第29話 さよならを教えて
明朝、口数少ない子供達の態度を不審がった亜妃乃。
透は朝のニュースを眺めていてあまり関心はなさそうだった。
しかしその態度を亜妃乃は悪いように誤解してしまった。
「僕、先行くね」
「あら、日直?」
「ううん、勉強したいんだ」
「そう、でもあんまり食欲はない?」
見ると葵の皿にはまだおかずが残されていた。
「ちょっと夜更かししちゃって」
「じゃあこれお弁当とは別に包んであげるね」
「ありがとうございます」
どっか浮かない顔の息子を心配しつつテキパキと弁当箱とは別のアルミホイルの包みを渡す亜妃乃。その主婦の所作はすっかり板に付いていた。
「行ってきます」
「ん、テスト頑張れよ」
「気を付けてね~」
家を出る時間よりも二十分近く前で、対照的に柚香は黙々とソーセージに玉子焼きを頬張ってる。
「・・・昨日何かあった?」
葵のあのような態度の原因は柚香にあると見ていた亜妃乃。
娘のことだからすぐわかると思っていたが、最近はポーカーフェイスがうまくなっていてよくわからない。
「ん、何が?」
「夜・・・葵と勉強してたとか?」
「してないよ?なんでそんなこと聞きたいの?」
「べっつにー?」
「・・・今日のテスト、ちゃんとお小遣いアップ検討しておいてね」
「はいはい」
亜妃乃は昨夜未明に柚香と葵が一線超えたのではと疑ってしまった。
最近仲が良くすっかり打ち解けていたし、好意的な女の子の存在を知りとられたくないからと焦り急いでしまったんじゃないかと。
けれど起きた出来事は、真逆であった。
「私も準備するね」
「葵のことちゃんと見ておいてね?ちょっと根詰め過ぎてたみたいだし」
「葵は読書で夜更かしをすることはあったけど、あんな風に元気がないのは初めて見たかもなぁ」
「大丈夫だよ、ちゃんと見ておく」
「ごちそうさま!」
心配性な父母を一瞥し、柚香も登校の準備をする。
今日はまず、葵と同じクラスの愛内梨華に謝らなければ。
♦♦♦♦
「うっ」
同学年でごった返す廊下。
A組を陰から覗いた柚香は梨華の取り巻きに思わず感嘆の声を漏らしてしまった。
「すごい人・・・」
クラスのマドンナは頭もよいからか男子にも女子にも囲まれていて葵に構うことすらできない様子だ。そんな中でいきなり私が連れ出すなんて恐れ知らずもいいとこだ。
「やめやめ、放課後にしよ」
テストは五科目だけで、六限目は授業ではなかったはず。おまけに今日は花の金曜日、時間は充分ありそうだ。
「ユズカ~」
「おっ、マリ。おはよ」
B組のマリとすれ違い軽く挨拶を交わし柚香もD組に赴く。
そういえばあいつに会ってないななんてC組を覗くがまだ来ていないようだった。
「おはよう、勉強は大丈夫そう?」
席に着くと斜め後ろの冬海に声をかけられる。
「うーん、そこそこ?」
「アナタねぇ、一応このテストも補習あるのよ?」
「流石に赤点は・・・うん」
「おっすーみやむー」
「おっすおっす、赤点候補くん」
「ひどっ!?」
「ぷくふっ・・・」
いじられた楓に笑みをこぼす冬海。楓はなんというか、おちゃらけていて勉強はあまりできそうな感じではなかったからその渾名があまりにも似合い過ぎていて、吹いてしまったんだろう。
「斎藤さんもひどっ!?」
「実際のとこは?」
「多分ギリギリ」
「おっ、じゃあ勝負しよ?負けたらジュース一本?」
「受けて立つ―――って言いたいけどみやむーって勉強できる人?」
「さあね~」
いつもの調子を崩さず飄々と、家庭のことに仮面を着けた柚香。佐藤楓もそうだが、斎藤冬海も気付いた様子はない。
「んじゃまた」
「うぃ~」
予鈴前、柚香は一応まとめておいた基礎的部分を記したノートを広げ、最後の悪あがきに挑む。
そういえば冬海はいつも高得点を叩き出していた。
「・・・冬海、ちょっといい?」
「はい?」
一人が心細かった柚香は援軍を呼ぶことにした。
「はーい席に着いてー」
そうして一時限目のテストが始まる。
柚香の脳裏に葵を心配する気持ちは欠片もなかった。
♦♦♦♦
テストは思った以上に簡単で、正直肩透かしな部分はあった。
ほとんどが基礎問で応用も少なく、入試の際に覚えておいた問題が幸いした。これなら八十点以上は固いし葵も何も問題ないはず。
「・・・」
しかし、いつもと変わらない平常心を疑問視してしまう。
昨夜あんなことがあったのに。
「本当に総復習って感じだった」
五時限目終わり、冬海が独り言のように呟く。
「昼食の時はどことなく浮かない顔していたけれど、何かあった?」
「私?全然、いつも通りだよ」
「そうかしら?」
冬海が鋭いのか私が露骨に態度に表してしまっているのか、追及が煩わしいと感じぷいと教卓を向く。
そして担任からこれからの予定と昨日に引き続き部活動の勧誘の話を聞いて本日は解散。初めての金曜日ということもありクラス内で親睦会に行かないかという誘いもチラホラ。
「みやむーもこのあと遊ばね?」
日中の陰鬱とした雰囲気はどこに行ったのやら、楓は意気揚々と私を誘ってくれる。
「うーん、クラスの人と?」
「そう、全員ってわけでもないけど」
「・・・冬海はどうする?」
柚香のパスに楓の表情が一瞬引き攣る。
