ペイ・フォワードのように

『サン ジョセフ ルージュ デシャン

 2016

 M.シャプティエ』


 フランス、ローヌ地方最高峰と言われているワイン生産者。

 1808年に創業してから現当主7代目ミシェル・シャプティエに至るまで、一貫した家族経営のもと、畑を守り、テロワール(土地の個性)を尊重する姿勢を貫く造り手。

 テロワールやヴィンテージ(ブドウの収穫年)の個性を土壌に語らせ、表現させるという哲学の元に、地球環境を頂点とし、人間はその従者であることをモットーとしている。

 自然に敬意をはらったシャプティエの情熱的なワインは、『芸術作品』と言える。

 ラベルに点字も施してあるので人にも優しい。


 さて、前置きが長くなってしまったがこのワインを味わおう。

 シャプティエのワインは上を見れば6桁になるが、このワインは3千円台で庶民にも手が届く。

 

 そのお味は意外にも、南仏のガツンとした重いボディのタイプではなく、なめらかで上品に飲めてしまう。

 使われている品種はシラーなので、濃いめの赤、ブラックペッパーのようなニュアンスという品種の特徴はよく出ているし、ブラックチェリーのような黒系果実の味わいがよく出ている。

 オーストラリアのシラーズ(地域によって品種の呼び名が違う)の厳つさとは違って飲み口が優しく、それでいて存在感があるように造られている。

 

 うむ、このままではワインだけでボトルが空いてしまう。

 料理を合わせねば!


『ポークスペアリブ 山賊味』


 もうね、ローヌのシラーとスペアリブは鉄板です。

 これが合わなかったら、この世界が間違っている、と言っても過言ではない。


 赤ワインのタンニンの渋みが肉汁の脂分を溶かし、肉汁がタンニンの渋味を和らげてくれる。

 この相互支援、互いに高め合う関係こそマリアージュ、理想の結婚だろう。


 山賊味のピリ辛のニンニク塩コショウの風味が良いアクセントになり、さらに食欲をそそる。

 一口飲み一口食べ、交互に繰り返してどちらもすぐに無くなってしまった。


『ベトナム・フォーもどきのうどん』


 正直、歳を取ってくると重いワイン、重い食事では疲れてしまう。

 そのため、締めにはあっさりとしたものが食べたくなる。

 

 鶏ガラ出汁のスープに、レモンのさっぱりとした味わい、パクチーの独特な風味を効かせたうどん、なんちゃってベトナムのフォーを作ってみた。

 田舎住まいなので、米粉の麺が手に入らなかったので、普通にうどんを使った。

 最近はネットで簡単に手に入るのだが、突発的な思いつきにはネットですら間に合わなかった。

 今回はうどんの麺で代用した。

 

 もちろん、これでも充分に美味しくいただけた。

 代用品でも自分が楽しむ分には問題は無い。

 

 そして、あの当時を思い出す。

 いつでもどこでも欲しいものが手に入ることはない。

 しかし、それでも良いと思えれば良いこともあるのだ。 


☆☆☆


 バカンスももう終わりになろうとしていた。


 僕はアンドラ公国を後にし、陸路でフランスに戻り、ローマ時代から栄えた2000年以上の歴史を誇る、フランス第二の都市リヨンへとやってきていた。

 その理由は仕事をするためである。


 仕事は以前ドタキャンされたブドウの収穫、ヴァンダンジュだ。

 もちろん、行き先のワイナリーは違うし、すでに初出勤日の日時も指定されている。

 今度こそ確約されているので不安はない。

 所持金ももうほぼ無いが……


 さて、リヨンは観光名所が数多くあり、美食、アート、歴史地区などが有名である。

 その他にも国際機関が数多く置かれ、某警部で有名なインターポールの本部もある。

 そのため、日本人も数多く居住している街である。


 僕がこの街にやってきたのは、次の仕事先のワイナリーの近くにある大きな街だからという理由でしかなかった。

 ついでに、世界遺産に登録されているリヨン歴史地区をブラブラと歩いた。

 

 この旧市街は、中世からルネサンス時代の建物が残る石畳の街並みだ。

 車も通れないほどの狭い路地を歩いているとまたもや異世界ファンタジーの妄想が広がってくる。

 観光名所を堪能し、僕は丘の上にある見晴らしの良いユースホステルに戻っていった。


 ちょうどこの頃は9月の中旬だった。

 欧米では新年度の始まる月であり、入学する学生たちがこのユースホステルに泊まっていた。

 

