第30話 友達
「なんであんたがいんの?」
「俺は俺で来てるだけだ」
中高生にとって駅前のカラオケやファミレス、カフェなんかは格好の溜まり場となる。
顔を合わせてまだ二日目だから誰がどこに住んでいるだとか正確に把握してないし、渋谷や原宿に行く人達と違う近場で遊びたい人はこういう場所で暇を潰す。
ここのカラオケは地元でも大人数で楽しめる造りになっていた。
一階から四階まで大小の個室があり、なにより値段が安い。
学割もあるので利用しない手はなかった。
「どう、新しいクラス馴染めた?」
「俺はもうバッチシ。昨日バスケ部も見れたし、体験入部は来週からにするよ」
「それにウチのバスケってさ、土曜練習あんだけど休んでもいいんだって」
たまたま個室が隣同士だった柚香と幼馴染の悠馬。この店はドリンクバー形式で利用客は嫌でも顔を合わせる瞬間があり、二人も運悪く鉢合わせてしまってちょっとだけ話すことに。
「ほら、部員数多いけどレギュラー枠少ないじゃん?そういうとこで評価すんだと」
「へぇ、ならその時間に末崎さんとデートできるね」
「そのことなんだけどさ」
「?」
「俺、ミカと別れたんだよね」
悠馬は顔色一つ変えずコップの中のカルピスを飲み干して、もう一度注ぎ始める。
一瞬彼が何を言っているのか理解できなかった、コップの底に当たる氷と液体の水音だけが沈黙を紛らわしてくれる。
そして、また耳を疑うことを言われた。
「だからさ、柚香がまだ俺のこと好きなら付き合わね?」
なみなみ注がれた白い液体で口の渇きを潤して、すぐおかわり。
横顔から僅かに見える左の瞼が微かに痙攣していた。悠馬は昔からストレスを感じたりするとあの部分がピクピク痙攣するのだ。
「・・・馬鹿にしないでよ」
チャンスが巡ってきたわけだが、柚香は断ることにした。
本当は死ぬほど甘えたかった。できることならうんと頷いて彼の大きな胸板に飛び込み抱き締めてほしかった。
ここ数日の出来事を忘れさせる安らぎがほしかった。
けれど、それでも柚香は断った。
「言ったよね?あの子とすぐ別れたりして他の奴に鞍替えしたりしたら絶対許さないって」
「自分も含めるんだな」
「だから、馬鹿にしないでよ」
「本当にいいのか?」
「いい。第一あんたの顔も見たくなかったし」
否、嘘である。
あの日別れてから何度か会いたい話したい一緒に過ごしたいと思う瞬間はあった。
「嫌われてんなー俺」
「あっ、それとミカと別れたってのは嘘なんだ」
「は?」
「いやさ、聞きたかっただけ」
初めて幼馴染に謀られ、ぽかんと開いた口が塞がらない。
「じゃまたな」
悠馬は苦い笑みをこぼし逃げるように個室へ戻って行った。
私はというと葛藤の末にひねりだした答えを馬鹿にされ、横隔膜が張り裂けそうな動悸を抑え込むのに必死だった。
♦♦♦♦
「遅かったじゃない」
ミラーボールが薄暗い天井を照らすD組のカラオケルーム。
クラスの人間を率先して誘う女子だからか臆面もなく大音量で話題の歌を歌いあげ、男衆はシャンシャンとタンバリンを鳴らしている。
「騒がしくて仕方ないけど、存外悪くないかも」
恐らく高校生にして初カラオケの冬海は液晶に映し出されるアニメ調のMVを眺めながら隣の柚香に感想を述べる。
しかし外から戻ってきた彼女は合流した時よりも更に静かになっていた。
「どうしたの?体調悪い?」
異変に気が付いた冬海は顔を覗き込んだ。コの字型のソファーの角にいるものだから、画面に夢中なクラスメイト達は二人に目もくれないでいた。
「ううん、大丈夫」
そうは見えない。今にも雨が降りそうな曇り空みたく目元が震えている。
