贄
*
鉄の扉の向こうには、どこかで見たような小部屋と、下の階に続く竪穴、そして梯子があった。
「昇降用の部屋は同じ作りになってるんですね」
「頭のいいやつがいるってことだな、ここには」
同じ目的の部屋は同じように作る。それを思いつき実行するのは、デザインというものを理解している証であり、デザインを理解するには、少なくとも人間並みの知能が必要だと、フェンネルとシアは考える。
直下の気配を確認してから、今度もまた、ルアンを先頭に一人ずつ順に梯子を降りた。降りた先もやはり、上の階で見たような、格子戸で隔てられた小部屋だった。しかし、先ほどと違うのは、その格子戸の向こうに灯りも水の音もないという点。
「つまり、扉を開けてみないことには、何が待ち構えているか分からない、と」
「一応、我々以外の物音はしていないみたいですが」
事実確認も兼ねて、今わかることを整理しようとするフェンネルとシアだったが、そんな二人のことをまるで気にかけず、前衛二人は格子戸に手をかける。そして。
「いくよー」
「わん」
なんの躊躇いもなく、一思いに格子戸を開けたのだった。
*
前衛二人は、照明がなくとも格子戸の向こう側を見渡すことができる。また、罠だとか敵の気配だとかがあるのなら、その手のことに一番聡いダビが気が付かないはずがないので、あの二人が大丈夫、と判断したのならとりあえずは大丈夫なのだ。なのだが。
「こう、もう少し警戒した素振りをしてもいいと思うんですよ……」
シアが心臓の辺りを手で押さえながら言った。急に格子戸を開いた二人に、よほどびっくりしたらしい。
「えー? ごめんね?」
「それ絶対謝ってないだろ、こら」
「いひゃーい」
いたずらに小首を傾けて謝ったルアンだったが、どう考えても本気の謝罪じゃないと感じたフェンネルは、ルアンの両頬をつまんで左右に引っ張った。しかし、反省を促すためにやったはずのそれすらも、少女はなぜかニコニコして楽しんでいた。
「あー、もういい。キミには何を言っても無駄な気がする」
フェンネルが手を放すと、ルアンは自分の両頬をむにむにと解しながら言った。
「どっち、いく?」
四人が今いるのは、あの格子戸から続く、細く伸びる通路の先にあった分岐点だった。今立っている場所から道は左右に分かれ、さらに先で曲がりくねっている。それぞれの通路の先に何があるかは、夜目が効くルアンとダビをもってしても、進んでみないと分からない。
「ダビはどう思いますか?」
シアがダビに訊ねると、彼は左側の道を塞ぎ、青ざめた顔をしながら腕で大きくバツ印を描いた。
「危険なのか?」
フェンネルの確認に、ダビはこくこく、と首が取れそうな勢いで頷く。獣変貌により、さらに鋭くなった耳や鼻が、見えない先から何かを感じ取っているようだ。殲滅目的の依頼なので、いずれそちら側にも向かわなければならないが、彼の様子を見て、一先ずは後回しにすることにした。
そして消去法で右の道を進み、先が見通せなかった原因でもある角を曲がった時、突如としてダビの尻尾の毛が逆立ち、そして彼が立ち止まった。何かに警戒しているようだが、シアとフェンネルの視認できる範囲には、警戒対象になり得るものがない。
「……何があったんだ?」
その原因は、ダビと同じく夜目が効くルアンが知っていた。ルアンは、フェンネルを呼び寄せて屈ませると、耳打ちでこの先にある景色を教えた。
「さっきのへやがこのさきにもある。けど、ここは、ろうやだけじゃない」
「牢屋だけじゃない?」
「シアさんたちのほうが、わかるとおもうよ。まほうつかいさんだから」
「魔法関係、なのか?」
「うん」
魔法に関係するものがあるとするならば、おそらく魔法の知識を持っていないダビが警戒するのもありえない話ではない。だが、同じく魔法という未知の世界の現象である『ビアンカの傍で踊るゴーレム』に、あっさり順応していた彼である。その彼がここまで警戒するということは、よほど危ないということかもしれない。しかし。
「……シア、いくぞ」
「え?」
フェンネルは、シアの腕を掴むと、シアの返事も待たずに立ち止まったダビを追い越すように歩を進めた。ダビが警戒するほど危険なものがあるとしても、夜目の効かないフェンネルとシアがその正体を確認するには、近づいて、ランタンで照らしてみないことには仕方がない。敵がいないことが、せめてもの幸いだった。
*
そして、二人が牢屋のある小部屋にたどり着いたとき、彼の反応の理由をこれでもかというほど理解した。正確には、させられた。
「……あー、なるほど」
「これは……警戒しますね……」
ランタンによって照らされたのは、フェンネルが上の階でも見たような、五メートル四方の部屋。その半分を占める牢屋の内側、扉付近には血で描かれた魔法陣。さらに奥には骸骨と、横たわった青年と思しき人間が一人。ダビは先ほど以上に毛を逆立てて、低く唸り声を上げている。
「何かとんでもなく理に反することをしています、って感じですね……」
「血で描いた魔法陣、ってだけでも相当なのにな」
「フェンネルは、あの魔法陣について何か分かりますか?」
「いや、何も。少なくとも真語と神聖の系統では見ない。シアは?」
「私もです。魔動機術でもありません」
「正体不明、か」
何のために描かれて、何を呼び起こす魔法陣なのか。それが分からないまま近づくのは、不用意の極みである。だが。
