再会


 *


 あの魔法陣の出口がある場所。可能性として四人が考え得るのは、あとは【夏知らずの花園】だけである。

「もう、【花園】に入ってみるしかなさそうですね」

「そうだな。あとは運だ。なるようにしかならない」

 基地を後にした四人は、改めて【夏知らずの花園】入口、漆黒の球体の前に立った。中の様子は、もちろん窺えない。

「〝魔域〟って、どうやって入るの? これを普通にくぐればいいの?」

「身体の一部が球に触れれば、あとは勝手に連れていかれる」

「えっ」

「〝奈落の魔域〟に関する出来事は、基本的に現実の物理法則で考えたら負けだ」

 フェンネルの投げっぱなしな説明に戸惑うダビに、シアも横から口を挟む。

「報告書にも『入口は一つしか顕現していないが、その入口から入っても、毎回同じ『花園』に入れるとは限らない』と書かれていましたしね。異界に入るということは、そういうことです」

 そんな三人の会話を聞いていたルアンは、小首を傾げて三人を見上げた。

「シアさんたちがふわふわしてるの、めずらしいね」

 ルアンが言うところの「ふわふわしている」は、根拠がはっきりしない物言いのことだ。シアは時々直感など説明のつかないものを信用するときもあるが、この二人は基本的に、あらゆる法則と根拠に基づいて、道理の通ったことだけを話す。フェンネルはため息をついて、ルアンに応えた。

「それだけイレギュラーしか起きない場所なんだよ、〝奈落の魔域〟は」

「はい。ですから、調査隊にあった報告書では平和な場所とされていても、今日いまから向かう【花園】が平和だという保証もありません」

「ええ、そんな気まぐれなことってある?」

「ある。……行くぞ、もし調査隊が飛ばされた先がこの中なら、時間が惜しい」

「そうですね」

 四人は、目の前に聳える球体に、一歩足を踏み入れた。直後、全員の視界が暗闇に包まれる。


 次に光が見えた時、目の前にはすでに色彩が溢れていた。

「これが、『花園』ですか……」

「綺麗だねぇ」

 辺り一面に所狭しと咲く花、さらに遠景には新緑や満開の花をつける木々が並ぶ。かぐわしい香りが周囲に満ちて、ひどく幻想的な景色であった。

「春の『花園』か、ここは」

「そーだね。きれい」

 調査隊本部で図鑑を見ていたフェンネルとルアンは、植わっていた草花が春のものである、つまりここが春の『花園』であると気が付いた。見渡す限りは安寧秩序の保たれた空間だったが、残念ながら、単なる平和な場所ではなかったようで、ダビが鼻を鳴らしながら、険しい顔をして言った。

「……血の臭いが、する。あっちの方から」

「確認しましょう。飛ばされてきた調査隊の誰かがいるかもしれません」

 ダビの嗅覚を頼りに、一行は血臭の出所に向かって歩いていく。すると、やがて桜の並木道が現れた。満開の桜が並ぶ光景は、こんな時でなければ、心を奪われて見入ってしまうほどの、気品高い美しさを備えていた。

「……綺麗な桜の下には」

 フェンネルが徐に零した独り言をシアが拾い、続きを引き取る。

「死体が埋まっている、と言いますね」

 その迷信もまた異国のものだが、迷信だと馬鹿にできない程度には、桜と物騒な事件が結びついている事例も多い。そしてそれは、今回も適応されてしまった。

「アカマルさん、ランバージャックさん!」

 並木道の向こうに、シアは見知った姿を見つけた。二人は魔物と対峙している様子である。しかし、彼らは随分と消耗しており、平時の二人であれば即座に屠れるような魔物であるにも拘わらず、苦戦を強いられていた。血の臭いの出所は、おそらくあの二人の怪我だ。

「助けなきゃ、行こうルアンさん」

「うんっ」

 前衛二人が走り出したのを合図に、一行は二人の方へ駆け出す。すると、並木道から動く木の魔物が複数現れ、一行の行く手を阻んだ。

「わ、なにこいつ!」

 突然のことにルアンが叫ぶ。こちらを認めた木の魔物は、二つの群れに分かれて、枝葉を道いっぱいに広げながら、四人を二人の元へ行かせないように妨害する。しかし、移動の妨害こそすれ、こちらに攻撃を仕掛けてくることはなかった。こちらの出方を窺われているらしい。