「本当?」
「嘘じゃないって」
柚香は心配させまいと振舞うが、冬海にはお見通しだった。
かつての自分も両親に同じ顔をしたことがあるから。
「さっ、歌お歌お」
平静を装う柚香は空いていたデンモクに曲を入れ始める。ジャンルはラブソングだが、どれも失恋をテーマにしたものだ。
「一緒に歌う?」
「―――歌いましょうか」
そうして自分達に順番が回ってきて、両者はマイクを握り締める。
少女は全身全霊を込め、怒りも悲しみも憎しみも妬みも大好きな歌詞にのせぶつける。相手はもちろん自分自身。
後日、二人のデュエットがちょっとした話題となりまたカラオケに誘われることになるのだが、それはまた別のお話。
♦♦♦♦
「おつかり~」「おっつー」
午後六時、会社帰りのサラリーマンや居酒屋目当ての大学生でごった返す駅前。
初々しい制服姿の男女は歌い疲れたのかテンションが緩い。
各々連絡先を交換する中、一緒に来ていた西山の同級生と話す柚香と冬海。
「斎藤さんとカラオケ来たの初めてだよね?!すっごく上手だった!!」
「そ、そう?」
褒められ慣れていないのか不自然に口角が吊り上がる冬海。
習い事で音楽をやっているからかその方面の素養は歌唱力にも影響を及ぼしていて、プロ顔負けの歌唱力に才能の片鱗を感じられた。
「あの、もしよかったらお友達になってもいい?前はあんまり話したことなかったし、せっかく同じクラスなんだもん!」
「ん、知ってると思うけど私って面倒臭いのよ?思ったこと抑えきれずに言っちゃうことあるし、嫌われちゃうかも」
見た目は上級生なのに友達作りの経験値は小学生ぐらい。そんなギャップが受けてか同中の女子はわーきゃー騒いでいた。
「あたしも迷惑かけちゃうかもだけどねー」
「そう?
「でも天然ってよく言われる」
ボブカットの大人しそうな女子は
「私もよろしく、何回か話したことあると思うけど」
「うん!よろしくね~!」
高校生よりも未だ中学生に見えてしまう紗希。
身長も冬海より頭一つ分小さく可愛らしい外見なのでマスコット的に空気を癒してくれる。
そんな彼女は両手を前に出しパタパタ手を振り、他の生徒達と帰っていった。
「私達も帰ろうか」
「そうね」
駅から緩い坂道を上り、途中にある煙草屋まで一緒の道のりを歩く。
悠馬達ももう帰っているのか個室に人影はなかったし、住宅街の夜はスーツ姿のサラリーマンか犬の散歩をする子供ぐらいしかいなかった。
「・・・さっきさ、西山の友達に会ったんだ」
徐に口を開く柚香。
「私が知ってる人?」
「須崎悠馬って、バスケ部の」
「あぁ、あのモテモテの」
彼と親しく話したことはないが、耳に入る噂はいつもそんなものばかりだった。
「そ、モテモテの」
「話したの?」
「うん。元々あいつと私って幼馴染なんだけど―――」
同じ歩幅で歩んでいたが、語り手の足が止まる。
「好きだったんだ」
一歩前を行った私の横顔に、笑っちゃうくらい真面目な顔が告白してきた。
浅黒く健康的な肌にしっかり描かれた眉毛。一重なのに全然野暮ったくない目の形に琥珀色の瞳。小さな鼻に運動で削り取られた無駄のない造形。
どこか抜けていてやる気が感じられない、サボるのがうまそうな雰囲気の彼女はもうここにはおらず、ただ芯のしっかりとした、それでいて苦境を乗り越えた強い乙女の面構えだ。
「でもね、幼馴染だからあっちには完全に脈がなくて―――」
「ボコボコにフラれた」
だがしかし、想いを言葉に紡ぐと感情は揺れ動く。
大きく水が張られた盆を持ち運べば自然と零れてしまうように、柚香の目にも塩辛い雫が溜まっていた。
