未曾有の事態の始まり
『パラシャク オレンジワイン
2020
シファニ』
中欧に位置するチェコ共和国は中世の面影を残し、水よりもビールの方が安い。
童話の世界にあるようなビール大国だが、ワインもまた生産されている。
そんなチェコの珍しい土着品種、白ワイン用のパラヴァとヴェルシュリースリングを混醸させて造られたオレンジワインだ。
品種の詳しい説明だけでかなり長くなるし、オレンジワインについてもかなり以前にざっくりと説明したので今回は割愛しよう。
生産者のシファニは代々農家で、自然環境に配慮してビオディナミを実践している。
他にも、ブドウ以外にもビール用に大麦も生産している。
それらのブドウや大麦の大半は、ビールメーカーや地元ワイナリーに卸しているそうだ。
では、そんな大地とともに生きる農家の神の血を試してみよう。
オレンジワインらしく褐色の液体、香りにはやや揮発酸のような部分があるが、オレンジのような香りが強いと思う。
味わいとしては少々酸化したシェリーのようなところもあるが、アプリコットのように黄色い果実の後味が程よく爽やかさを出している。
田舎娘な感じで洗練されてはいないが、個性的で明るいワインだと思う。
『ピリ辛チキンのグラタン風』
寒い日にはクリーミーなグラタンが美味しいが、さらに辛味を加えて体の芯から暖まりたくなった。
そんなわけで、単純に鶏肉にチリパウダーで下味をつけただけではあるが、ちょっと変則的なグラタンにしよう。
作り方はシンプルに、ニンニク、タマネギはいつも通りの基本、それにセロリを加え、バターで炒めるだけで本格風な洋食っぽくなる。
同時に下味の付けた鶏肉も焼き、両者を混ぜてから小麦粉を投入する。
小麦粉が全体に馴染んだら、牛乳、コンソメも入れてゆっくりと温めていく。
程よくとろみが付いたら塩コショウで味を整え、皿(耐熱なら良)に盛り、チーズをふりかけてオーブン(魚焼きグリルでも可)でとろりと溶かして表面に焦げ目が付けば完成だ。
お味の方もトロットロでアツアツ、雪空で強張った体が解けていくようだ。
だが、ピリッとした刺激で脳は覚醒する。
気が緩んでグダグダになる前にワインとも合わせる。
グラタンは元々フランスとスイスの国境に近いアルプスの山村地方の郷土料理らしい。
それ故か、どこか田舎らしさを感じる両者はうまく噛み合うかのように食事が進む。
グラタンのクリーミーさと果実のほのかな甘さを感じるオレンジワインは、相性良く調和していた。
それぞれの個性を活かし合う、これこそワインと食事の共同作業だろう。
どんな状況になろうとも、食事を楽しむことは有難いことだなとしみじみと思う。
☆☆☆
ワイナリーでの班編制も決まり、このシーズンも動き始めた。
ピーク時には24時間週7日間稼働するので、それぞれシフト制が組まれた。
僕が配属されたのは白ワイン作業全般で、夜シフトだった。
ここ、マールボロのメインの品種は白ワイン用ソーヴィニヨン・ブランであり、シーズン中はずっと夜勤なので大変なポジションだ。
しかし、今は収穫されるブドウもまだ少量でそれほど仕事は忙しくはない。
昼シフトは早出、夜シフト遅出、それぞれ8時間勤務で緩やかに始まった。
班長は常勤のチェコ人女性、僕よりも年下ではあるがキャリアが物を言う世界なのでそんなものは気にすることではない。
他の班員は、僕を含めて各国バラバラで男女比3対3、それぞれの紹介は後ほどに語られると思う。
ちなみに、女性陣は全員パートナー持ちなので甘い話は全く語ることはない。
さて、のんびり昼過ぎに出勤、日付が変わる前には帰宅だ。
やる仕事はこれまでの経験からそれほど知らないことをやるわけではなかった。
ただ、規模が大きすぎた。
最大のステンレスタンクは3階建ての屋根の上ぐらいの高さという25万L、そんな化け物タンクが何十とあり、それ以下も合わせれば何百はある。
これらがピーク時には全て稼働するわけだ。
もっとも、これぐらいなければ、2万t以上(日本ワインの総量とほぼ同じ)のブドウを捌き切ることはできないだろう。
僕はワイナリーでの仕事もすぐに馴染み、チームとしての仕事も順調に進み始めた。
しかし、コロナ感染者がニュージーランドでも確認され始め、ニュースでは不穏な情報が流れ始めた。
そして、3月中頃には警戒レベルは次々と引き上げられ、国境の封鎖も始まった。
この国境封鎖が2年以上も続くことになるとは、この時は誰も想像できなかっただろう。
だが、想定外はさらに続いていった。
都市封鎖、ニュージランド全域でロックダウンをこの48時間後に行われることが政府より発表された。
そのことによって、ワイナリーとしての対応もすぐに決まり、それぞれの班での会議が行われた。
政府からは賃金保障や生活支援は出ることになったが、それぞれの従業員個人はこの中でも働く意志があるかどうかの確認事項だった。
僕を含む多くの従業員たちは短期契約の外国人労働者ばかりだ。
今更他に選択の余地はない。
反対意見が出ることはほぼなかった。
ほんの数名の地元ニュージーランド人は自宅隔離を選んだが、それでも脱落者はほぼいなかった。
こうしてロックダウンの決行された日、僕たちは街での生活やシェアハウスの家主たちとはお別れした。
そして、ワイナリーの敷地内で共同生活が行われることになった。
2020年3月某日、コロナ禍による厳戒態勢の中、未曾有の事態のワイン造りが本格的に始まった。
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