不浄なる死

 *


「……フェンネル、ちょっといいですか?」

「なんだ?」

「相談があります。こっちへ」

 青年の笑顔を見て、異変をある確信に変えたシアは、青年から少し距離を取った場所に移動してフェンネルを呼んだ。青年に聞かれては困る提案をするために。

「どうしたんだよ?」

「彼に、【バニッシュ】をかけてみて欲しいのです」

 シアの言ったそれは、神聖魔法にある術のひとつである。しかし、【バニッシュ】はただの人間を相手に詠唱する魔法ではない。そして、それを詠唱することが意味するものは、ただの人間相手であれば、侮辱に他ならないことでもあった。

「……理由は?」

 フェンネルは怪訝な顔をして、シアに問うた。シアは、その問いを予想していたと言わんばかりに、提案の根拠を口にする。

「根拠は三つ。まず一つ目、彼はポーションを摂取したはずなのに、擦過傷のひとつも塞がる気配がありませんでした」

 シアが川の罠で負った、流血するほどの傷でさえも瞬時に塞ぐ力を持つ薬。それが、皮膚の表面、軽い擦り傷程度すらにも効能を発揮していない。

「二つ目。なぜ彼は生きているんです?」

「なぜ……?」

 シアはひと呼吸置くと、淀みなく仮説を論じる。

「彼の話が正しいのならば、彼は冒険中に仲間といたところを襲われ、捕まった。しかし、仲間はここにはいない」

「別の場所に、って言ってたからな」

「しかし、襲った蛮族集団の規模はなんであれ、いちギルドを捕まえたなら、その投獄先はあるひとつのコロニーであると考えるのが自然です。バラバラに捕まえてしまうと、誰かが脱走してしまえば、冒険者サイドに棲息地情報を握られ、却って危険だからです。情報撹乱のためにわざとやるかも分かりませんが、やったとしても、かなりの手間です」

「つまり、上の牢屋にあった死体が、彼の仲間の冒険者だった、と?」

「はい。しかし、彼らは死んでいたどころか、肉体が腐敗するほど日が経っていた」

 だが、あの青年は生きている。――青年だけが、生きていた。

「そして彼もまた、ここ二、三日に捕まったわけではなさそうでした。日付感覚も失っていたし、私達が起こすまでは意識レベルも混濁していた。……彼だけが生きている理由が分からないにせよ、仲間だった可能性はあります」

「……であれば、彼だけ何らかの理由で生かされている、という可能性は?」

 フェンネルのその問いに、シアは首を横に振る。

「上の階の死体に、目立った欠損はなかった、と言っていましたよね。ということは、蛮族に食肉として消費されていない、ということだと考えられます」

 人肉を好む蛮族に食いちぎられていれば、さすがに骨のひとつやふたつが折れていたり、衣服にその痕跡が残っていたり、腐敗の程度があからさまに違う場所があったりしてもおかしくない。しかし、上にあった死体には、そのような形跡がひとつも見られなかった。綺麗なまま、朽ちていった死体だった。食べるには、この上ない好機だったはずなのに。

「食肉として消費する意図があるなら、人族の生活で言う家畜のように、食糧を与えられて生かされている可能性はあります。しかし、上にあった死体の状態を聞く限り、その線は限りなく薄い。そして、人肉目的でもないなら、このような戦力にもならない衰弱した状態で、冒険者を生きながらえさせる理由がない」

「……」

 フェンネルはもう何も言わずに、シアの論拠を待つことにした。

「そして、根拠の三つ目。この魔法陣です。私達の知識では解析ができなかった、この」

 二人が知らない魔法の系統にあるもの。それはたとえば、あのゴーレムを作り出すような、そして、死者を蘇生させるような、見た目も行動も意のままに操るような。

「……なるほど。操られている姿、であると」

 導き出されたひとつの答えに、シアが頷く。

「大雑把な消去法ですから、操霊術の系統かどうかまでは分かりません。ですが、あの人がただの『人』ではない可能性は極めて高い」

「そうか、それで【バニッシュ】か……」

 【バニッシュ】は、人族や魔法生物には何の効力も発揮しない。しかし、魂が穢れている蛮族や、操霊術士が操る対象の一つであるアンデッドには、さまざまな悪効果をもたらす。

「可能性をひとつ潰す手段として、そして私達が身を守るために、これは必要な措置だと考えます」

「……わかった。準備はする。その代わり、それに至る段取りはキミに任せる。それでいいか」

「十分です。ご協力賜り感謝します」

「他人行儀みたいに言うなよ」


 *


 話を終えたシアとフェンネルは、青年の元へと戻った。青年は、突然自分と距離を取って話し込み始めた二人を疑問に思っていたようで、何事か、と首を傾げていた。

「どう、したんですか?」

「ちょっとした確認だ。キミの仲間かもしれない人たちを、上で見つけたから。さっき」

「……ほんと、ですか?」

「確認してみるか? 立てなさそうなら、支えるくらいはしてやる」

「それは、ぜひ、お願いしたいです。仲間に、会いたい……」

 青年とフェンネルの話がまとまりかけたところで、シアが横から口を挟む。

「その前にあなたにひとつ、提案があります」

「っ、なん、でしょう……」

 青年は、若干警戒するかのように答えた。

「あなたを信用するために、ひとつ、私達に協力してもらいたいのです」

「協力……ですか……?」

「私達は、ここに来るまでに、人に近い、人の姿をした脅威にも遭遇してきました。だからこそ、あなたがそうでないと信じたい。失礼な提案であることは承知です。……神官である彼女から、【バニッシュ】を受けてもらいたい」