「ウォーキングツリーが二体ずつ、で四体。あれ、この場合って四本?」

 ダビが魔物の正体に言及したちょうどその時、後衛二人も前線に追いつく。

「それはどっちでもいい」

 助詞選びに首を傾げたダビに、フェンネルが呆れた声色で突っ込みを入れた。今気にするべきはそこではない。

「出方を窺われてるでもなんでも、今はぶん殴って突破する以外にないだろうな」

「二体ずつに分かれているなら、ダビとルアンそれぞれで群れを対処してもらいつつ、後ろから援護射撃、という形ですかね。二対一なら、向こうも前線突破は難しいですし」

「はーい」

「わかったー」

 シアの提案にお行儀よく返事をした前衛二人は、各々戦闘態勢に入る。

「では、伐採大会と洒落込みましょう。ルアンさん、いけます?」

「うん。……しゅっかのじかんだー!」

 前衛二人は、まるで木こり業者のようなことを言いながら、ウォーキングツリーめがけて飛び出していった。


 *


「ルアンは絵面が完全に木こりだったな」

「武器がアックス系だったらもう完璧でしたね」

「ん? なに?」

「何でもないです」

 少女は今回もまた、容赦なく大剣を振り回していた。ウォーキングツリーに転ばされた仕返しとばかりに、とんでもない威力で攻撃が炸裂した手番もあった。

「そういえば、ダビも珍しく怒気に満ちてましたね」

 戦闘において彼が血気盛んなのはいつものことだが、普段のそれは「戦うのが楽しい」という感情が前面に出ているもので、要は敵に対する感情ではなく、自分から生まれる感情のみが表れている。しかし、今回は少し様子が違い、彼は明らかに敵に対してキレていた。これまでに四人で経験した戦闘を振り返ってみても、彼の怒りがここまで出ていたのは、存在をガン無視されたボルグハイランダーをようやく投げた時くらいである。

「うーん。けっこう煽られたからね、妖精語で。さすがにむかついた」

「ああそうか、あいつらも妖精語話せたもんな」

 ウォーキングツリーが妖精魔法を使っていたことは、後衛の位置からでも確認できていた。妖精魔法が使える、それはつまり妖精語が話せるということだ。

「妖精語で敵を煽るって前代未聞なんですが……」

 妖精語は、文字通り妖精と話すための言語である。妖精ではない相手にその言語で話しかけることなど、普通はしない。

「向こうはおれが妖精語分かると思ってなくて、適当に当て擦ってただけだとは思うけどね」

 ダビは苦笑いでそう言った。

「というか、シアも大概だったぞ。ツリー一体、銃弾一発で消し飛ばしただろ」

「あはは、あれはまぐれです」

 そんなことを言いながら、立ち塞がるものがなくなった一行は、ランバージャックとアカマルのもとへと急いで駆け寄った。

「やあ、君たち……」

 アカマルは一行の姿を認めると、弱々しく手を挙げた。

「無理しないでください。まず手当しましょう」

「急拵えの処置しかできないが。……ちょっと衣服どかします、失礼します」

 シアとフェンネルが、それぞれの介抱係を買って出て、外傷の手当てや、ポーションや魔法による快復を試みる。その間、前衛二人は番人がごとく周囲を警戒しながら待機していた。


 後衛二人がこの場で出来うる限りの処置を施し終えると、アカマルとランバージャックの顔色は少しだけ良くなった。しかし、それでもまだ話すのがやっとといった態であり、これ以上の快復を望むなら、設備の整った場所で、然るべき処置を受ける必要がありそうだ。

「もしかして、戦いっぱなしだったんですか」

 蛮族の基地へ出向いたはずが、どのタイミングでここへ至ったのかは不明だが、苦戦していた様子を見るに、少なくとも『花園』では、ずっと戦うことを強いられる状況だったことは、想像に難くない。

「まあ、そんなところだ……。いずれにせよ、君たちは無事でよかった」

「いつからここに?」

「分からん。ここは陽が沈まないからな……」

 今見つかっている全ての『花園』に昼夜の転換がないことは、調査隊の報告書にも記載されていた。陽が沈まないのなら、時計の類でも持っていなければ、日を越えたかどうかを判別することは不可能である。