「……あのおにいさん、いきてるきがする」
ルアンがそう言って、牢屋の中の青年を指差したことで、そうとは言っていられなくなった。
「しかし、反応がないようですけど……? 生きているなら、この距離で人が話していれば、何かしらのリアクションがあっても良いのでは」
シアの尤もな疑問に同意しかけたフェンネルだったが、直後、ルアンが言わんとすることを察知して、弾かれたように顔を上げた。
「……上の牢屋にいた死体よりは肉体が保たれてるし、血色もないとは言えない。眠っている、意識レベルが低いだけの可能性はある、な」
「でしょ?」
ルアンが我が意を得たり、という顔でフェンネルを見る。一方で、シアは困惑した。
「え、上に牢屋あったんですか。そして誰か死んでたんですか」
「あれ、いってなかったっけ?」
「聞いてません」
「ああ、そうだ。キミが怪我してたから」
戻ってみたらシアが怪我をしていたことで、その手当てに気を取られ、すっかり情報伝達のことが頭から抜け落ちていたのだった。フェンネルは改めて、上の階で三人が入ったあの扉の先に牢屋があったこと、二人の冒険者が息絶えていたことをシアに共有した。
「上で死んでた人たちと関係があるのかは分からない。だが」
フェンネルが言った言葉の続きを、シアが引き取る。
「……生きてるなら、話が聞けるかもしれない」
「そゆことー」
ルアンは、声だけは軽妙に相槌を入れた。
*
「となると、ここに入ってみるしかないが……。やっぱり、鍵がかかってる」
フェンネルが牢屋の扉に手をかけてみたものの、がしゃん、と閂が引っかかる音がしただけだった。
「かぎ、さっきのとこにはないね」
先ほどの牢屋とは鍵の位置が違っていた。だからか、上で牢屋を見ていた三人よりも、シアの方が鍵穴を見つけるのが早かった。
「あ、ありました。鍵ここです」
「ルアン、開けてみてくれるか?」
「うん」
しかし、その鍵穴はルアンの頭より少し上の高さにあったため、ほとんど手元が確認できない開錠作業となり、ルアンはかなり苦戦を強いられた。
「うー、あかない」
そんな時、ルアンの肩をダビが叩いた。ルアンは手を止めて、振り返ってダビを仰ぎ見る。
「? ダビさん?」
ダビはルアンの手からツールをそっと抜き取ると、難なく鍵を開けてみせた。身長があるため、ここの鍵はダビの方が開けやすかったようだ。
「わ、ありがと!」
ダビはふるふる、と首を横に振る。気にするな、ということだろう。
そして牢屋の扉を開くと、彼は真っ先に飛び込んで魔法陣の描かれた床を削り始めた。魔法陣の作用条件のひとつは、完璧な陣。ということは、一部でも削ってしまえば、少しは脅威の可能性を下げられる。彼はそれを本能で察知して削っているのだろうが、おかげで残された三人が牢屋の中に入るのに必要な覚悟の量が、いくらか少なくなった。
そして、ダビに続いて牢屋の中に入った三人のうち、ルアンは骸骨へ、フェンネルとシアは青年へと近づき、その状態を確認した。骸骨は罠も手がかりもないただの骸骨だったが、興味を惹かれる何かがあったのか、ルアンはしばらくそれを眺めていた。
一方で、後衛二人が確認しに行った冒険者のような青年は意識を失っているだけのようで、わずかながらも息があった。シアはすぐさま青年の肩を叩き、彼を起こすことを試みる。フェンネルはその様子を観察していた。
「どうしましたか? 大丈夫ですか?」
青年は起きて、目を二、三度瞬かせると、シアとフェンネルを交互に見やった。
「あなたたちは、一体……?」
「冒険者だ」
「あなたも冒険者ですか?」
「はい、自分も。仲間たちと……。ああ……」
彼が言うには、仲間たちと長い冒険をした帰り道で蛮族に捕まったという。仲間も一緒に捕まったが、この牢屋に入れられたのは自分だけで、仲間がどうなったかは分からないらしい。また、襲われた当時のことは、思い出すことを身体が拒否するようで、シアがそのことを訊いた瞬間青年の身体が震え始め、話をすることすらままならなくなってしまった。
「とりあえず、水でも飲んで落ち着いてもらうか」
フェンネルが持っていた水を青年に差し出す。しばらくすると、青年の目に映る景色の焦点が、虚空から水へと結ばれた。
「あ、ありがとう、ございます……」
「いや、いい。辛いことを聞いて、申し訳なかった」
「すみ、ません」
青年が水を飲み落ち着くのを待って、再びシアが青年に問いかけた。今度は、なるべく襲撃当時に触れないことを。
「どれくらい、ここに?」
「……わかりません。もうあれからどれだけ経ったのか、なんて」
「陽の光が入らなければ体内時計も狂いますもんね」
その衰弱の程度から見るに、青年は一朝一夕でこうなったわけではなさそうだ。
「……とりあえず、回復するか? 話を続けるにしても、このままではしんどいだろう」
「そうですね。お願いします」
シアも世話になった吸入器をフェンネルが青年にあてがい、ポーションを摂取させる。その様子を傍で見ていたシアは、とある小さな異変に気が付いた。
「よし、終わり。少しは楽になったか?」
「はい……。ありがとうございました、貴重なポーションを」
青年は弱々しく礼を言って笑う。その笑顔は、安心したような、ひどく穏やかなものだった。
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