夏の在処

 *


「安直に考えるなら、調査隊の方々が行った方の基地に行ってみる?」

「さすがに安直すぎる、却下」

「だよねえ」

 情報収集の次は、行動である。室内に戻った四人は、この後どう身を振るかを話し合うことにした。そこで出されたのが、あのダビの提案だった。その提案はフェンネルに鮮やかに一刀両断されていたが、それも織り込み済みの発言だったようで、彼はあっさりと引き下がる。

 その基地で何かがあったからこその非常事態という現状なので、無策で後を追ったところで共倒れ、最悪のバッドエンドにしか向かわないのは自明の理である。

「ただ、虎穴に入らずんば虎子を得ず、とも言いますからね」

 おそらく、基地に行ってみないことには根本的な解決には至らない。それは、ダビの提案を却下したフェンネルも分かっているようで、シアの言葉に眉を顰めた。

「こけつ……? なに?」

 聞き取れなかったらしいルアンが首を傾げて、シアを見上げる。

「異国の諺です。虎の子供が欲しいなら虎の棲む穴に入らなければならない……、危険を冒さないと得られないものがあるという教えですね」

「とらのこどもがほしいの? なんで?」

「虎は子供を巣の中で大事に育てる動物です。虎の子供は親にしっかり守られている存在であり、それが転じて、価値があるものの喩えになりました」

「へえ。かわいいからじゃないんだ」

「可愛いだけで手を出すには、あまりにも代償が大きすぎますね。下手しなくても死にます」

 自らの命を引き合いに出してまで可愛さを追求する者もいないとは言わないが、かなりの少数派であることには変わりない。

「だとしても!」

「うわ、びっくりした」

 シアとルアンの話が明後日に向きかけていたため、フェンネルが強めの声色で引き戻した。至近距離にいたダビが驚いて肩を揺らす。

「このまま無策で突っ込んだら、ボク達も彼等の二の舞になる。だから、やれるだけのことはやる」

 そう言って、フェンネルは資料棚のある区画へと歩いていった。そこには、これまで調査隊が行ってきた【夏知らずの花園】の調査の結果や、周辺の蛮族の情報などが整理、保管されている。そのことは、初めてここを訪れたあの日に、アカマルから聞いていた。

「はーい」

 三人もフェンネルの後に続き、四人は、手分けして資料を読むことにした。


 *


 【夏知らずの花園】、それは一年ほど前に現れた〝奈落の魔域〟である。内部には春の草花が咲くエリア、秋の草花が咲くエリア、冬の草花が生育するエリアの三種類のエリアがあり、調査隊はそれを便宜上『花園』と呼んでいること。夏の草花の咲くエリアだけは、誰が調査に入ってもたどり着けなかったことから【夏知らず】の名前がついたこと。〝奈落の魔域〟を構成する中心物質である〈核〉が、まだ見つかっていないこと。内部はとても穏やかで、直接的な脅威とは呼べないこと。それが、消滅させる派と存続する派の膠着状態の遠因でもあること。やがて、【花園】を知った蛮族が、この場所を制圧しようと画策するようになったこと。出現する蛮族については、勢力がこちらと拮抗しているものの、調査隊の実力をもって対処すれば、討伐可能であること。報告書にまとめられていたのは、そのような情報だった。


「そもそも、どうして【夏知らずの花園】は、内部の報告がこんなに上がっているんですかね。普通、〝奈落の魔域〟は簡単に出入りできないですし、一度入ったら、〈核〉を見つけて壊すまで、出て来られないものですよね?」

 〝奈落の魔域〟は、言ってしまえば異界の端くれである。ゆえに、現実世界との接続が不安定で揺らぎがあり、〝魔域〟の内部に入ろうとしたところで、ちゃんと内部にたどり着ける保証もない。また、一般的な〝奈落の魔域〟は、シアの言うように〈核〉を壊すことが出口形成の条件であることが多く、それを見つけられない、何らかの理由で壊せないなどがあった場合、踏み入った者は半永久的に幽閉されてしまうこともある。そのような理由で冒険者が行方不明になるということも、実は日常茶飯事だ。〝奈落の魔域〟へ突入することは、厳密には片道切符すらも保証されない、危険を伴う旅路なのである。

 そんなシアの疑問に答えたのはフェンネルだった。賢神キルヒアを信仰し、自身も知識研鑽に余念がない彼女は、この手のことには誰よりも博識だった。

「稀に、〈核〉とは関係なく出入りできる通路が開いている〝魔域〟もある。神殿の書庫で、そんな文献を読んだことがある」

「あ、そうなんですね」

「ああ。……ボクは、誰の調査報告も似たり寄ったり、という方が気になるな」

 複数の調査報告書に視線を落としながら、フェンネルがそれを口にすると、ダビは要領を得ないといった表情で、フェンネルを見た。彼は〝奈落の魔域〟を、あまりよく知らないのだった。