傍からでも不機嫌そうに見えてしまう彼女は必要以上のコミュニケーションをとらず、ほとんど柚香に依存していた。いくら人懐っこい楓といえど矢張り素性の知れない異性を誘うのは中々に不安を感じていた。
「佐藤くんはどうなの?」
鋭い威圧的な眼光が強張った彼の瞳を貫く。
「いや、俺的には全然アリだけど斎藤さんがよければ・・・」
気の強い女子が苦手なのかもしれない。いや、こんな態度をとられれば困ってしまうのは彼に限らずだろう。
「冬海が行くなら私も行こうと思う」
「丸投げ?それとも可哀想に見える?私が?」
相変わらず喧嘩腰というかなんというか。
「違うよ、私も楓も他の子だって、冬海のこと知りたいんだよ」
「尤も、このあと予定あるなら無理しなくても―――」
「行くわよ。暇だし」
冬海は目を瞑り黙々と帰る支度を進める。楓の方は気まずさを感じながらも柚香にありがとうの意を込めたウィンクをした。
「あっ、その前にちょっとだけ用事あって、先行ってて」
「マジ?待ってようか?」
「ううん、お店ついたらラインして。もしかしたら追いつくかもしれないし」
「楓」
「ん?」
「冬海って勘違いされやすい性格だから」
「なっ―――!?」
「・・・おうっ!他の奴とも馴染めるように見張っておく!」
「見張り!?余計なお世話なんですけど!?」
声を張り上げる冬海だが怒った感じではなくこういう遣り取りに慣れていない声色だ。
柚香は楓にあとのことは任せると、急いでA組に向かうことにした。
♦♦♦♦
「あれ」
A組に葵と梨華の姿はなかった。柚香は近くにいた女生徒に二人の所在を知らないか尋ねてみる。
「高遠くんと愛内さん?二人なら保健室だと思うよ?」
「そうそう!朝から調子悪そうにしてて、案の定昼休みに倒れちゃったの!」
「だから愛内さん、保健委員の子がいるのに連れて行ってあげて、今も終わってすぐ下行っちゃった」
「やっぱり二人ってそういう関係なのかな?彼氏彼女的な?」
「それで、あなたは?」
「えっ、私は二人の友達で―――」
「あのっ、ありがとうございます」
「あちょっと」
女生徒に頭を下げ一階にある保健室へ急ぐ柚香。
(倒れた?葵が?)
そういえば朝に母が言っていた、葵は夜遅くまで起きていたと。
きっと忘れるように勉強に打ち込んで無理したに違いない。
だからといって倒れるまでするなんて・・・。
私達とは反対の廊下に位置する保健室。
その引き戸を勢いよく開けた。
「葵ッ!」
扉の向こうから鼻を突くような薬品臭が漂ってきたのを覚えてる。白い室内を見渡すと奥まった場所に梨華の背中が見えた。
「こら、寝てる人がいるから静かに」
反対の場所、窓際に座っていた保険医は出入り口に立つ柚香に気が付き注意をする。
「すみません」
「あなたも高遠くんのお友達?」
「ええまあ」
二人の会話に気が付いたのか丸イスに座っていた梨華は立ち上がり、静かな怒りを込めた面持ちで柚香に向かってきた。
その雰囲気の恐さといったら、普段怒らない人が起こる時の感じを味わうことになる。ましてや彼女は私よりも背が高くまるで上級生。
彼女は目だけで合図を送ると廊下に出た。私もバツが悪そうにつづく。
「あの「昨日・・・何かありましたか?」
尋問ともとれる語気に気圧される。
「えーっと、私が愛内さんにあんなこと言って喧嘩した」
「それで?」
「?、それだけ」
わざわざ家庭内の不和について話すつもりも踏み込ませるつもりもない柚香は事実だけを簡潔に言う。
「喧嘩しただけで倒れることなんてあると思います?」
「それはっ・・・きっとテスト勉強で―――」
人通りの少ない廊下、壁際に凭れ掛かる二人、目を合わすこともなく話を続ける。
「お言葉だけど、葵くんはあなたが思っているよりもずっと頭がいいんです」
「高校の範囲ならまだしも、中学の復習であんなになるはずがありません」
柚香よりも付き合いの長い冬海はキッパリとした口調で断定する。
「本当に―――葵くんを傷付けたり追い詰めるような酷い言葉、言ったりしてないんですよね?」
柔らかい微笑みはもう消え失せていて、暗い真実を追い求める眼差しだけが柚香に向けられていた。
「・・・昨日のことはごめんなさい」
「今ここで謝られても困ります」
「ごめん、でも喧嘩した原因はそのことだから」
「・・・」
話したくないのか口を噤む柚香を認め冬海も頭に上った血を下ろしていく。
「酷いことは、言った」
「・・・」
「でもそれは、あなたと葵のことを思ってだから―――」
柚香は梨華に目を合わせず、保健室を通り過ぎる。
「私、これから友達と約束があるからさ」
寂しそうな背中から声だけが聞こえた。
「葵のこと、どうぞよろしくね」
震える顎先に目を細める梨華は隣の引き戸に手をかけて、
「言われなくとも」
ただ一言冷淡に言い放ち、部屋に入ってゆく。
「・・・はぁ」
心臓の鼓動だけが残った廊下。
少女は込み上げてくるものをこぼさないよう息を止めて天井を仰ぐ。
「ばいばい」
最後に保健室を一瞥した時、彼女は何もかも諦めることにした。
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