。

「おばあちゃんは、私に何を見出したの? どうして私は生かされた? 私に、何を願ったの? ……私に、何をさせたいの?」

 フェンネルは、あの夜のことを思い出した。あの夜ルアンは、神に祈りを捧げるフェンネルを見て、『自分以外の誰かに願いを託すって、どういう気分なんだろうね』と言った。それは、自分が願われる側に立っていたからこその疑問だったのだ。そして、その答えを握る神の声は、少女には聞こえない。聞こえたとして、神が答えをくれることはないと、フェンネルも、話を聞くだけになっているあとの二人も知っているのだが、今はそういう話をしているのではない。


「……なんでご家族が亡くなったのかくらいは、分かったのか?」

 少女に渡せる答えは、この場にいる全員が持ち得ない。フェンネルはただ、自分の興味で会話を続行した。

「それは、うん。ジェネレーターの培養液が空になってたから」

「強盗か? それにしては狙うモノがニッチだが」

「後で調べたら、近くで培養液だけ狙う強盗が相次いでいたって記録があった。犯人は蛮族集団で、彼らが自分たちの兵力を上げるためにルーンフォークを量産したくて、そこかしこから培養液を集めていた、っていう。その蛮族が直接私達を手にかけたかまでは分からないけど、原因はそれ以外に考えられない」

 別名を〝人造人間〟と言うだけあって、戦力増強に手っ取り早く使えると思われがちなルーンフォークという種族だが、さすがに人ひとりを作り出すのは、そう簡単な話ではない。ルーンフォークを生み出す技術の源流は魔動機文明時代のものだが、〈大破局〉ディアボリック・トライアンフを受け、そのほとんどが失われた。ゆえに、現在残されている技術でルーンフォークを生み出す場合、一年に作れる個体数はジェネレーター一台につき一体が限界である。よって生産量を増やしたいなら、ジェネレーターの増設が不可避となる。

 しかし、ジェネレーターという装置だけを作っても、身体の素となる培養液が追いつかなければ生産量は増やせない。そしてこの培養液こそが、現在の技術では量産が不可能な物質であった。どこに金を積んだところで量を調達できない物質なら、すでにある場所から強奪するしか道はない。

「あ。聞いたことあります、その事件」

 その事件は、珍事件としてシアも聞き及んでいた。そして、シアの記憶が正しければ、その事件は半年ほど前、犯人たる蛮族たちの殲滅をもって解決したはずである。

 蛮族の討伐を任されたのはハーヴェスに拠点を置く、とある冒険者だったと聞いている。シアの推測の域は出ないが、少女が「他人のために命を使う」と考えた末に、数多ある選択肢の中から、冒険者という敢えて危険な道を選んだのは、良くも悪くもこの事件に遭ったからだろう。

「……だから、みんなが帰って来なかったときに、あれを思い出して、ちょっと迷った。どうして、私たちだけ生きてるのって」

 ルアンの言うその感情は、所謂サバイバーズ・ギルトと呼ばれるものである。また、それによる精神負荷が行きすぎるとサバイバー症候群という、一種のPTSD、心的外傷後ストレス障害を引き起こすことも知られている。

「でももう、大丈夫。ちゃんとしてなかったのはごめんだけど、話したから楽になった。へいき」

 何かを吹っ切ったようにルアンは言った。今度のそれにはおそらく、嘘や誤魔化しといったものはない。実際に、顔色も良くなっているし、呼吸も落ち着いてきている。

 フェンネルの中では、まだ、少女に対する不安のような、疑いのような気持ちが完全に拭えたわけではなかった。だが、ただの旅の同行者がこれ以上踏み込む理由もない。フェンネルは「ならいい」とだけ言って、この話を手打ちとした。


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