「それって珍しいの?」

「珍しいというか……、普通ならあり得ない」

 〝奈落の魔域〟は、そこに足を踏み入れた者の欲望、願望を映し出す鏡とも言われている。つまり、訪れた者の意思が強く反映される場所であり、人の心理は人の数だけ存在するため、人が変われば景色も変わるはずなのだ。しかし実際には、少なくとも調査のために訪れた誰もが、ここでは同じ景色を見ていた。

 フェンネルが説明した〝奈落の魔域〟の仕組みを聞いて、何かを思いついたらしいダビが、発言権を求めてはい、と手を挙げた。

「〝奈落の魔域〟が、内部を制御している?」

 その考えは、誰しもが思いつく、そしてあり得そうな仮説である。しかしフェンネルは、彼が述べた仮説も否定した。

「〝奈落の魔域〟は、〈核〉があることが存在するために必須の条件になる。が、〈核〉は〝魔域〟に存在する者の心理状態を勝手に読み、その結果に呼応して〝魔域〟の姿を変える。それは〈核〉の性質上避けられないことで、それは結果として、〝奈落の魔域〟が自律して内部構造を制御するという可能性を否定する」

「へえ、そうなんだ」

 ただ、と区切ってフェンネルは続けた。

「〈核〉に近い者、……たとえば〈核〉を守る番人の座に、何らかの手違いで魔神ではなく、現実世界に生きる第三者が坐ったとするなら、この状況が発生しないとは限らない。その番人の願望が訪れる者の誰よりも強ければ、〈核〉は訪問者の心理を汲んでいる暇がなく、姿を変えることができない。常に、番人の強い願望を映しているから」

 普通、〈核〉の番人の座には、〈核〉に喚ばれた魔神が就く。異界の神たる魔神は、人族蛮族を問わず、この現実世界に生きるもの——彼らからすれば異界の者たち——の破滅以外の願望を持たない。そして〈核〉は、それが知覚する者の願望を汲み〝魔域〟に影響を及ぼす鏡だが、魔神の持つその願望は単純明快が過ぎるゆえに、〝魔域〟の構造に影響しない。なぜか〈核〉は、人族や蛮族が持つような、複雑で雁字搦めになった願望や欲望の方を優先して、〝奈落の魔域〟の構造に反映させる性質を持っている。一般的な〝奈落の魔域〟が、踏み入る人によって姿かたちを変えるのは、〈核〉による願望の選り好みが原因であった。

「ってことは、【夏知らずの花園】の番人は、ただの魔神じゃないってこと?」

「その可能性が高い。そして、当の番人は〈核〉ごと、あの中のどこかに隠れている。大方、見つかっていない夏の『花園』にいるんだろう」

「え? どうしてわかるの」

「ここに、そう書いてある」

 フェンネルが指し示したのは、膨大な報告書の一頁。調査隊の誰が書いたかは分からないが、フェンネルの述べた推理と同じことが、ひとつの可能性として書かれていた。

『〝魔域〟に簡単に出入りさせることが、〈核〉を遠ざけるための鍵かもしれない』

『〈核〉がある場所が夏の『花園』なのではないか』

「……ん? 見つかっていない夏の『花園』に〈核〉があるかもしれないのは分かったけど、簡単に出入りできることが〈核〉を隠すことに繋がるのは、なんで?」

 ダビは報告書の記述に目を走らせると、フェンネルが言及していない方の記述に首を傾げる。フェンネルは、そちらについても、推理の根拠を理解していた。

「多分、脅威として対処される可能性を低くするためだ。内部が穏やかなのも、壊されないために一役買ってる。本当に、上手くできた〝魔域〟だよ」

 たとえば、この〝魔域〟そのものが冒険者レベルの人材をもってしても危険であれば、当然、放置しておくわけにはいかない脅威とみなされる。また、危険性が低く脅威になりえないとものだったとしても、出入り方法が複雑であれば、うっかり誰かが迷い込んで出られなくなり、行方不明になるなどという事故が起きないとは限らない。もしそのような事故が起きれば、おそらく行政は市民の安全のために、冒険者ギルドへ向けて〝魔域〟を消滅させよ、との命令を下す。

 今のところ、調査隊の面々では〈核〉には辿り着けていないようだが、もっと高レベルの冒険者であれば、〈核〉を探し出し、そして破壊することも可能かもしれない。そのような相手を招くことを防ぐためにも、この〝奈落の魔域〟が脅威ではないと、周囲に示しておく必要がある。