 現在はインターネットがさらに発達しているので、事情は変わっているかも知れないが、この当時は欧米の若者たちは安宿に泊まりながら大学近くの部屋を探していたのだ。

 こうやって苦労して自立心が芽生えるのかもしれない。


 そんな中で、僕は日本人の大学生と知り合った。

 知り合ったと言っても大学生なのでロマンスの欠片もない。

 知り合うきっかけはこういうことだった。


 僕がちょうど旧市街を歩き回ってユースホステルに帰ってきた時だった。

 丸いワイン樽のような受付のオバちゃんが僕に話しかけてきた。


「ねえ、あんた、日本人だったよね?」

「え、そうだけど?」


 突然話しかけられ、何のことか分からなかったので、僕はボケることもなく普通に答えた。

 オバちゃんはほっとしたような顔で話を続けた。


「あそこにいる少年、日本人らしいけど言葉が通じなくて困ってるの」

「……へえ、何かあったの?」

「朝から具合悪そうにあのテーブルにいるんだけど、言葉が通じないの。話聞いてみてくれる?」


 僕はオバちゃんが視線を向ける方を見ると、そこには線の細い少年がテーブルの上に突っ伏していた。

 僕は得心がいって、いいよ、と答えた。

 僕はその少年のところに歩いていった。


「よう、どうしたよ、少年?」


 日本人の少年は辛そうに顔をしかめて僕を見上げている。

 

「え? に、日本人の方ですか?」

「おう。日本語喋ってんじゃん? 大丈夫か?」


 少年はホッとしたような顔になり、僕に色々と説明してくれた。


 こっちで知り合った日本人旅行者たちと一緒に、田舎の湖で泳いでいてそこの水をうっかり飲んでから腹が異常に痛いらしい。

 その日本人たちとはすでに別れている。

 僕がちょうど話を聞き終えた時に、受付のオバちゃんが僕たちのところにやってきた。

 

 僕が少年の話をかいつまんで説明すると、すぐに救急車を呼んでくれた。

 少年は病院へと搬送されていった。


 そして次の日、僕は仕事先へと向かうために色々と準備をしてユースホステルに戻ってきた。

 

「あ! 昨日はありがとうございました!」


 少年は顔色が良く申し訳無さそうに僕にお礼を言いに来た。

 

「あれ? もう大丈夫なの?」

「はい! 一晩病院にいたら良くなりました!」


 色々と話を聞くと、日本人医師もいたみたいで問題なく治療できたらしい。

 費用も海外旅行保険に入っていたから問題ないそうだ。


「おう、良かったじゃねえの。お、そうだ、飯食えるか?」

「あ、はい。もう大丈夫です」

「んじゃ、せっかくだから食い行くか?」

「はい、喜んで!」

「何食いたい?」

「えっと、胃に優しいのがいいです」

「そりゃそうだな」


 僕はクツクツと笑い、少年もはにかんだように笑った。

 僕はそれならと適当に目についた日本食のレストランに行ってみることにした。

 入った瞬間、どこか東南アジアの雰囲気がするが、気のせいだと思うことにした。


 席に案内され、適当に胃に優しいだろうと思われるうどんを注文した。

 この時に僕は下手くそなフランス語だったのだが、少年は驚嘆していた。

 

 話を聞いてみると、フランス語が全く分からなくて、世界的な有名チェーン店であるドナルドさん家のハンバーガーのようなジャンクフードしか食べていなかったらしい。

 この程度のビストロレベルの食事ですら初めてだったそうだ。


 少年のことを少し聞いてみた。 

 日本の大学に通っているので、現在は夏休み中だった。

 その夏休み中にヨーロッパを一人旅しているそうだ。

 ちょうど夏休みが終わるので日本に帰る時だったという話だ。


 僕が少年の話を聞いていると、注文したうどんがやってきた。

 そのうどんは店内の内装通り、日本人の経営している日本食レストランではなかった。

 海外あるあるネタであるが、なんちゃって日本食だ。

 うどんを注文したのに出てきた料理は、どこからどう見てもベトナムのだった。


 だが、少年は貪るように麺をすすり、うまいっす! を連呼していた。

 僕も食べてみたが、味もまた正真正銘フォーだ。

 しかしフォーと思えば美味しかった。

 うどんじゃないけど!


 少年にとってはヨーロッパ最後の晩餐は堪能できたと思う。

 僕もまた、久しぶりに会った日本人とそれなりに楽しめた。

 悪くはない晩餐だ。


 これで、僕のバカンスは終わりだ。

 次は、ブドウの収穫ヴァンダンジュ、仕事漬けの毎日になる、はずだ。


 第二章完

 第三章へと続く


☆☆☆

 

 旅は道連れ、袖を触れ合うのも多少の縁、

 色々な言葉があるが、旅先で偶然出会った見知らぬ相手も前世ではお世話になった相手かもしれない。

 旅先で見知らぬ相手から親切にされることは意外とよくあるものだ。


 僕はお世話になった名も知らない相手に恩返しをしたいが、できないことが多く、実は助けられた借りばかりがある。

 そのため、今回のように見知らぬ相手が困っている時には、できるだけ手を差し伸べるようにしている。


 善意を他人に返すという、映画「ペイ・フォワード」の精神ではないが、こういった世界になってくれればいいな、と思う。

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