得意分野

 *


「戻りました~、ってシアさん?」

 三人が最初の部屋に戻ると、川の上流部の岸辺で、蹲ったシアが手で足首あたりを押さえていた。その手に血の滲んだガーゼが添えられていることには、視界良好なルアンだけが気づいた。

「おけがした?」

 少女に怪我の可能性を指摘されたシアは、気まずそうに顔を上げる。

「……実はその川の中に、罠が」

「つまり、ひっかかって怪我したと」

 フェンネルが話の続きを引き取って事実確認をすると、シアはそれを認めた。

「はい」

「シアさんは、川に嫌われてるのかなぁ?」

 ダビの率直な感想に、シアも項垂れる。

「自分でも水に関する運がないな、とは思い始めてます……」

 前回溺れたのは経験不足もあったかもしれないが、それを克服するべく泳ぎを習得したというのに、一人川に近づいた結末がこれである。フェンネルは、ふう、とひとつ溜息をついて、気遣う声色で言った。

「シアはしばらく、一人では水場に近づかない方がいいかもな」

「うう、はい……」

「シアさん、けがのおてあて、しよう」

「そうだ。ちょうどそこで拾ったし、ポーション飲む?」

 ダビがシアへと、先程拾ったヒーリングポーションを差し出した。

「あ、ありがとうございます」

 それを受け取ろうとしたシアの手を、フェンネルが止めた。

「ちょっと待った。それ、ボクに一任してくれないか」

「えっ?」

 フェンネルは、ダビが差し出したポーションをシアの代わりに受け取ると、真鍮で作られた瓶のような容器に移し替えた。さらに、その瓶の先端にガラス製の、鼻と口を同時に覆うマスクのようなパーツを取り付ける。

「なにしてるの?」

 ルアンが不思議そうに訊ねると、フェンネルは作業の手を止めずに答えた。

「こうすると効きが良くなるんだ。……シア、口開けろ」

「はい」

 シアは素直に口を開いた。その口と鼻を覆うようにガラスのマスク部分を当てて、フェンネルは瓶の側面にあったスイッチを押す。すると、ポーションが噴霧されてマスクの中に流れ込んだ。

「はいこれ持って。吸って」

 フェンネルはシアに瓶を渡し、口呼吸を促す。フェンネルが持っていたのは、ポーション用の吸入器だったようだ。

「ポーションって飲む以外の使い方できるんだ」

 吸入器を見て素で感心しているダビに、フェンネルは呆れて突っ込みを入れた。

「キミ、前回そこの子に思いっきりアウェイクポーションでびしょ濡れにされてたろ」

 アウェイクポーションは気絶した人を起こすためのものなので、ヒーリングポーションとは違い、どんな使い方をしようと効能は変わらない。だが、それを必要とする側は気絶しており、当然自力で飲めるわけもなければ、第三者が飲ませると窒息事故を起こしかねない。よって、大体は対象者に香水のごとく振りかけるのみで、前回の依頼時、戦闘中に気絶したダビを起こしたのは、そこの子、ことルアンだった。

「あ、そういえばそうだった」

「えへへ、びしょびしょにした~」

「いや、今のは嬉しがるところではないぞ。確実に」


 *


 五分ほどすると、ポーションがすべて噴霧されたのかマスク内の霧が晴れ、その数秒後に機械の動作音も止まった。

「シア、もう外していいぞ」

 フェンネルが言うと、マスクがなくなってようやく会話に加われるようになったシアもまた、感心したように吸入器を眺めて言った。

「こんな道具があるんですね、どうやって動いてるんですか」

 フェンネルはその吸入器を回収しながら、種明かしをした。

「これ自体は魔動機文明のものだから、シアの方が詳しいはずだぞ」

「え、でもマギスフィアは……?」

 魔動機術は、マギスフィアを持つものにしか使えない。しかし、フェンネルはマギスフィアも、それを扱う知識も持っていない。

「その辺は全部本体に埋め込まれてる。マナを噴霧エネルギーに変えるだけの至極単純な魔動機術には、流石に使用者本人の知識や技量は問わないらしい」

 フェンネル曰く、昔出会った知り合いに貰ったものだから、これ以上は分からない、とのことだった。

「さて、足はどうだ?」

「あ、それはもうお陰様で。痛みもないです」

「一応確認させてもらうぞ」

 フェンネルがシアの足元にしゃがみ込み、足首周りの関節を触りながら状態を確認する。ポーションのおかげか、流血の原因と思しき擦過傷はすでに塞がっており、また、捻挫のような、靭帯や筋肉に関わる怪我も見受けられなかった。