「ただ、体感としては、蛮族討伐に一日、ここに飛ばされて二日ほど、だったと思うぞ」

「え、二日?」

 彼らの話をそのまま信用すると、現実世界で過ぎた時間と、彼らが過ごした時間に三日の差があることになる。

「歪んでますね、時間の流れが」

「転移魔術のせいだろうな。ここにこの二人がいる以上、あの魔法陣は十中八九、『花園』の内部が出口だ。だが〝魔域〟が世界の狭間にあって不安定な分だけ、『道』も不安定になる。しかも、術師を立てずにとりあえず飛ばしただけなら、時間が歪むのも無理はない」

 今回はそれが幸いにも、彼らの早期発見に繋がった。もしもちゃんと六日経ってからの発見であれば、間に合わなかったかもしれない。

 シアとフェンネルの状況整理を漏れ聞いたランバージャックが、驚いたように二人を見る。

「なぜそれを、知っている? もしかして君たちも、あの陣で……?」

「あ、いえ。魔法陣は使っていません」

 シアは、ここに至った経緯をかいつまんで説明した。ランバージャックは、その通りだと頷いて、何があったのかを話してくれた。

「討伐そのものは滞りなく進んだのだが、最後の一手、というところで、あの魔法陣で飛ばされたのだ。蛮族の残党も、調査隊も、全員が」

 その続きをアカマルが引き取る。

「そして僕たち二人はここ、春の『花園』に来た。……他のやつらや、飛ばした張本人は、別のところに飛んだらしく、この辺りにはいなかった」

 彼らはそれ以外の『花園』に行くことや、外に出ることを試みたが、ここへ来るときに正当な手順を踏んでいないからか、『花園』の移動どころか、出口を見つけることも出来なかった。また、かつての『花園』には存在しなかったはずの魔物が多数出現していたことが災いし、ここで身を守ることがやれることの精一杯だったらしい。

「しかし、向こうでは、六日も経っていたのか……」

「一応、私達が帰った時の本部は、荒らされた跡はありませんでした。そのあとも、人が帰って来ない以外には、何もなく」

「そうか。……留守を守ってくれたことに感謝する。ありがとう」

「うん。だってもう、なかまでしょ」

 ランバージャックが六日前に四人に言ってくれたそれを、ルアンはそのまま彼らに返した。



「なんにせよ。一旦ここを脱出して、きちんと身体を休めるべきだ」

「ですね。向こうの方には魔物もいませんでしたし、正面から入った私達がいれば、【花園】もここから出してくれるでしょう」

シアは来た道の方向を見やる。遠目にしか見えないが、特に何か変化が生じている気配はなさそうであった。

「歩け……なさそうだよね。支えます、捕まってください」

ダビは動けなくなっている二人の傍に膝をつく。ルアンとシアもその後に続いた。

「うん。よいしょできる?」

「この子、力だけは物凄くあるので。全力で凭れ掛かっても大丈夫ですよ」

「すまない……。ありがとう」

 ダビがランバージャックを、ルアンとシアがアカマルを支えて、立ち上がらせた。

唯一手が空いているフェンネルは、五人の後ろについて、周囲の警戒役を引き受けた。

「こっちです、行きましょう」

 そして、道を引き返すように歩き出したその時、強い風が吹いて、全員の視界を桜吹雪が埋めた。



 ――フェンネルは、ある景色を見た。


 それは、どこかの室内だった。そこには、一人の女性が眠っていた。彼女はどうやらナイトメアで、側にはグラスホッパーの青年が一人立っている。彼は眠っている女性の顔を、どこか辛そうな表情で眺めていた。

「――はなを、さかせなければ」

 彼がそう言ったとき、辺りは白一色に攫われた。


 どうやら場面転換処理だったようで、フェンネルが白の次に見たのは、強い日差しに照らされた睡蓮の池だった。そこではさっきの青年が花の手入れをしていたが、彼は池の中から白い花をひとつ摘むと、それを強く握り潰す。

「これは、ちがう」

 青年がその一言を呟くと、彼の姿は瞬時に消えて、フェンネルの視界が、今度は桜吹雪に覆われた。


 桜吹雪が止むと、そこには先ほどまでいた『花園』の、桜並木が広がっていた。フェンネルの少し先では、調査隊の二人が支えられながら、ゆっくりと歩を進めている。

「……なんだ、今の?」

 前を歩く五人には、その独り言は届かなかった。


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