第四章
冬の到来
『ホットワイン』
ホットワイン、フランス語ではヴァン・ショーと呼ばれ、寒い日に飲むととにかく身体が暖まる最高の飲み物だ。
スパイスやハチミツ、フルーツなどと一緒に温めたワインである。
味付けをする理由は、ただワインを温めただけでは味が変質して酸っぱくなるだけで飲めたものではないからだ。
基本的には赤ワインを使用するが、白ワインでも作ることは可能だ。
スパイスやフルーツの種類を変えるだけで代用はできる。
どちらにせよ、調整はできるが甘口の飲み物になる。
体の芯から暖まるので、夜はよく眠れるし、冷え性にもよくて健康的な飲み物でもある。
ワインを温めるとアルコールが多少飛ばせるので、アルコールが苦手な方でも飲みやすいと思う。
しかし、アルコールは完全に飛ばすことはできず、ノンアルコールではないので注意が必要だ。
僕自身、かなりの重い風邪を引いた事があり、薬を飲んでも一向に効かなかったが、ホットワインを飲んだらすぐに治ったという経験もある。
ただの偶然かもしれないが、鰯の頭も信心からというように、ワイン教徒としてはおすすめだ。笑
『マリトッツォ』
ブリオッシュ生地にたっぷりの生クリームを挟んだスイーツ、イタリア・ローマの名物である。
甘すぎないので実に食べやすい。
クリームがいっぱいなので口の中でとろけていくようだ。
ワインとデザート、合わないと思うだろうが意外にも合う組み合わせはある。
個人的には、甘さ控えめのホットワインと、同じく甘さ控えめのデザートならば合うと思う。
今回はマリトッツォで試したが、悪くはない組み合わせだった。
シンプルなバニラクリームなので、オレンジで味付けをしたこのホットワインとの相性は抜群だった。
寒さの辛い時期には身も心も暖まる飲み物は最高の友となる。
何か辛いことがあれば、何か美味しいものに逃げても良いのでないかと思う。
身体が癒やされれば、心もきっと多少は癒やされるはずだ。
☆☆☆
やりたいことがないわけではない。
むしろやりたいことはある。
しかし、思う通りに物事がうまく運ばなかった。
最後のブドウの収穫地ロワール地方シノンからロワール地方西部ナントに流れ着いた。
この地を拠点に各地のワイナリーの求人を探していた。
収穫が終わり、冬が到来するとブドウの葉が落ちて休眠期に入る。
そして、来年の収穫に向けて木の剪定が始まる。
僕はその剪定の仕事を探していたわけだ。
しかし、これがなかなか決まらず日々鬱々と過ごしていた。
木の剪定は来年のブドウの収穫の最初の一歩目で大事な仕事だ。
それ故に、下手な相手を雇いたくないことは理解できる。
僕自身、剪定の手伝い程度しかしたことはないので、ほぼ未経験者だから難しいと思っていた。
それでも大量に人を雇う大規模ワイナリーなら、という可能性にかけて求人を探していたのである。
ナントはフランスの中ではそこそこの都市なので、職業安定所みたいなものがある。
僕はそこに通って求人を探したり、フランスでの履歴書の書き方を教えてもらった。
フランスを含むほとんどの国には、日本のように履歴書の決まった書式はない。
自分で作るしかないのだ。
履歴書や職務経歴書を作り、メールに添付して求人の出たワイナリーに片っ端から送った。
結果として、全滅だった。
一度だけ興味を持ってくれた相手から連絡があった。
仕事を探すためだけに、現地のプリペイド携帯電話も買った。
この当時はSIMを替えれば使えるスマホが普及していない時代だったので、それだけでも手間がかかる。
そのプリペイド携帯に初めて仕事に関わる電話がかかってきた。
しかし、この対応がうまくできなかった。
フランス語もそうだが、英会話など外国語は対面で相手の表情を見ながら会話をするよりも電話での対話の方がはるかに難しい。
対面であれば多少の言語の理解ができなくても、相手の身振り手振りでコミュニケーションを取ることができる。
だが、電話だけだと言葉のみなので、一気に言語能力のレベルが跳ね上がる。
僕はうまく対応できず、相手の質問にうまく答えることができずにしどろもどろになってしまった。
これは大きな失敗である。
「ああん? まともにフランス語もできねぇのかよ? クソが!」
と、相手は怒って電話を切った。
まともに会話ができなくても、罵倒の言葉ぐらいは理解できる。
僕だって悔しかった。
電話じゃなければ、まだ話はできた筈なのに……
他にも悔しい思いはした。
僕がこの当時寝泊まりをしていたのは、安宿の代表ユースホステルだった。
ここには様々な国から来る旅人が多いが、中には長期滞在をする者たちもいた。
僕は同じ部屋に長期滞在をする者たちと話をすることもあった。
合法か不法かはわからないが出稼ぎに来ているチュニジア人の男、就労ビザもなく仕事を探しに来たフランス系カナダ人の男と話をした時のことだ。
僕が仕事が決まらずに困ったという愚痴をこぼした。
「ワインの学位もないのに、ワイナリーで働こうなんて無理に決まってんだろ、HAHAHA!」
「そうそう、フランス語もまともに話せねえくせによ、HAHAHA!」
そいつらはバカにしたように笑ってきた。
僕はやるせない怒りを胸に抱え、木枯らしの吹く寒空の下、一人で街の中心部まで歩いた。
「ヴァン・ショー、ヴァン・ショー、ヴァン・ショー!」
屋台から威勢の良い声が聞こえてきた。
そこではホットワインの甘い香りが漂っていた。
僕はほんの数ユーロのぬくもりに、ささくれだった心をほんの一時だけ癒やされた。
僕は小さなぬくもりから熱を帯び、ふつふつと反骨心が芽生えてきた。
できるわけがないって?
上等だよ!
最後まで生き延びてやる!
これがフランスの凍える冬の到来だった。
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