「んー。まあ、大丈夫か」

 総合的に大丈夫、と判断して、フェンネルは立ち上がった。シアは申し訳なさそうに謝る。

「すみません、お手数かけました」

「怪我しちゃったのはしょうがないよ。それよりも、大事なくてよかった」

 ダビの慰めに、うんうん、とルアンも頷く。そして、『隊長』らしく音頭を取った。

「きをとりなおして、すすもー!」

「おー!」

「おー?」

 その掛け合いには、ダビだけでなく、珍しくフェンネルも参加した。シアは気遣われていることをむず痒く思いながらも、それをありがたく享受して立ち上がった。


「といっても、できるのはこの水流を遡っていく、くらいか」

 今いる部屋にあった怪しい場所は、あらかた調べ終えている。となれば、調べる場所はもうこの先しかない。その時シアは、あることを思い出して、全員に共有した。

「あ、そうだ。この上流、奥に広い空間がありそうです。具体的な様子は灯りがなくてわかりませんでしたが、向こうに音を向けたときに、返ってくる量が著しく減るので」

 そしてシアは、手近な場所に落ちていた小石をひとつ拾うと、水路の入口の壁めがけて投げつけた。壁にぶつかった石は軽やかな音を立てて水流へと飲み込まれ、その音の反響が時間差で全員の耳へと届く。やがてその反響が、ある時点を境に音量を減らした。

「あっ」

 気づいたらしいルアンが感嘆の声を上げる。

「分かりましたか?」

「うん、ちいさくなった」

「……本当だ。すごいな、この水音の中でよくこれを」

 もともとの性質として音は遠くに行くほど減衰するものだし、すぐそばには水流があるため、水音にかき消されるものもあれば、水に吸い込まれるものもある。減る、と分かっていない状態でこれを聴き分けるのは至難の業だ。フェンネルは、それを見事やってのけたシアを手放しで褒めた。

「だから、罠には気が付けなかったんですけどね」

 シアは苦笑いしながらも、フェンネルの称賛を受け取る。

「私達はまだ、ここで暮らす蛮族そのものに出会っていません。この先には彼らの生活空間があると考えるべきでしょう」

「であれば、それはこの部屋ほどの広さ、もしくはそれ以上……」

「だと思います」

「ここは客間みたいなものだったってことか」

 フェンネルが冗談めかして言った。しかし言い得て妙である。

「でもどうせ、この先に進まないと調査も進まない。行くしかないよね?」

 ダビがそう言うと、フェンネルも頷く。

「そうだな。勝手に上がり込んであれこれ覗いて回ってるんだから、ご挨拶もしなきゃならない」

「となると、灯りをそのまま持っていくのは危険ですかね」

 この先の照明事情がどうなっているかは、現状では把握しようがない。もしひとつも照明がない暗闇だったなら、光源が近づいてくるのは遠くからでも丸わかりであり、侵入者の存在をこちらからアピールしていることになる。

「ランタンは窓を塞いだうえで、ボクのローブにでも隠そう」

「あ、ならおれも獣化しておくよ。あっちの姿なら夜目が効くし、なにかあったとしても、身体の出力も上がるから対処しやすい」

 ダビはそう言うと、獣変貌した。

「じゃあルアンとダビが先頭で。ボクらはそれについていく」

「はぁい」

「わぅ」

 前衛二人の返事とともに、四人は川を遡るように歩き始めた。


 *


 川の上流へ歩を進めると、シアの言った通りの広い空間が見つかり、そこには矢が構えられた大型の石弓が三基と、その操縦係と思われる蛮族が三体いた。ただ、その空間に照明の類はなく、夜目が効かず何も見えていないシアやフェンネルは、そのことをルアンに教わった。

