幻を視た者

 *


 シアの読み通り、来た道を戻った先には、【花園】の出口となる穴が開いていた。報告書にも記載があった通り、出口は白一色の球体状であった。

「〝奈落の魔域〟の入口と真逆の見た目になるの、おもしろいね」

「ボクには面白さが理解できないが、とにかく出るぞ。あの二人のためには、今は一秒だって惜しい」

 入った時と同じように、その球体に一歩足を踏み入れると、今度は視界が白一色に染まり、そして見慣れた山道に着いた。無事に〝魔域〟の外に出られた証だった。

 別の場所へ飛ばされたという調査隊の行方も気になったが、発見した二人の快復もまた急務である。後ろ髪を引かれもしたが、一行は真っ直ぐ調査隊本部へと戻り、ひとまず二人を布団に横にして寝かせた。彼らは数秒も経たないうちに、気絶するかのように眠りに落ち、少しでも眠りやすいようにと外せる装備を外しながら、改めて二人の身体の状態を確認したフェンネルは、ため息をつく。

「これ以上は麓に降りて、医者やその手の技能がある人に見せないと厳しいな」

 フェンネルも手は尽くしたが、いかんせん駆け出し冒険者なので、施せる手立ては少ないのだ。

「彼らに歩くだけの体力が戻れば、どうにか降りられますかね?」

「かなぁ。無理はさせちゃうけど、頑張ってもらうしかないね」

 【花園】と調査隊本部は、距離としても離れていないし、その道のりも比較的平坦である。だからこそ今は、足元の覚束ない成人男性二人を支えながらでもなんとか歩いて来られた。しかし、麓への移動――五日ほどかけて山道を下るとなれば話が変わる。

 出来ることをやり尽くした今はもう、彼ら自身の治癒能力に賭けて待つしかない。状況は、最悪を免れたとはいえ、悪いことには変わりなかった。



「で、さっきの話ですが。睡蓮の池の」

 眠る二人のもとを離れ、一堂が不安から沈黙しかけたところで、シアは、空気を変えるためにもフェンネルへある話の続きを振った。フェンネルはそれを受けて意図を察し、自分の持ち物から種の入った小袋を取り出す。四人が討伐に向かった基地にいた、冒険者たちの遺品である。

「ああ。……これのせいだろうな」

 調査隊本部へ帰る道すがら、フェンネルは桜吹雪の合間に見たあの景色の話をした。しかし、フェンネル以外は誰もそれを見ていなかったという。また、アカマル曰く、調査隊の中ですらも、そのような情報が上がったことはないのだそうだ。調査隊の二人を含めた六人は、それぞれが種族も技能もすべて異なるため、まだその種だけが幻影の原因だと断定はできないのだが、仮に種以外が原因だとするなら、睡蓮の種と睡蓮の池という要素の一致を説明するための事象がなくなる。これが無作為の偶然の一致だとすれば、天文学的な確率である。

「種と【花園】に関係があるのなら、それは〈核〉の番人にも関係していると見ていいんでしょうかね?」

「いいだろ。〈核〉が種に反応して、あの景色を見せたとしか考えられない。少なくとも今は」

 あれは、番人の願いを誰よりも知っている〈核〉が見せた、ヒントのようなものだと、フェンネルは考えていた。

「しかし、なぜ睡蓮なんでしょうね?」

「それは番人をとっ捕まえてみないことには分からないな」

 睡蓮という植物は然程珍しい花ではない。薬草に関する知識が一番あるフェンネルですら、睡蓮に鑑賞以外の何か有用な使い方があるという話は聞いたことがなかった。あの景色にいた青年は、睡蓮の花を咲かせることにいたく執心しているように見えたが、なぜ彼が睡蓮というポピュラーな、しかし特に何もない植物の、しかも花に執着するかが、現状ではまるで見えてこないのだ。

 加えて、もしもあの青年が睡蓮を鑑賞するために育てていたのなら、期待したものと違ったとて、咲いた花を握りつぶすような真似もしないだろう。なぜ花を咲かせたくて、そして彼が咲かせたい睡蓮の「正解」は何なのか。そもそも、あの二人は誰なのか。種と【花園】が見せた景色には、あまりにも謎が多い。


「でもさ、どうして突然【花園】に魔物が出たんだろう? 今まで平和だったんでしょ?」

 ダビが首を傾げて、素朴な疑問を口にする。確かに【夏知らずの花園】に魔物が出ていなければ、あの二人がここまで衰弱することはなかったかもしれない。そして、捜索の前に読み漁った報告書の最新のものにも、魔物が出ているという記載は存在しなかった。

