第7話

 子どもたちの中でしか通じない通貨制度のようなものがある。大人から見れば他愛もないこと、益体のないもの、さしたる価値を持たないものだ。それでも、子どもたちの狭い世界の中では、その通貨が物を言う。幼い日のぼくの周りでのその通貨とは、キャラクターの印刷されたカードであった。あるいは、ラメの入ったプラスチックのシールだった。あるいは、友達の証明たる旨のラクガキの入った写真シールだった。

 ぼくはそのいずれも持たなかった。キャラクターの印刷されたカードは一定数持たないことには勝負ごとに参加できないらしい。ラメの入ったプラスチックのシールは、加工の手間ゆえか単価がやや高価だった。写真シールは、ぼくはそもそもそれを撮るのが苦手で寄り付かなかったし、やっぱり高かった。

 それらのための本来の通貨が欲しいと、保護者に言ったかどうか、ぼくは覚えていない。ただ、結果的にぼくがそれらを持たなかったことは、保護者に断られたか、ぼくが言えなかったかの二つの可能性を提示している。いずれにせよ、指し示している事実は変わらない。ぼくの保護者はぼくに、「欲しいものがあるなら、本当に欲しいか、本当に必要かよく考えて決めなさい」と教えた。それは実に真っ当な教えだと思う。キャラクターの印刷されたカードも、プラスチックのシールも、写真シールも、ぼくの生活には必要ない。ただ単に、子どもたちの中でしか通じない通貨だというだけだ。狭い狭い、教室よりももっと狭い、下手をすれば学習机の上ほどしかない世界でしか使わないものは、本当のところぼくだって要らない。

 でもそれを持たなかったことは、ぼくをゆるやかな排除に結び付けた。ぼくが代わりにと作った、小さな画用紙に絵を描いたものは、とても露骨な怪訝な表情とともに、「それは要らない」という言葉だけが返ってきた。悪意はない。他意もない。分かってはいても、ぼくは「お前は要らない」と言われた気がした。

 そのことを、ぼくは保護者に言っただろうか。言ったところで、「流行が終わるまで待て」と言われたような気もする。この記憶は、当時の自分の予想なのか事実だったのか、もう分からない。当事者の子の名前も実は覚えているのだが、まあ忘れられているだろう。確かめるすべなんて、もうあの日の教室の机の上に置いてきてしまった。水拭きしたら茶色い汁が雑巾に付く机は、もうお役御免になっている頃だろう。

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