ついに始まる

『ゲヴュルツトラミネール テール エピセ

 2019

 ドップ オ ムーラン』


 1574年、フランス・アルザスに創業されたという歴史あるワイナリー。

 アルザス地方はフランス北東部、ドイツとの国境にあり、戦争の度にフランスになったりドイツになったりを繰り返してきた地方だ。

 今回のブドウ品種ゲヴュルツトラミネールの主要産地でもある。

 

 ゲヴュルツトラミネールはかなり特徴の強い品種であり、ライチのような香りの高さがある。

 生姜などのスパイスの風味もあり、個性的で濃厚な白ワインとなる。


 では、こちらのワインを開けてみる。


 実に典型的なゲヴュルツトラミネールの香り、風味、味わいだ。

 まさに教科書通りだ。

 老舗なだけあって正統派と言えるだろう。


『エビチリ』


 現在の日本ではおなじみの定番中華料理の一つに数えられるだろう。

 昔の日本人が豆板醤の辛味に馴染みがなかったらしく、試行錯誤の末、現在の辛味を抑えたマイルドなレシピになっていったそうである。


 今回のエビチリはマイルド味のレシピだ。

 シンプルだが、ソースから作った本格派だ。


 ニンニクの香りがよく出るまで炒め、エビを投入して火が通ったら豆板醤で炒める。

 豆板醤の辛味が湯気に混ざって目に染みる。

 酒の代わりにワインを一垂らしして事前に混ぜ合わせたソースを絡める。

 とろみが付くまで炒め、器に取ったらごま油を垂らして完成だ。


 実食だが、味はエビチリのピリ辛でプリプリのエビが口の中で踊る。

 鼻腔をくすぐるごま油の風味も、中華料理らしく食欲を増進させてくれる。 

 しかし、残念ながらソースがとろみを通り越してねっとりだ。


 レシピ通りに作ったはずだが、これは違う感がある。

 おそらく炒める火が強くなりすぎ、水分が飛ばされて片栗粉が固まってしまったのだろう。

 料理はレシピがあってもそう簡単にはいかないものだ。


 もちろん、味は悪くはない。

 ワインとの相性もバッチリだ。

 ゲヴュルツトラミネールとスパイスの効いた中華料理との相性は良いのだ。


 だが、教科書通りにできないことも料理の難しさであり、奥深さでもある。

 ワイン造りも同様に、理論通り、教科書通りに事が運ぶことも無いのだ。


☆☆☆


 週が明け、ついにブドウの収穫が始まり、ワイナリーに運び込まれてきた。

 

 最初は赤ワイン用品種ガメイだった。


 ボジョレーヌーボーで有名な品種だが、ここのワイナリーでは通常の赤ワインとして造られた。

 

 大型のプラスチックのコンテナに、数百キロ分のブドウが積み込まれているが、このコンテナをフォークリフトで回転させて、豪快に受け皿に投入する。

 その受け皿は階段のような傾斜の付いたベルトコンベアに取り付けられ、粒と茎を分離する除梗破砕機という機械にブドウを運んでいく。

 その機械の下の部分から醗酵させる容器に直接排出されていくのである。


 その間に、酸化防止剤を添加し、そこそこ量が溜まったら次の容器に交換していく。

 そうして、あっという間にガメイの仕込みは終わった。


 次に白ワイン用品種ゲヴュルツトラミネールのプレスだ。

 この作業はチームメキシコで行われた。

 僕たちインターン組は別作業だ。


 生産者によって造りたいワインのスタイルがそれぞれ違うので、色々なやり方があると思う。

 生産者によっては、細かい造り方を知られることを嫌がることもあるので、細かい話は割愛しよう。


 そうして、作業を終えて、次の日の準備をしてこの日は終わった。


 翌日は、ゲヴュルツトラミネールを通常の澱引きで行った。

 通常、と言うと少々奇妙だが、ニュージーランドの時はフローテーションシステムを用いて回転率を上げていたので勝手が違う。

 生産量を比べると小規模なので、費用対効果がこちらの方が適しているからだ。


 そうして澱引きが終わると、綺麗になった果汁に酵母を添加する。

 量は少なくなったが、やり方は基本的に同じだった。

 

 まだ序盤のため、作業に余裕があるので、次の日の作業準備をして終わりとなった。


 しかし、後日。


「おい、こいつにちゃんと酵母入れたよな?」


 ワイナリーにやって来ると、怒りは見えないが真剣な表情のジル氏に問いかけられた。

 僕は少し思い出すように考え込んだが、間違いないのでそうだ、と答えた。


「でもな、全く発酵していないぞ?」


 え?

 と思い、僕は作業日誌を確認し、タンクのタグも確認した。

 だが、間違いなく酵母添加はされていた。


 原因は今でも分からない。

 

 もしかしたら、保管していた酵母がすでに死んでいたか、違うタンクに入れてしまっていたのか、それとも、投入時の果汁の温度が低すぎて酵母が全滅してしまったのか。

 想像はいくらでもできるが、とりあえず工程を先に進めなければならない。


 僕は再び酵母を同じタンクに投入した。

 さらに後日、無事に発酵が始まった。


 レシピ通りに作業を行っても何かしらのハプニングが起こることはどの世界でも同じなのかもしれない。

 何かが起こった時のリカバリー能力、それが仕事をする上で大事な能力なのかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る