 フェンネルは、現時点での推測だが、と前置きをして、ある仮説を話した。

「蛮族たちが制圧しようとしている動きを読んで、番人が【花園】、特に〈核〉を防衛しようとしているのかもしれない。いくらなんでも、変な術で侵入されれば、ただ花を愛でに来てるだけではないことにも気付くだろうし」

 番人が訪問者から〈核〉を遠ざけようとして【花園】を設計していても、あの魔法陣のような転移術を使われてしまえば、その設計は無力である。もしかしたらもう、〈核〉のかなり近くの場所まで、蛮族が接触しているのかもしれない。

「わあ、やっぱり発想が人族だぁ」

 空き巣が増えているので地域警邏隊の巡回を増やしましたとか、番犬を飼いましたとか、それと同じ感覚で番人が魔物を召喚しているというフェンネルのその仮説は、なぜか【花園】の番人ならやりそうだ、と思ってしまう謎の説得力を伴っている。

「じゃあ、このあたりで突然植物系の魔物が増えたのも、【花園】の異変が呼び水になっている?」

 いくら〈核〉の番人といえど、〝奈落の魔域〟の外までは干渉できない。しかし、植物を生育する場所でもある【夏知らずの花園】の性質と、内部に喚ばれた魔物に誘われて、植物系の魔物が集まる可能性は、無きにしも非ずであった。ダビの今度の疑問には、シアが答えた。

「現時点では関係しているともいないとも言えないですね。ですが、のんびり油を売っていられないことは確かでしょう」

「だな。取り逃がした蛮族は確実にいるし、魔物だって、これ以上増えるなら周囲の治安にも関わってくる。このあたりの人里が荒れるのは、ボクたちはもちろん、調査隊のみんなも望んでいない」

 ということで、とフェンネルは話を区切ると、三人を見た。

「あの二人が歩けるようになり次第、出発するぞ。それでいいか?」

 三人は、その問いかけに力強く頷いた。

「りょうかい!」

「はーい」


 *


 一昼夜まるまる眠ったアカマルとランバージャックは、どうにか支えなしで歩くことが可能なまでに快復していた。彼らの話を信じるのであれば、三日三晩、ほぼ不眠不休だったことになる。昨日までの衰弱は、長時間緊張状態が続いていたことや、寝不足によるパフォーマンス低下の影響も大きかったのだろう。万全とは言えなくとも、持ち直してくれるだけでも、状況は前進している。

「では出発しましょう。……準備はいいですか?」

 シアは、調査隊の二人に問いかけた。しばらく本部を無人にするので、その間のセキュリティ関係の確認だ。

「ああ。魔法鍵もかけたし、ここには多少、剣のかけらの加護もある。余程のことがなければ、耐えてくれるはずだ」

 答えたのはアカマルだった。彼は戦士ファイターなので前線に出て戦うのだが、経験を積んだ先で魔法技能を習得することもある。彼の言う魔法による施錠もまた、魔法の研鑽を積んだ者のみが使える技の一つだ。

 なら準備はオッケーだね、行こう、とダビは出発の音頭を取った。

「安全な道で降りる代わりに、ちょっと急ぎ足でいこうと思うんだけど。……大丈夫です?」

 ダビに改めて体調を伺われた調査隊の二人は、四人の心配そうな視線をはじき返すように、気丈に笑ってみせた。

「君たちは俺達の命の恩人だ、多少の無理難題くらいなんとしてでもこなしてみせる」

 二人はまだ身体も辛いだろうし、はぐれた仲間のことを思うと、とても笑っていられるような状態ではないだろう。それでも四人に心配をかけまいと笑えるところが、彼らが彼らたる所以でもあった。

「わかりました。でも、ほんとに無理だったら言ってください」

「うん。ほんとは、かついでおりれたらよかったんだけど」

 ルアンは自分の小さな体躯を恨めしそうに見つめて言う。いくら筋力に自信のある少女とて、自分より五十センチ以上も上背のある者を担いで山を下るのは至難の業である。

「ないものを強請っても仕方ない。行くぞ」


 *


 山を下る道中では、幸運にも植物系の魔物には遭遇しなかった。しかし、隊商の話や【花園】その他の状況を考えると、この平穏もきっと長くは続かない。出来る限りの急ぎ足で、六人はディガッド山脈を下っていった。


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