「まぁ彼女ができてたし仕方ないんだけどさ、それでも絶交レベルでボコられた」
「なんか最近そんなんばっかで疲れちゃってんだ」
「―――さっき顔色が優れなかったのもそれ?」
「そ。序でに昨日ね、葵に酷いこと言っちゃった」
「思ってないのに思わないといけないから、傷付けて」
「馬鹿だってわかっててもどうもできなくて、もうどうすりゃいいんだろって」
嗚咽交じりに吐露する柚香。こういうのは心に溜めておくのにも限界がある。それをよく知る冬海は何も言わず寄り添って、ぎゅっと抱き締めた。
予想していたものとは全然違くて、優しくてあったかい。
冬海はポケットから刺繍の入ったハンカチを取り出しそっと彼女の握りこぶしに潜ませた。
「・・・私、今まで誰かから相談なんて受けたことないし、察しが悪くて気の利いたことなんて言えないかもしれない」
「だから今は、アナタが満足するまでこうしてあげる」
「話だってずっと聞いてあげる」
「だってそれが、友達でしょ?」
思えば部活仲間やマリにこういう弱い面を見せたことはなかった。
けれどどうしてだろう?冬海には曝け出したくなってしまう。
「ぐっ、くふぅんっ!」
「大丈夫、宮村さんはよく頑張ってると思う」
心もとない外灯に照らされた道路に小さな嗚咽が響き渡る。
抑えていたものに収拾がつかなくなって一気に発散させる。
そうして帰る時間も忘れてずっと、冬海の胸元に甘えさせてもらった。
♦♦♦♦
「ごめん、遅くなって」
家に帰り二階のリビングに上がると、心配そうな亜妃乃が駆け寄ってきた。
「どうしたの?」
「ちょっと、友達とカラオケ行ってた」
「カラオケ!?葵が倒れたっていうのに!?」
どうやら母の耳にも伝わっていたらしい。
「ごめん」
「知ってたの?知らなかったの?」
「・・・知ってたよ」
「それなのに置いてきぼりにして遊んでたの??」
生気のない瞳を向けられた母。娘の隅々にまで悲痛な感情が広がっていた。
「そうだよ」
「ねぇどうしたの?つい最近まであんなに仲が良かったのに」
「亜妃乃さん、まぁいいじゃないかただの寝不足だって話だし」
腕を組んでいた透は亜妃乃を宥める。
「でも」
「ごめん、私もちょっと疲れてるからさ、今日はもう寝たい」
「なら先に―――」
「母さん」
柚香は透に軽く頭を下げ、心配している亜妃乃をよそに自室へと向かう。
家の階段のはずなのに一段一段がとても長く感じられた。
乾いた目元がひりひりする。ポケットのハンカチを強く握り締めドア前に辿り着くが、隣の部屋からは物音一つしなかった。
チラッ
ぼんやり差し込んだ二階の明かり、亜妃乃の姿はもう見えない。
私は自室にカバンを静かに置き、葵の部屋に相対する。
僅かな物音も立てないようにしするりと部屋に侵入すると、まるで眠れる森のお姫様が寝息を立てていた。
音を殺して摺足で歩み寄って、カーテンの隙間から漏れ出る月明かりを頼りに義弟の所在を確かめる。
「ほんっと、ごめん」
やりようなんて幾らでもあったのに突き放して、そのくせ心が折れたら慰めてもらいたくなる。
あの買い物の時にオシャレしたのも、日常的に絡んでいったのも、本当はもっと知りたくてずっと一緒にいたいのも、この心の痛さも、きっと私が彼に恋をしているからなんだろう。
最初はこんなにホイホイ他の人を好きになったり、初恋を忘れられていないのに靡くのはどうかと思ってた。
けれどこの気持ちを我慢してこんなに苦しくなるのなら、もう解放されたい。
この出会い方は、罪だ。
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