「やっぱりいましたか、敵」

「そうだな。光量を落としておいてよかった」

「ここが本来の玄関なんでしょうかね。彼らが門番役というか」

「気が付かれない範囲でいい、敵に近づいてみてほしい。できるか?」

 フェンネルが前を行くダビとルアンに問うと、二人は無言で頷いて歩を進める。暗闇の中、気配を殺して距離を詰めていくが、そこにいる蛮族は幸運にも夜目が効かない種族であるらしく、シアの持つ銃の射程範囲内まで近づいても、気づかれた様子はなかった。

「この状況は使わない手がないですね」

「仕掛けるぞ。準備はいいか」

 前衛二人にフェンネルが問えば、力強い首肯が返ってきた。ルアン曰く、今までに遭遇したことのない種族が三体いるらしいのだが、すべて同じ種族のようなので、戦略はシンプルに『手近なやつからぶん殴る』。まずは一番素早いダビが飛び出ていき、そこでフェンネルは、あることに気づいた。

「そうか、獣化されるとダビに弱点とかを聞けないのか」

 魔物の知識はダビが一番詳しい。そのダビが交易語を話せないとなると、途端に戦略を立てるのが難しくなる。なんせ、相手が分からないことにはどうしようもない。

 しかし、その問題は、意外な形で解決した。フェンネルの言を受けて、ルアンがこう言ったのだ。

「シールドフッドがさんびき、だよ。まほうでなぐるとよくしぬ」

 どんな生命体も殴り続ければいつかは倒れるものだが、おそらくルアンが言いたいのは、いつかのゴブリンのように、魔法攻撃が弱点であるということだろう。

「ルアン、キミも蛮族に詳しいのか?」

「あんまり。でも、ダビさんもそういってるから、たぶんあってる」

 ルアンのその返事を聞いたフェンネルの頭に、特大級の疑問符が浮かぶ。

「おい、なんで意思疎通できてる!?」

 今のダビはリカント語しか話せないうえ、ルアンを含め残りの三人はリカント語を理解できない。言語による意思疎通は不可能なはずだ。なのになぜ。

「え、なんかわかった。てれぱしー?」

「やだ怖い、なにこの前衛組」

「じゃ、ルアンもいってきまーす」

 大剣を両手に駆け出して行った少女の背を見送りながら、フェンネルは呆気にとられる。シアは、その後ろで小さく笑っていた。

「冗談抜きで、戦うために生まれてきたみたいですね。あの二人」

「……そうだな」

 もう何も言うまい、とフェンネルは考えるのをやめて、隠し持っていたランタンを足下に置き、その窓を開けて光量を確保した。見えた先ではすでにダビは一発食らわせて一体を伸しており、ルアンも別個体に向けて、あの大剣を思う存分振り回していた。暗闇から突然あれを食らうのは軽い恐怖体験だな、とフェンネルは思う。そして、灯りと共に確保された視界のもとで、過つことなく放たれたシアの弾丸は、ルアンが相手をしていたシールドフッドに当たったのだった。


 *


「ねー、あれもういっかいやって!」

「やらない」

 シールドフッド三体を相手に、比較的順調に勝利をおさめた一行は、三基並んだ石弓の前で四人小さく輪になって、携帯できる簡易コンロを囲んでいた。そのコンロの火にかけた小鍋で、流動性のある何かを煮込んでいるフェンネルに、ルアンはしつこく話しかけて、そしてあしらわれていた。

「なーんーでー」

「あれは相手がもうすぐで倒れると思ったから、片付けるために撃っただけ。頻繁に使おうものなら、キミらの体力回復に使う魔力がなくなるぞ」

「えー」

「えー、じゃない! 体力回復ができなかったら死ぬだろう!」

 そんなやり取りをするルアンとフェンネルの傍で、ダビが首を傾げてシアを見た。その視線をシアは「あの二人は何を揉めているんだ」と訊かれているものだと判断し、解説した。