 青年は、シアからその提案を聞くや否や、その顔から感情を削ぎ落とし、表情を無にした。そして、顔を背けると、盛大な舌打ちをひとつ。

「勘のいい冒険者だな……」

 最後にそう吐き捨てると、青年の皮膚が裂け、その下から筋骨隆々な身体が現れる。青年だったはずのそれは、咆哮とともに姿を醜く変えていき、やがてそれは、身長二メートルほどの蛮族の姿へと変貌した。

「――!」

「当たってほしくなかった予想だったな……っ!」

 そして、蛮族は仕返しとばかりに、そこにいたフェンネルに一撃を食らわせた。

「フェンネル、大丈夫ですか!」

「ああ、大丈夫。これでも防具をちゃんと仕込んでるから、二発くらいは平気だ」

 青年の変貌には、魔法陣を削っていたダビも、骸骨に気を取られていたルアンも気が付き、すぐさま二人と一体のもとへと駆け付けた。フェンネルが攻撃を受けた後の到着になってしまったが、ダビの拳、ルアンの剣がそれぞれ炸裂する。そして、二人がやってきたことで多勢になったため、シアが敵の射程範囲外へと下がった。

「キミら、こいつが何かわかるか?」

 フェンネルが前衛二人に問えば、二人は少し顔を見合わせて頷いたり首を振ったりをして、確認し合う。そして、最終的な答えはルアンから明かされた。

「レッサーオーガ、だって。じゃくてんはしらない」

「そうか」

 まあいい、と呟くと、フェンネルは魔法の詠唱を始めた。シアに言われて頭の中で予め組み立てていたので、それは一寸の隙なく唱えられる。すると。

「――!?」

 突如、レッサーオーガが蹲って震え出した。まるで、何かに怯えるように。

「え、なにしたの!?」

「【バニッシュ】。やつに恐怖状態を植え付けた」

 しかし、それでも闘争本能からか、レッサーオーガは戦おうと立ち上がる。その拳は恐怖の根源であるフェンネルに向いたが、それを甘んじて受けてもなお、防具を着込んでいるおかげで、フェンネルは顔色ひとつ変えずに立ち続けている。そのことで、レッサーオーガはさらにパニックに陥ったようで、最早フェンネル以外のことを忘れ去っていた。おかげで、ダビとルアンの攻撃が再びまともに入り、レッサーオーガは呆気なく倒れ伏した。

「……よほどの脅威に見えたんですね、フェンネルが」

「人聞きの悪いことを言うな」

 その手の脅威枠はルアンの役回りだと、フェンネルは反論しておいた。


 *


 レッサーオーガを倒したことで、ひとまず対峙すべき脅威がなくなったため、四人は改めて牢屋の中を調べることにした。すると、レッサーオーガだったものを検分していた前衛二人が声を上げて盛り上がり始める。

「どうした?」

 フェンネルが二人のもとへ行き、会話で意思疎通を図れるルアンに聞くと、ルアンは目を輝かせて言った。

「こいつ、いいものもってたの」

「いいもの?」

 その疑問に応えるように、ダビがフェンネルの目の前で、その握った手を開く。掌の上には、高値で売れそうな宝石が五つ。

「容赦がないな、キミらは……」

 さすがに同情してそんな感想を述べたフェンネルだったが、ダビは得意げに「わん」と鳴き、ルアンも笑顔でフェンネルを見る。二人の表情がまるで褒美を待つ犬のようで、フェンネルは狼狽えて、そして頭を抱えた。

「いや違う、褒めてない」

 そんな折、シアが何かに気が付き、鍵開けができる前衛二人を呼んだ。

「ルアンかダビ、来てくれませんか。施錠された宝箱があります」

青年が伏せっていた奥、部屋の隅に隠されるように置かれた宝箱を見つけたのだ。

「はーい」

 その要請に応じて駆け寄ってきたのはルアン。今度の鍵は高さの問題もなかったため、少女は上の階の牢屋のごとく鮮やかな手捌きで、数秒と経たないうちに開錠してみせる。そのあまりの速さに、シアは驚きすぎて一瞬フリーズした。

「え、はっや……」

「そうか、シアはさっきのしか見てなかったか。開けれる時は速いんだ、ルアンは」

「んふふー。きょうはちょうしがいい!」

 そうして開いた宝箱の中に入っていたのは、剣のかけらだった。

「ここに捕らわれた冒険者の持ち物だったんでしょうか……?」

 蛮族は、剣のかけらを体内に埋め込んで自身を強化することがある。だから、せめて奪われないために、鍵をかけて隠して守っていたのかもしれない。そう考えた末に滑り落ちたシアの独り言を拾ったルアンが言った。

「あのおにいさんの『オリジナル』のものかも」

「『オリジナル』?」

「レッサーオーガは、しんぞうをたべたもののすがたに、ばける」

 つまり、あの青年の見た目をした人間は、心臓を喰われて死んだということ。

「……聞きたくなかった情報をありがとうございます」

 とはいえ、レッサーオーガが正体を現した時には、青年を特定できる情報がすべて失われてしまっていた。もう確認する手段もないので、見つけた剣のかけらはありがたく頂いていくことにした。

「……もうここには何もないな。行くぞ、早めに離れよう」

「はぁい」

 一行は、不気味な牢屋を後にした。



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