「なるほど……」

「生存戦略がやけに人間くさいですね」

ダビと一緒に話を聞いていたシアがそんな感想を述べると、フェンネルは小さく首肯した。

「ああ。だから、〈核〉の番人は少なくとも人間並みの知能があるし、何なら人族として生活した経験もあるかもしれない。夏以外の『花園』が用意されているのも、夏以外には簡単にアクセスできるのも、夏の『花園』の存在を隠し、守るためだと思えば頷ける」

 木を隠すなら森の中へ。であれば、夏を隠すなら四季の中へ。人為的であると思えば思うほど、【花園】の性質すべてに納得がいく。これだけのことを考えられる知性を備えた存在が、どうして〝奈落の魔域〟の番人になったのか。番人とは誰なのか。


「えー、なんだか番人さんと話してみたくなってきた。絶対その番人さんは人族こっち側じゃん」

 ダビは少し面白そうにそう言った。番人に対して、かなり強く興味を持っているらしい。

「だとしても、〝奈落の魔域〟を制御してるイカれたやつだぞ? 何を話すつもりなんだ」

「なんでこんなことしてるのかなって。いざとなったら拳でもいいからさ」

「……普通、言葉を用いなければコミュニケーションは成立しない。キミとルアンの間で、非言語による意思疎通が出来てる事も、ボクには理解できない」

「ん? よんだ?」

 話の中で突然名前を出されたルアンは、何の用だとフェンネルとダビを見上げた。その手には、なぜか植物図鑑が握られている。その図鑑もまた資料棚に並んでいたものだが、おそらくルアンは、途中で報告書を読むことに飽きたのだろう。

「呼んでない。というかキミ、途中から全く話聞いてなかっただろ」

「うん!」

 フェンネルは話を聞いていなかったことを咎める意味で問いかけたのだが、ルアンはそれに清々しい笑顔で頷いた。フェンネルはがくりと肩を落とし、それをシアが宥めるという、いつか見たような光景が繰り広げられる。

「反省の態度が微塵も見られない……」

「まあまあ。興味を持てない時に話を聞いても、うまく記憶には結びつきませんから」

 ルアンはそんな二人の様子を無視して、ねえねえ、と話を始めた。図鑑を眺めていたことで、気づいたことがあったようだ。

「あのさ、たね、あったでしょ?」

「種? ……ああ、これのことか?」

 フェンネルは、蛮族の基地から持ち帰った植物の種を取り出した。本部へ戻ってきてから今日までの間、時間だけは有り余っていたので、あの牢屋の様子を唯一見ていないシアへのより詳細な情報共有も兼ねて、冒険者の遺体のことや、遺品の内容を全員で共有した。ルアンは、飽きた話を聞かない代わりに、その種が何であるかを調べていたようだ。

「そう。そのたね、これだとおもう」

 ルアンは、図鑑のある頁を開いて、フェンネルの目の前に差し出す。その頁に載っていた植物は。

「……睡蓮?」

 図鑑の種子写真と比べてみると、たしかにそれは睡蓮の種だった。袋には何種類かの種が入っていたのだが、細かい品種が違うだけで、全て睡蓮ではあるらしい。

「しかし、よく睡蓮にたどりつきましたね」

 睡蓮の種は、実はこれといった特徴がない。仮に種子に特徴がある植物だったとしても、植物の知識に明るくなければ、種だけで特定まで至るのは至難の業だ。

「んふふー。まえに、みたことあったの」

 褒めて、と言いたげな視線を受けて、シアはルアンの頭を撫でた。時々、この少女は底が知れない。

「睡蓮って、夏に咲く花ですよね?」

「そだよー」

 【夏知らずの花園】を襲撃しようとした蛮族。その蛮族に囚われて死んだ冒険者。その冒険者が持っていた、誰かに託すための、夏に咲く花の種。誰も辿り着けていない夏の『花園』、〈核〉を守る番人が、夏の『花園』にいる可能性があること。

 シアは、褒められて満足したらしいルアンから手を離し、フェンネルに向き直って言った。

「偶然にしては、条件が揃いすぎている気がしますね」

「ああ。あの冒険者たちと【花園】は、無関係ではないだろうな」

「報告書を読む限り、【花園】自体には危険性がないみたいですし、行ってみますか?」

「行く必要もあるだろうが、その前に調査隊の捜索だ」

 資料を読み漁っていたのは、調査隊の消息が途絶えた場所こと、蛮族の基地についての情報を集めるためでもあった。

「あ、そうでした。忘れてました」

「おい。今頃、調査隊の面々が草葉の陰で泣いてるぞ」

「……勝手に生存の可能性を消さないでください」

 物騒な言葉遊びをしている後衛二人の様子に、ダビは首を傾げていた。

「何を言ってるの、あの二人? 交易語のはずなのに、内容がさっぱりわかんないんだけど」

「さあねえ?」

 相槌を求められた少女がその時、わざととぼけていたことには、ダビは気が付くことがなかった。

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