「フェンネルが【エネルギーボルト】を撃って戦う姿をもう一度見たいそうです。かっこいいから、と」

 三体いたシールドフッドのうち、二体は時間をかけずに討ち取れたのだが、その状況を見て残った一体が生存本能を目覚めさせたようで、シア、ダビ、ルアンの攻撃を結構な割合で避けたのだ。そこで、一つの賭けとして、フェンネルが魔法攻撃で参戦して体力を削ることにした。シアの銃弾と違い、フェンネルの魔法攻撃は、抵抗でその効果を半減することはできても、全てを打ち消す術はほとんどない。

「しかし、敵の精神力によってはかなりの博打なんですよ。フェンネルが攻撃に回るというのは」

 魔法攻撃は、相手の精神抵抗能力が低く、威力を十分に活かせる状況であれば、相手の体力を大きく削ることができる。その反面、そうでなかった場合には、こちらの魔力がジリ貧になり、『貧すれば鈍する』に陥る確率が高くなる。今回は相手が残り一体、かつシールドフッドだったからこそ、その賭けに乗れたようなものだった。

 シアの解説に、ダビは納得したように頷いた。そしてフェンネルに絡むルアンにリカント語で何かを語りかけると、ルアンは渋々ながらも何かを了承したような顔になり、駄々をこねるのをやめた。

「……だから、なんで通じるんだよ、そこ」

「世の中、説明がつかないけど存在するものってあるじゃないですか。たぶんそういう類ですよ、あれも」

 フェンネルが疲れ切った顔で言ったそれに、シアは穏やかに私見を述べた。

「ふんわりしてんな……。まあいい、できたぞ」

 フェンネルは手元で混ぜていた小鍋の中身を、ガーゼで濾しながらボウルのようなものに移すと、ダビに渡した。

「うわぁ、すっごく身体によさそうな緑色……」

 その水色すいしょくを横で見ていたシアが言った。受け取ったダビも、その青臭さに若干眉を顰めている。

「生薬ってのはそういうものだからな。仕方ない」

 ダビに手渡されたそれは、救命草をすり潰したあと、水で煮出して濾したもの。いわゆる生薬と呼ばれるものだ。

「これを見ると、ポーションがいかに優れた発明品であるかを思い知らされますね」

「ああ、あれはすごいぞ。飲み口さわやかで、効果も高い。その分値が張るのが痛いんだが、技術料を考えるとな……」

 先ほどのシールドフッドとの戦いでは、ダビの体力が大きく削られた。そのため、調査を進める前に回復しておいた方が良いという話になったのだが、それならばとちょっとした休憩も兼ねて、焚火よろしく小鍋を囲み、生薬を作っていたのである。ポーションでの回復や回復魔法と違い、薬草での回復は、時間と手間がかかるため、こういう時にしか行えない。フェンネル自身も、救命草の生薬を作る前に、魔香草を生薬に加工して服用し、魔力を回復していた。

「救命草、買うとポーションの三分の一の価格ですもんね……」

「ああ。それに、魔力の回復に至っては、これしか手段がないような節すらある。だから余計にありがたい」

 魔力回復や補助に用いるものとしては、他に魔香水と魔晶石があるが、その購入金額と回復・補助できる量を考えると、圧倒的に魔香草に軍配が上がる。駆け出し冒険者にとって、「安くたくさん賄える」というのは重要だ。

「きゅーぅ……」

 生薬を飲み終えたダビが、鼻を鳴らしながらボウルをフェンネルへと返す。生薬がもともと持つ独特の風味が、彼の今の五感ではさらに増幅されたようで、生薬を飲み終えるや否や、その三倍くらいの水を飲んで味覚嗅覚をリセットしていた。

「おつかれさま~」

 そんなダビの頭を、ルアンが撫でてねぎらった。フェンネルとシアは、ルアンの行動はねぎらいというよりも毛並みに触りたかっただけのような気がしたが、ダビの眉間のしわが幾分マシになっていたので、それを口にするのはやめて、道具やコンロを片付けた。

「さて、行くか」

 そして一行は、石弓の向こうに隠されていた、鉄の扉に手をかけた。

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