第一章

フランス ボーヌ

『メゾン・ジョセフ・ドルーアン

 2018

 ブルゴーニュ ピノ・ノワール』


 ブルゴーニュワインの中心地ボーヌに140年以上前に創立された名門ワイナリー。

 テロワール(その土地の個性)へ敬意を払い、化学農薬を一切使用しない自然農法、主にビオディナミ農法を実践している。


 鮮やかなルビー色、ボウルのような大きいブルゴーニュ型グラスに注ぐとすぐにラズベリーなどの赤系果実の香りが芳醇に広がる。

 味わいはフレッシュな酸味、わずかに柔らかなタンニンがあり、さくらんぼのような味わいが余韻を引く。


 見事に典型的なブルゴーニュワインである、というか、ドルーアン一族がそのイメージを作ったのかもしれない。


 さて、小難しい専門的な話は始めないで、ワインを楽しもうじゃないか。

 うん、美味し!

 一般消費者は、自分の味覚に合うか合わないか、それだけ解れば良いのだ!

 ああ、良いワインは幸せな気分にさせてくれるなぁ。


 おっと、いけない!

 料理アテを忘れていた。


 『コック・オー・ヴァン』


 フランス・ブルゴーニュの伝統的な料理、鶏肉の赤ワイン煮のこと。

 缶詰メーカー・ハインツが公開しているレシピから調理してみた。


 バターで炒めた玉ねぎとにんじんの自然な甘み、セロリの豊かな香り、皮付きの鶏肉から出た脂の旨味が、デミグラスソースと絡み合い舌鼓を打つ。


 濃厚なデミグラスソースを使っているので、この味わいにブルゴーニュの繊細な風味が負けてしまうかと思ったが、そんなことはなかった。

 白身肉であるあっさりめの鶏と、ブルゴーニュワインの相性はぴったりだった。

 

 レシピ通り4人前を作り、次の日の弁当のおかずに1人前は取り分けていた。

 僕はワインも料理も進み、3人前をぺろりと平らげてしまった。

 

 フランス流で、残ったソースをバゲットでキレイに完食した。


 あっという間にワインも一本空いて、僕は程よく気持ち良い余韻のままに、ブルゴーニュの地に初めて降り立った日を思い出していた。


☆☆☆


 ブルゴーニュに行く前、パリに降り立ち、安宿に一泊した。

 

 パリといえば、オシャレで洗練されたイメージが強いと思う。

 しかし、それは底辺の貧乏旅行者には当てはまらない。

 このパリの安宿はアジア圏の安宿よりも劣悪な環境だったのだ。


 男女混合のドミトリールーム、これは安宿の定番だ。

 ここもその例にもれない。

 が、それはいい。


 星付きのホテルなら、おそらくツインルーム程度の広さの部屋に一ダース(12人)がすし詰め状態で寝る。

 しかも、歪んだベッドに、だ。

 もちろん、寝る以外には何も出来ない。


 そのような部屋に泊まるのは、様々な国籍の若者たちがほとんどであり、衛生観念に無頓着だ。

 薄汚れた衣服を床の片隅に丸めて脱ぎ捨て、納豆のような臭いのする靴もベッド脇に脱ぎ散らかされている。


 これで2千円台なのだから、恐ろしい。

 しかし、僕は元々ワイン産地が目的地なので、その次の日にはおさらばした。


 実は僕はこの時、もう一つの銘醸ワイン産地ボルドーへと行こうとしていた。

 しかし、何を勘違いしたのか、間違えて違う駅へと行ってしまったのだ。

 

 パリから地方都市へ行くには、行先によって乗る駅が異なる。

 下調べが全く出来ていなかったので、乗る予定のTGV(高速列車)に乗り損ねてしまった。

 だが、不幸中の幸いで、予約はしていなかった。

 急遽予定を変更して、ブルゴーニュへと行き先を変更し、ボーヌへと向かった。

 

 当然、予定を立てない、行き当りばったりの旅にはトラブルは付き物だ。

 宿の予約をしていなかった僕は泊まるところがなかった。

 現在であれば、WIFIのある場所でスマホで簡単に調べることができるのだが、当時はスマホがそれほど普及していなかったのだ。

 地道に観光案内所へと向かって歩き出した。


 ちょうど連休中だったので、安いホテルは軒並み空いていなかった。

 あっても、僕みたいな貧乏旅行者はお呼びでないクラスのホテルだけだ。

 僕は途方にくれ、重い荷物を持って、ふと思いついて街から遠く離れたキャンプ場まで歩こうとした。


 その時、通りかかったビストロに偶然張り紙がしてあった。


 フランス語はまだほとんど読めない。

 それでも、数字だけで何となく予想ができた。

 

 僕は思い切って、ほんの数フレーズだけしかまともに喋ることができないフランス語でビストロに飛び込んだ。

 

 そして、OUIハイ、という返事が返ってきた。


 やった!

 僕は幸運の女神に見捨てられなかった。

 奇跡的に宿を確保できたのだ!


 何を言っているのかさっぱりと分からなかったが、とりあえず料金を払って部屋の鍵を受け取った。

 廊下の奥には建築資材が積んであったので、おそらくまだ改築中の宿のようだ。

 どおりで観光案内所に情報が無いはずだ。

 宿泊代はパリの安宿よりもほんの数ユーロ高いだけだった。

 しかも、快適なシングルルームだ。


 僕は幸先の良いスタートが切れ、気分良く階下のビストロで、ブルゴーニュワインとコック・オー・ヴァンでその夜のディナーにした。

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