貴重な出会い

『シャトー トゥール オー コーサン

 2013

 (メドック クリュ ブルジョワ級)』


 世界で最も有名なワイン産地に数えられるボルドー、その左岸メドックに位置するクリュ・ブルジョワのシャトー(ワイナリー)である。


 メドックには1から5級の「グラン・クリュ」格付けがあり、その次に「クリュ・ブルジョワ」が位置している。

 しかし、そのグラン・クリュの格付けは古く、1855年パリ万国博覧会にてナポレオン3世の命令によって制定された。

 現在では、格上シャトーを上回る程の実力ある格下シャトーがあったりもする。

 同じようにこちらのシャトーも格付けワイナリーに匹敵するという評価もある。


 さて、開けてはみたが香りが閉じている。

 うーむ、ちょっと部屋が寒いせいもあるだろうが、ボルドーらしくがっしりとしたボディの造りなのだと思われる。

 開いてくるのに時間がかかりそうだ。


 グラスに注いだ状態で少し空気に触れさせて開かせてみよう。

 それから頃合いを見て、グラスを手に包んでほんのり暖めた。


 うん、少しだが香りが開いてきた。

 

 まだ8年ほどだが、熟成されたワインらしく少しトリュフの風味があり、黒系果実の優雅な香りもある。

 味わいは少々スパイシーな感じもあり、どっしりと重みがある。

 タンニンの渋味がまだまだあるので、もう少し寝かせても良い本格的な造りだ。

 まさに王道のクラシックスタイルのボルドーワインだ。


『アンガスビーフ ステーキ』


 そのような王道ワインに合わせるならば、王道のステーキだ。

 残念ながら、A5ランクの最高級和牛ではなく、安いアメリカ産だ。

 しかしながら、とろけるように柔らかい霜降りよりも赤身肉の多い噛みごたえのあるステーキの方が、正直言ってフルボディワインに合うと思う。


 決して貧乏人の負け惜しみではなく、アンガスビーフを食した。

 筋が多くて決して良い肉ではなかったが、このワインと一緒だと美味しくいただけた。


 牛肉の脂分がタンニンの渋味を融解させ、隠されていた味わいをより深くさせる。

 それと同時に脂のしつこさを渋みや酸味がスッキリとさせてくれる。

 それ故に、フルボティの赤ワインとステーキの組み合わせが王道と言われるのである。


 どのような世界でも王道、基本を知っていることで応用がきくようになると思う。

 

☆☆☆


 冬も深まった頃のことだった。

 

 剪定にも慣れてきて、少しずつできるようになってきた。

 一本の木を切り終えるにもまだまだ時間はかかるが、一歩先に進んできた実感はあった。

 こうなると辛い仕事でも楽しくなってくるから不思議だ。


 仕事が終わって戻ってから、暖炉の前でくつろいでいる時だった。

 

「よし、今日は友達の家にディナーの招待をされているんだ。行くぞ!」


 ワイン生産者は横のつながりが意外と強い。

 畑のことやワインのことなど、何かあればグループ同士で情報交換したりする。

 特に海外では垣根が低く、僕のようなどこの馬の骨とも分からない者でも何かの機会に連れて行ってもらえた。


 実際にはそれほど大げさな話ではない。

 友人同士、ただのプライベートな付き合いだ。

 それでも僕も連れて行ってもらえたのだから、文化が違うというものだ。


 さて、僕たちは車に乗せられてむきだしの岩石が入り組む丘陵地帯を縫うように走っていった。

 元々この地は野性的である。

 そのさらに奥地に進んでいった。

 

 どこまでも生い茂る木々を通り過ぎていくと、オリーブ畑やブドウ畑が見えてきた。

 どうやら彼の敷地に入ったようだ。

 そこからさらに進んでいくと、ようやく家のような小屋が視界に入ってきた。


「どうだ、面白いだろう? あれが彼の家だ」


 クリスチャンの説明によると、彼の家は水車小屋を改築した最低限の設備だけの家なのだそうだ。

 ほえっと眺めていると、その家の横には何と小さな滝まである。

 牧歌的というか仙人郷のような、フランス版ぽつんと一軒家だ。


「やあ、よく来たな!」


 この楽園の一角の主フィリップ・クリアン氏である。

 頭はすでに真っ白だが、年を感じさせないほどエネルギーに満ち溢れていた。

 当時すでに70歳、とてもそうとは思えない。

 さらに、奥さんかと思いきや、こちらでの彼女だった。

 まだまだ色々と現役であった。


 敷地内を案内されて歩いたが、まさに楽園の一言だった。

 これまでの旅の中で、僕が目指したい形がそこにあるようだった。


 それから家の中に案内されると、比較的狭いリビングだ。

 二人で住むにはそれで十分な広さだろう。

 まさにミニマリストの生活だ。


 僕たちに振る舞ってくれた食事は、自家製ドレッシングのサラダ、そして暖炉の直火で焼いたステーキだった。

 素朴だが、実に印象に残るもてなしだった。


「ほう? 君は日本人か。それなら、この本をやろう。私が昔書いた本の日本語訳だ」


 と言って、棚一杯の蔵書の中から一冊の本をくれた。


 その本の内容は基本的に彼の半生を書き記している。

 メドックという土地、ワインについて語っている。

 

 ここに魅了されてやってくる以前、彼はメドックでも名のある生産者だった。

 しかし、その全てを子どもたちに譲り、新天地で新たなワイン造りを開始した。

 当時50歳近く、とんでもないバイタリティである。


 そんな彼の半生を綴ったこの本は、今でも僕は大切にしている。

 僕にとって、ワインの道を進む一つの指針となった。


 フィリップ・クリアン氏との出会いは、僕に大きな影響を与えたことは間違いなかった。

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